窓(マド)と感情
今日は東京国立近代美術館で開催中の『窓展:窓をめぐるアートと建築の旅』観てきました。
正直なかなか近代アートへの理解は簡単には理解が出来ておらず、少しじっくり観るのに体力を要しました。
ですが、建築に置いての「窓」の重要性は学生時代から、その重要性や建築・人間に与える影響は意識をしておりました。
しかし今回改めて「窓」の存在に深く着目する事で感じた事を少しばかり。
ル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトなど、名だたる建築家のスケッチの原画なども展示されており、この辺はなかなかの興奮でございました。
その他、写真や絵画、映像や立体作品等が展示されており、多角的に窓の概念を考えさせられます。
その中で今回感じたのは、「窓を内側から見た時の人間の感情」についてです。
窓という枠から外を見る際には、何かしらの感情を持って、「外を見る」という行為に及んでいるなと。
例えば、「今日は晴れかな?」と遠足の当日の朝に覗く窓に対しては期待やワクワクを。
「なんだか外が騒がしいな…」と覗く窓には、不安や自分の身の心配を。
チャイムが鳴り待っていた恋人の姿を窓から確認した時には喜びを。
そんな風に窓から外を眺める際には、必ず何かしらの感情の動きがあり、逆に言えば窓は人の感情と共にいる存在なのかもしれないなと、窓の奥深さと愛着を思うのでした。
そして仮に、人の心にも窓が付いているとすれば、僕たちは外(景色や他人)を見る時には当たり前に感情の起伏を持ち合わせており、当たり前にその窓を毎日開いたり閉じたりしていて、もしその窓を自分好みにデザインできるのであれば、外の風雨をしっかりと防ぐ機能性を持ちながらも、美しい外の景色を眺める妨げにならない、優しくも綺麗なデザインにしたいなぁと思いました。
とっても感覚的な事ではありますが、色々な建築を巡った時、特に日本建築においては、必ず窓辺に腰を下ろし、その直線的な窓や庇に切り取られた景色をしばし眺めるようにしています。
そうすると、計算し尽くされた美しい庭の景色や借景が目に入ったりして、ただその庭を散歩するだけとは違った美しさを知る事が出来ることが多々あります。
それと同様な感覚で、自分が自分以外の外を眺める窓は、出来る限り外の景色が美しく見えるような機能とデザインを兼ね備えたものにしたいなぁと思ったのです。
そうそう、ガラスも定期的に綺麗に拭いてあげないと、外の景色がくすんだり歪んで見えてしまうかもしれませんね。気をつけなければ…^^
あ、美術館の前庭には藤本壮介さんの作品も飾られていて、自由に見ることもできました!
窓で切り取られた空は、また違った顔を見せてくれる気がします。
もしかしたら、心の窓も何個も持っていてもいいのかもしれません。物事を多角的に見るために^^
そんなこんなで展示会を後にし、少し皇居周りを散歩して帰路につきました。