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愛と選挙とビターチョコ・第4章〜推しが、燃えるとき〜⑨
11月25日(火)
今月、二度目の三連休の間、僕は取材の最後に、光石琴から問いかけられたことについて考えていた。
「『もし、私が生徒会長選挙に当選したら……』っていう約束は、いまも有効かな?」
オフレコという約束をしたことで、彼女が勇気を出して問いかけてくれたのではないかと感じる質問に、たじろぎながら、僕は、こう答えた。
「そ、それは、今回の選挙が終わってから、ということで……いまは、光石にとって大事な時期だろうし、選挙のことだけに集中してほしいから……」
突然のことで、心の準備が出来ていなかったということもあるけど、あたふたし、焦りながら応じた僕の言葉に、光石は、一瞬だけ表情を曇らせたものの、すぐに
「そうだよね。ごめんね、生徒会選挙の取材なのに、個人的なことを聞いちゃって……」
と、返答して、取り繕うように軽く微笑んだ。
その彼女の表情の変化に僕は罪悪感を覚え、同時に自分自身に問いかけた。
(どうして、すぐに、「もちろん、約束は有効だよ」と、即答できなかったんだろう?)
生徒会選挙の取材や、SNSの情報発信に振り回された挙げ句、放送・新聞部の活動を自粛することになったけれども、僕の光石琴に対する気持ちは、少しも変わっていない。
それでも、彼女の問いに応えることができなかったのは―――。
四日前の問いかけに、思考は進まず、同じところでグルグルと迷ったままだ。
そんなモヤモヤした気持ちを残したまま、放課後の放送室に出向くと、室内では僕より先に来ていた三人が、選挙戦の情勢分析を行っていた。
ちなみに、今回、放送・新聞部は、選挙期間が短いことを理由として、アンケートによる情勢調査を行わないことにしている。
「Googleフォームでの情勢調査もありませんし、今週末の投票は、ホント、どっちの候補が勝つのか、わからないですね」
ミコちゃんが言うように、今回の出直し選挙の立候補者は、現職の石塚生徒会長とリベンジを期す光石候補の二人だけ。文字どおりの一騎打ちだ。
「前にも聞いたかも知れませんけど……今度の投票、ケイコ先輩は、石塚と光石のどっちが有利だと思いますか?」
トシオの問いに先輩はお手上げのポーズで応える。
「今回ばかりは、私にもわかんないわね。先日の投票日は、直前の空気で石塚くん有利だと思っていたけど……『一人ではじめた選挙戦』ってイメージ戦略が、どこまで生徒間に浸透し続けているかがポイントね」
「そのイメージ戦略って、そんなに有効なモノなんですか?」
「そりゃ、そうでしょ! 私は、あんまり詳しくないけど、彼のイメージ戦略は、ウェブ小説でも人気を博していた『追放系』のジャンルそのものじゃない」
そう言いながら、先輩はホワイトボードに、追放系ジャンルのテンプレートを書いていく。
1:主人公が所属している集団(勇者のパーティや国家など)から、その能力から考えれば不当と思える理由で追放される。
2:追放された主人公はそれまでの責任から解放され、新天地を目指す。それまでできなかったことや、やりたかったことに取り組む(スローライフや商売、気の合う仲間との集団形成など)。基本的には、それほど責任が課せられるような立場になることはない(物語がさらに進めば例外あり)。
3:主人公を不当に追放した集団は、実は主人公無しでは効果的な運営や維持が難しく、解散や不幸な出来事に遭遇する。特に、追放することへ積極的に関わった人物ほど不幸になる。
主人公が集団の崩壊に直接的に関わるのは、大体決定的な最終場面で、主人公が関わる前に既にその集団がほとんど崩壊していることが望ましい。
ケイコ先輩が講義するように語りながらホワイトボードに書き記した内容を眺めて、僕らは感嘆の声を上げる。
「はえ〜。たしかに、深夜アニメとかでよく見る展開だわ。石塚を熱烈に応援している生徒は、バスケ部の部長だった石塚を罷免したクラブ連盟や十条委員会に『ざまぁ』したかった訳か……」
トシオが唸るように言うと、先輩はうなずきながら返答する。
「その『ざまぁ』って感情は、ドイツ語でシャーデンフロイデって言って、そうした人間の心理を研究した書籍もあるんだけど……石塚くんの置かれた状況をこの追放系のストーリーにハメ込んだ比良野社長は、政治宣伝の担い手として、やっぱり優秀ね。それだけは認めざるを得ないわ」
その答えに、僕は、もう一人の候補者のことを案じながら質問する。
「じゃあ、その人気ジャンルの主人公のような候補に対抗する相手は、どんキャラ付けで挑めば良いんでしょうか?」
「う〜ん、それは……」
即答を控えて言い淀む上級に対して、下級生の女子生徒が返答する。
「それなら、聖女キャラで勝負すれば良いんじゃないですか? 光石さんのイメージにもピッタリですし」
ニヤニヤとしながら語る後輩女子に対して、
「いや、なにも光石候補のことを特定して言ってるわけでは……」
僕が、ゴニョゴニョと言葉を濁しながら答えると、先輩女子までもがニマニマとした表情になる。
一方、女子生徒二名とは異なり、僕の言動をさして気にしていないようすの親友は、膝を叩いて同意する。
「なるほどな〜。聖女キャラのアニメは、あんまり見たことないけど、キャラ付けとしては、良いかもな〜。これだけ学校内で意見の対立や分断が深まったら、癒やしとかヒーリングのイメージを求める生徒も増えてくるかも知れないしな〜」
トシオの一言は、ミコちゃんの直感的な指摘と合わせて、なかなか鋭い分析だと思った。
「追放された隠れ実力者 VS 一度やぶれた聖女キャラか……どっちが勝つかは、より自分のキャラを確立して、アピールできた方かも知れないな。でも、石塚は、比良野社長のブログの件で、かなり、カリスマ性に陰りが見えはじめてませんか?」
余談だけど、その比良野社長は、僕らが一宮新聞の紙面に、ボカシ付きの顔写真を掲載したため、彼女の華麗な生活実態がうかがえるSNSアカウントの投稿を揶揄する意図を込めて、校内掲示板の《フリーボード》に、
「キラキラモザイク・比良野フミ」
という書き込みがされていた。
僕とトシオが、その書き込みを見て、思わずプッと吹き出したのを見て、ミコちゃんが不思議そうな表情をしていた一方、ケイコ先輩は、あきれた表情で、僕らを見ていた。
閑話休題―――。
親友が石塚候補の不利を予想する見解を述べると、上級生は、いつものように、したり顔で解説をはじめようとする。
「そこはね……認知的不協和と言って、人によっては、都合の悪い情報がもたらされると、支持者は、かえって熱狂しちゃう場合もあるからね。これは、アメリカの社会学者が、フィールドワークの結果を『予言がはずれるとき』という本にまとめていて……」
なにやら、小難しい話しがはじまろうとしたところで、ミコちゃんが口を開く。
「あの〜、難しいことは、良くわからないんですけど……それって、推しが炎上したときの熱狂的ファンの反応と同じですよね? 『推しの◯◯クンが、そんなスキャンダルを起こすなんてあり得ない! マスコミかアンチの妄想だ』って、熱烈なファンなら誰でも言いますもん。これは、芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』って小説にも書いてます!」
心理学用語を引用して解説しようとするより、はるかに分かりやすい例えに、特定の推しがいない僕とトシオも、「なるほど……」と、納得せざるを得なかった。