初恋リベンジャーズ・第四部・第1章〜愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ〜④
担任の谷崎先生から、新学期から登校していないクラスメートの対応を任された翌日、オレは、クラス委員のパートナーである紅野アザミとともに、その生徒の自宅に向かう。
オレと紅野が対応を一任された生徒、緑川武志が住む家は、オレたちが通う高校から徒歩で30分ほどの場所にあった。ユリちゃん先生から聞いていた住所をGoogleマップで確認すると、自転車なら所要時間12分となっている。
さすがに、学校から往復1時間の距離を徒歩で行くことは避けたかったので、紅野と二人、自転車で彼の家に向かう。
この辺り特有の少し起伏のある道を西の方角に進んでいくと、春は多くの花見客が集まる祝川が見えてきて、その川のすぐそばが、目指すべき場所だった。規模の小さなマンションに囲まれたその家は、外から見ても、それなりに大きな敷地を持っているように感じられる。
表札に『緑川』と書かれているのを確認して、オレは門のそばにあるチャイムを押す。
「はい? どちら様ですか?」
インターホン越しに聞こえてきた上品な声に、即答する。
「2年A組の黒田と紅野です。担任の谷崎先生から預かったプリントを持ってきました」
いまどき、学校から配布するプリント類は、Googleクラスルームなどのオンラインサービスで確認可能なので、言うまでもなく、「プリントを持ってきた」というのは、ユリちゃん先生から公認された、自宅訪問のための口実だ。
「まあまあ! わざわざ、すみません。いま、玄関を開けますね」
丁寧な口調の女性の声が途切れると、しばらくして、ガチャリと音がして、門から5メートル程の位置にある玄関のドアが開き、声の印象どおりの上品な雰囲気の女性が姿をあらわした。
「武志のクラスの方たち? わざわざ、ごめんなさいね」
オレたちを出迎えながら、インターホンでの応答と同じような言葉を口にする女性に対して、
「武志くんのお母さまですか? 僕たちは、A組でクラス委員をしている黒田と紅野です」
と、こちらも、再度、自己紹介を行う。
オレの問いかけに、小さくうなずいたあと、
「まあ、あなたたちが……」
そうつぶやく、緑川家の母親に対して、
「お時間があれば、少し、お話しを聞かせてもらえないでしょうか?」
と、かたわらの紅野が切り出す。
こうした内容を語るのは、品行方正かつ優等生的外見の彼女の方が適任だと思っていたのだが、オレの考えを汲みとってくれたのか、クラス委員の女子生徒は、すかさず、今回の本題に入る。言葉を介さずとも、この辺りのタイミングや間合いがお互いに一致し、息の合った行動を取ってもらえることが、オレが、彼女に信頼を置いている理由だ。
「えぇ、もちろん! 良ければ、上がって行って」
思っていた以上の歓待を受けたということは、どうやら、緑川の母親も、息子の不登校状態に手を焼いているのだろう……と、オレは推察する。
上手い具合に話しを切り出してくれたクラス委員のパートナーに感謝しつつ、母親に招かれるまま、オレは紅野とともに、緑川家のリビングに向かう。
二階建ての住宅は、比較的大きな住宅が多いこの辺りの中でも、一回り大きく感じる。
広いリビングには、少し古めかしいものの、センスの良い家具が揃っていた。そのリビングのソファに腰掛け、しばらくすると、緑川の母が、ティーカップに紅茶を注いで持ってきてくれた。
「どうぞ、遠慮しないで飲んで」
彼女のお言葉に甘えて、ティーカップを持つと、琥珀色のストレート・ティーからは、ベルガモットの爽やかな香りが漂ってきた。
「あぁ、イイ香りですね。フォートナム・アンド・メイソンのアールグレイかな?」
オレがつぶやくと、母親は目を丸して、たずねてくる。
「まあ、あなた、紅茶に詳しいの?」
「はい……母親がヨーロッパの家具などを輸入する仕事をしてまして……お土産にあっちの飲み物を買ってくることが多いので……」
「あら、それは素敵ね!」
緑川の母親は、朗らかな表情で言葉を返してきた。
場が和んだところで、今度は、オレの方から本題を切り出す。こうして、リビングまで通してくれたということは、緑川母は、オレたちに話しを聞いてもらいたい、という気持ちがあるのだろう、という手応えを掴んでいたからだ。
「武志くんが学校に来られないのは、なにか理由があるんでしょうか?」
ストレートなオレの問いかけに、右手を頬にあてた母親は困りはてた表情で、つぶやく。
「それが、自分たち親にも、まったくわからなくて……一年生のときは、成績も申し分なかったし、お部屋に引きこもったまま、理由も告げなくて……私も、もう、どうして良いのか……」
「それは、大変ですね……」
母親の気持ちに寄り添うように、紅野が言葉をかける。
絶妙なタイミングでの言葉掛けだったのか、緑川の母は、目頭を押さえながら、オレたちに問いかけてきた。
「あなたたちは、あの子に何があったか知りませんか?」
母親の必死な様子に胸を打たれつつ、オレは、正直に首を横に振る。
「申し訳ありません。一年のときは、武志くんと違うクラスだったので……でも、もし良ければ、これから、武志くんと話しをさせてくれませんか? 同世代なら、わかり合えることもあるかも知れないので」
オレが、そう申し出ると、母親は口元に手を当てて涙ぐむ。
「えぇ、ぜひ、よろしくお願いします」
こうして、オレは、ほぼ面識のなかったクラスメート、緑川武志の部屋に向かうことになった。