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無作為に



「神のみぞ操れるものがランダムってより、むしろ人間が、人間の手の中に収められなかったものをランダムと名付けたのかもしれないね」
考えるよりも先に喉仏を超えた言葉に、自分でもうわ、と思った。



神のみぞ操れるもの。神。
神を崇めた時代も、神を批判した時代も、あったでしょう。神に生かされた人も、殺された人もいたのでしょう。
自分の起床もままならない私が、深夜、何百年も前の王様と神様との抗争の文字をなぞる、なぞる。
きっとこの時代の人たちにとって、「ランダム」の範囲は広かったのだと思う。
明日から船旅に出よう!と思ったとて、現代よりよほど危険だ。確実な天気予報もない。下手なことをしたら「神の怒り」に触れて、どこか遠くへ流されてしまうかも。3時、そんな世界に思いを馳せてみる。


人間はそろそろと手を出し、時にひっこめながら、「ランダム」の範囲を狭めてきた。(もちろん、ここでの「ランダム」は数学的なものではないけれど)これこそ人類の歩みといって差し支えないだろう。
では、「ランダム」とは、逃げだろうか。自分で運命とやらをもぎ取りに行くことからの逃げだろうか。それとも、我々を待つ試練に対して、ある意味挑戦的に名付けたのだろうか。



わからないことが残っているというのは、寿命が延びるようで嬉しくもある。
しかし、私の「ランダム」の範囲はひろい。とっても、とっても。いつの日かの世界史の教科書に私が載るとしたら、おそらくそれは人口の数字か何かであり、一角の肖像ではない。勉学の範囲以外でもそうだ。意中の人のことも、自分の感情すらも、私からしたら「ランダム」なのである。

人類の歩みになぞらえて、理解、是非ともしたいものだ。
でも私の神様、貴方、理解できるようなところにいてくれちゃっていいの。貴方が右と言った方向が右でしょう。幼い私にそう信じさせたのは、他でもない貴方だった。
自分が愚かなのは、わかる。わかるくらいには私は賢い。でも貴方を理解できるような次元には到底いない。そうでしょう。是非とも嘲笑してくださいよ。貴方が馬鹿だろうが、愚かだろうが、私にとって絶対であることに何も変わりはないのだから。そのまま、神様でいてください。あとは思うままにしてくれたら良い。貴方がこうと語ること、全て書き留めて聖書にでもしましょうか。そしていつかは、なんだか気に触ったとでも適当に言って、どこか遠くへ流してくださったら良い。


若い少女の勘違いと言って仕舞えばそれまで。思春期の思い違い、憧れ、そう片付けて仕舞えばそれまで。でもみなさん、「ランダム」ですよ。私にとってはね、この盲信こそ、自身最大の「ランダム」です。動かせるのはひとり。神様のおてての中。だから貴方は神様なんだね。ランダム、貴方だけが持っている権利、どうぞそのたなごころにでもくるんでおいてほしいのです。時には私は解こうとするかもしれませんね、貴方のこと。その時にはまた一捻り、「やっぱり神様だ」だなんて言わせてしまってよ。


無論、私ができるのはただ願うことだけなのですがね。そこもランダムですから。貴方のことを神様と呼ぶのは、逃げでしょうか。私、息のあるうちにどこまでたどり着けるでしょうか。ああどうかこの航海が安全でありますように、神様の御気まぐれに身を委ねて、今日もおやすみなさい。


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