客観性の幻想 『その部屋のなかで最も賢い人』(1)
思い込みから逃れられない私たち。『その部屋のなかで最も賢い人』では、私たちが『その部屋』つまり思い込みからなかなか逃れられず、部屋の中で最も賢くなるにはどうすればよいか、道標を示してくれる。
真っ先に第一章に書かれているのは「客観性の幻想」について。私たちは自分が思っていることが現実と等しく、さらに客観的とまで思い込んでしまうことが言及されている。
私たち人間は、自分の知覚が現実と一対一で対応していると反射的に思い込むだけでなく、自分自身の個人的な知覚が特別に客観的であるとまで思いがちなのだ。
人は世界をあるがままに見ているのであり、主観的に記録しているのではないという、魅惑的で思わず納得させられれうような感覚を、素朴な現実主義と称する。
私たちはこの「素朴な現実主義」によく陥ってしまう。例えばこんな例。
「最近の若者はなぜあんなことをするんだろうか。」
「なぜあの人は、こんなにもわが子のことを心配してしまうんだろう。」
「なぜこんなにも頑固に自分の意志を貫こうとするんだろう。」
相手に対してこんな印象を持ったとしても、実はそれぞれ「自分の素朴な現実主義」から考えているにすぎない。例えば、若者たちはあなたとは違う時代と人生を歩んでいて、今まで触れてきたものが全く違う。わが子を心配するのもこちらには知らせていない病気を持っているのかもしれない。意志を貫こうとするのは、もしかしたらまだ自分が気づいていない穴にいち早く気づいているからだ。などの、理由が考えられる。
つまり、自分の素朴な現実主義は、相手にまで過剰適応させてしまうのだ。相手の認識が自分と同じだと瞬時に思い込むことで、相手の「判断」が異なることは、相手が「自分と同じ前提で誤った、非合理な判断をしている」と判断してしまう。
私たちは、頭の中で計算して行う「判断」とそもそも頭に情報を入れるしくみである「認識」を分けて考え無くてはならない。意見が違ったからと行って、相手の認識からは合理的な判断がされているのだ。
相手の「認識」と「判断」を明確にするには、ある程度オープンなマインドを持ちつつも相手から話を引き出す必要があるのだ。
それこそが『その部屋の中で最も賢くなる』第一歩かもしれない。