便利と不自然
世の中、技術の進歩や発展と同時に
便利なものがどんどん増えていく。
それと同時に、それは自然に反して
不自然である、と感じる事も増えてきた。
この間、たまたまドンキホーテで買った
"からだ想いラップ"というもの。
「身体にも家計にも環境にもやさしい」
サランラップというもので
値段も安くて手に取って買ったようなものだが、
正直使ってみると、上手く切れなくて使いづらかった。
そして、ふーと鼻息を鳴らしたあと
今まで使ってたラップとなにが違うのだろうと
成分表を見比べてみた。
よく見かける有名なラップの方には
添加物が沢山入っていた。
それによって柔らかく切りやすく
使いやすくなってるのだと、その時初めて知った。
逆に"からだ想いラップ"はポリエチレンオンリー、
シンプルそのものだった。
だけど毎日の食べ物を包むもので
レンジでチンをしたりするようなものに
添加物がごっそり入っていると
溶け出したりしないのかと不安になった。
そんな事はないのかもしれないが、
いずれにせよ、一周回って
環境に配慮されてるのは後者だ。
そしてそれを知ったと同時に
値段も安くていいものなのかも、と思い
少しの不便で不機嫌になってしまった自分を
恥ずかしく思った。
そんなことがあったのは最近。
(例えがドンキホーテで全然格好付かない)
だけど便利と不自然、については
だいぶ昔から考えていたことではあった。
便利になればなるほど
自然から遠のき、
不自然な世界になっていくのではないかと。
例えば土に還らないもの。
大量生産され、使い捨てされていくもの。
理想を言えば、
長く繰り返し使えるものがいい。
土に還るものがいい。
そういったものに対して
汚いや、田舎っぽいなどのイメージは
どこかの企業の戦略でもたらされてる
洗脳の可能性も大いにある。
便利なものに受けた恩恵は
僕自身だって沢山あるが
これ以上、人がスムーズに暮らしていくために
便利にしていくには限界があるのではないかと。
たかが人間。
大自然を目の前にした時に
偉大さに、寛大さに、勝てねーわって
圧倒された事はないだろうか。
僕はよくある。笑
あまり調子に乗っちゃあいけないな、と
自然の中で深呼吸をして、よく思わされる。
そういったことを
自然の近くで毎日体感で感じている人や
何かのきっかけで深く考えたり、
そういった関係のお仕事をしてる人たちは
細かな選択をしている気がする。
自分が気にかけるようになると
見えなかったものが見えるようになる。
そういう人たちは
そういったものが"イケてる"と感じて
そういったものにお金を払い、投資をする。
自分よがりじゃなく心の余裕があり、
その場しのぎじゃなく長い視野で考える力があり、
覚悟のある努力や、小さな思いやりに気付く。
僕自身は大したことじゃないが、
例えば自分が使うスタジオは、
安くて立地が良くてスタジオ数が多くて
皆が使ってる、ようなところより
サービスが気持ち良くて、
日々の変化や努力や心遣いを感じて、
スタッフの方が活き活き働いてる所を選ぶ。
何故ならそういうスタジオが良いと思うからだ。
ずっと存在していて欲しい、と思うからだ。
たまに行く飲食店なども
出来るだけそんな選び方をする。
自分の使う小さなお金でも、毎日の選択は
手軽に安易に皆が選んでるから、ではなく
出来る限り愛を持って、
ちっちゃな投資家のような気持ちで
続いて欲しいと思うもの、
小さな努力の積み重ねや心意気を感じて
感動するようなもの、
自分にとって学びがあるもの、
そんなことにお金を払いたい。
そうすればきっとおかしな事も減っていく。
正しい努力、誠実な思い、
その対象への愛の大きさなどが、
正しく評価されれば、
変な近道も存在しなくなる。
少々脱線もしましたが、
切実に誠実に、敬意のある世界に
少しずつしていきたい。自分から。