吸潔少女〜ディアボリック・ガールズ〜第4章〜悪魔が来たりて口笛を吹く〜⑬
喫茶店で行われた針太朗との脚本会議を終えて自宅に戻った仁美は、彼に宣言したとおり、すぐに台本の修正作業に入ろうと、タブレットPCを開いた。
クラウドに保存していた台本の文書ファイルを改稿用にコピーして起動すると、彼女は、
「フ〜」
と、大きく息をつき、ニヤニヤとほおが緩むのを抑えることができなかった。
その理由は、もちろん、この日に行われた彼との会合の中身にある。
第一の理由は、針太朗に送りつけられた、仁美自身の姿が写っていたコラージュ写真だ。
同じクラスの西高裕貴に微笑みかけている自分自身の姿は、同じく彼女のクラスに所属している高見李依の姿と差し替えられたモノだった。
針太朗 は、その一枚の写真を見て「面白くない……」と感じたようだ。
彼自身は、深く理由を語らなかったが……。
紅潮した表情や、その挙動から、針太朗 が自分と西高裕貴との仲を誤解し、嫉妬していることは明らかだった。
「もう……カワイイなぁ、シンちゃんは……」
憎からず想っている相手が、自分と他の異性との仲を嫉妬する――――――。
「こんなシチュエーションは、ナンボあってもいいですからね〜」
と、上方の人気漫才師も言っていたような気がするが、ともあれ、彼の真意の一端を垣間見ることができて、仁美自身の気持ちが高ぶったことに違いはない。
彼女の表情を緩ませる二つ目の理由は、本来の彼女の目的とも合致していることではあるが、針太朗から、演劇部の新作舞台である『わたしの貴公子さま』の脚本に対する的確な指摘とアドバイスだ。
思っていたとおり、いや、期待以上の内容で、彼は、仁美自身が考えたオリジナル脚本の弱点を指摘し、改善案を提示してくれた。
指摘された内容は、自分自身が考えていた欠点であり、提示された改善案は、自分では思いもつかないような内容で、男子生徒の心情を汲み取りながらも、多くの人に共感してもらえそうな内容だった。
なにより、主人公たちのそれぞれの思惑を明確に描くことで、その後、互いに想い合うようになる二人の心情の変化を強調することができる。
幼稚園の頃、『エルマーのぼうけん』シリーズを読破しようと、二人で読書に夢中になり、お互いに作品の魅力を語り合ったときと変わらずに、彼と作品を共有できたという実感が、彼女の気持ちをより高ぶらせた。
三つ目の理由は、そんな彼が、自分が創った物語を「とても面白かった」と誉めてくれたことだ。
子どもの頃と変わらずに、針太朗は読書を趣味とし続けているようだが、数多くの本や物語に接している彼から、自分がイチから創りあげた物語を「とても面白かった」と言ってもらえたことは、仁美自身にとって、大きな自信になった。
さらに、彼は、主人公の桂木綾について、
「最初は、ボクの苦手な自己主張が強いだけの女の子かな、って思ってたんだけど……物語が進むうちに、なんて言うか……すごく、好感が持てる女の子だな、って感じるようになった」
と言ってくれた。
それは、脚本の執筆者である仁美自身が、舞台を観劇する観客にもっとも感じてもらいたい部分だっただけに、そのことが伝わったことが何よりも嬉しかったのだ。
(やっぱり、シンちゃんは、私の気持ちをわかってくれてる……)
針太朗に対して、真中仁美が、そう感じてしまうのも無理はないことなのかも知れない。
彼女のほおが緩む四つ目の、そして、最大の理由は、前日の出来事にある。
リリムの抹殺を狙っていると思われる魔獣に、まんまと騙された自分が学院の校舎屋上で追い詰められたとき、あの場に居合わせるはずのない針太朗が、颯爽とあらわれた。
ウニバーサル・スタジオで、クラスメートの北川希衣子とデート中だったハズの彼が屋上にあらわれたとき、仁美は、我が目を疑い、危機に追い詰められた自分の儚い願望が見せている幻覚ではないかと考えた。
誰とでも分け隔てなくコミュニケーションを取り、同性の自分から見ても魅力的で快活な女子と二人きりになる機会をおいて、男子生徒が自分の元に来てくれるなどという都合の良いシチュエーションを信じることが出来なかったからだ。
なにより、彼に呼び出されたというフェイク情報にショックを受けて、そんな自分の愚かしさに、このまま消え去りたいとまで感じていた彼女にとって、それは、信じがたい光景だった。
そんな彼が、彼自身の危険を省みず、自分を助けようと奮闘してくれたことに、言い様のない胸の高鳴りを覚え、仁美は、屋上での騒動が終わった後も、彼の顔をまともに見ることが出来なかった。
それでも――――――。
彼は、これまでと変わらず優しく接してくれた。
優しくて、勇気のある男の子――――――。
幼稚園の頃に読んだ『エルマーのぼうけん』の主人公・エルマー少年の姿と重ね合わせながら、彼女は、針太朗のことを想い、タブレットPCでの執筆作業に取り掛かる。
(お母さんも、こんな気持ちだったのかな?)
ひばりヶ丘学院の卒業生であり、『伝説の大樹』の根元で、後の結婚相手となる男子生徒から告白されたという母の思い出話しのことを想いながら、彼女は、キーボードをタイピングし始める。
そんな執筆タイムに入ろうとするなか、自室のドアが優しくノックされ、
「アイちゃん、夕ご飯の時間だよ」
と、母親の麻奈が声をかけてきた。