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場面で変わってしまう「ルール確認」力(Wasonの四枚カード問題)

いきなりだが、下の問題を考えてみてほしい。

今、目の前に4枚ののカードがあり、それぞれ片面にはアルファベットが、もう片面には数字が書かれている。

「A」「D」「4」「7」の四枚のカードが並んでいるが、これらが、

「片面が母音ならば、もう一方の面は偶数でなければならない」

というルールが成り立っているかを確かめたい。そのためにこの内の2枚のカードをめくることができるが、あなたは、どのカードを確かめるだろうか?






ひょっとして、「A」と「4」を選ばなかっただろうか?実際に、認知心理学の導入の授業ではよく取り扱われる、「Wasonの四枚カード問題」という問題である。

論理的に言えば、正解は「A」と「7」であるはずだ。なぜならば、

「片面が母音ならば、もう一方の面は偶数でなければならない」

を確かめるためには、

「片面が偶数ではないならば、裏面は母音ではない」ということが「真」でなければなりません。(対偶の証明)となるわけです。

なので、「4」のカードの裏が「母音」である必要はありません。よって、「7」の裏が「母音でない」ことを確かめなければならず、「A」と「7」を考える必要があるのだ。

日常的な場面で考えるとどうなるか

では、こちらはどうだろう?

4人の人が「飲み物」を飲んでいる。

「アルコールを飲んでいる」ならば「20歳以上」であるというルールが守られているかを考えてみてほしい。


この問題は、いとも簡単に「ビール」と「17歳」を選ぶことがだろう。

「日常的なルール」が遵守されているかどうかを確認する文脈に置かれると、いとも簡単に考えずに違反者を見つけ出すことができる。

この実験に関してはたくさんの研究がなされている。正解率がそれぞれにおいて偏ることによって、見つけることのできる「人情」として、考えてみたり、文化の形成においてこうした機能が果たしてきた役割を考えてみても面白いかもしれない。

例えば文化形成に必須な認知機能だった?

フォーマル(形式的)なルールで人間は誤謬(間違えること)をおかしてしまうが、カジュアル(日常的)なルールでは間違えない。よく言われているのが「裏切り者を見つけることだ」という話がある。

つまり、文化・社会によって形成されたルールが守られているかどうかを見つけることはルールや論理的な形式を熟考しなくても簡単にできなければ困ってしまう。

そんなことが理由で、このような結果の偏りがあるのかもしれない。

更に詳しく、原典に当たりたい人は、下記を参照のこと。
Wason, P. C. (1968). “Reasoning about a rule”. Quarterly Journal of Experimental Psychology 20 (3): 273–281.
Wason, P. C. (1966). “Reasoning”. In Foss, B. M.. New horizons in psychology. 1. Harmondsworth: Penguin.


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