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適応障害に至るまで

今日は私が適応障害になって前職を辞めた話です。

短大卒業後空港の保安検査員として就職しました。でもその時にコロナが広まり仕事が激減。人見知りな私にとっては嬉しい事でした。そこから2年ほどお客さんが少ない状態で働き、3年目になる時に他の空港に応援として行く事になりました。
いくつか候補があったのですが地元の沖縄を選びました。同期の子たち数名で沖縄に行き仕事が始まりました。
沖縄での仕事は私にとってはある意味地獄でした。お客さんの数がとても多かったのです。
環境に慣れないといけない、仕事の仕方を考えないといけない、人付き合いも変わるなど急に増えたタスクに段々と心がやられていくのがわかりました。
沖縄で働いて約1年経った頃転職を考え始めました。人の多い環境から逃げたかったのです。そこから普段の仕事に転職活動が加わり、自分で自分に負荷をかけている状態になりました。
仕事に行って帰って疲れ果てた状態での転職活動。睡眠もなかなか取れませんでした。
その時からなにかわからない不安に襲われるようになり、精神科の受診を決めました。
そこで不安を減らしてくれる(?)薬を処方してもらい、転職活動もいったんストップしました。そこから何とか沖縄での仕事を続け、いよいよ元の空港に戻る事になりました。
正直戻りたくはなかったです。沖縄の環境に慣れていたのでまた環境が変わる事で心労が増えるのが嫌だったんです。
戻る少し前からリストカットもしていました。多分その時点で限界に近かった気がします。いよいよ元の空港に戻っての仕事が始まりました。案の定、環境の違いに心がやられました。ある日の仕事帰りに親と通話しながら帰宅していると涙が止まらなくなりました。これはやばいと判断した親が仕事を休めと言われ、風邪と言い仕事を休みました。休んですぐ精神科の先生に相談して適応障害の診断を受けました。
それからは親に手伝ってもらい仕事を退職、沖縄に戻り療養生活が始まりました。

適応障害になった経緯はこんな感じですかね。上手くまとめられているかわからないですが今日の話はここまでです。
読んでいただきありがとうございます。

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