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リズムと構成の大切さを意外なところで学んだ話

2、3日前から、スコット・フィッツジェラルドの長編小説「美しく呪われた人たち」を読んでいるが、これがべらぼうに面白い。最近の読書がほとんどノンフィクション物ばかりで「久しぶりに小説を読みたい」と思って手に取ったのだが、「これから物語がどう展開していくのだろう」と言う長編小説でしか味わえないワクワク感を味わえて、とても心地が良い。

ただこの小説、原著の出版が1922年代に対して日本語に訳されたのは2019年と、日本では影が薄いどころか、存在すらほとんど知られていない小説だったのである。

確かに、代表作の「グレートギャツビー」にあるような歯切れの良さや、後期代表作の「夜はやさし」にあるような独特の倦怠感は、この小説にはない。私がこの小説に面白さを感じたのも、ただ単に私が「スコット・フィッツジェラルド」と言う作家そのものに興味があると言うその1点がほとんどの理由かもしれないけれど、あえてこの小説の客観的な面白さを上げるとするのなら、こう言える。

「構成とリズムが心地よい」と言うことだ。

どんな登場人物がいて、それはどんな人間で、またどんな人たちに囲まれていて…と言う、物語を構成するための要素が目の前でどんどん積み上げられいく過程。これがなんともたまらないのだ。それが、「これから物語がどう展開していくのだろう」と言うワクワク感につながってくる要素なのかもしれないが、こう言う一見当たり前のことのように見えて実は難しい物事を、フィッツジェラルドはその天才的とも言える文章力で、いとも簡単にやってのけるわけである。

これはやはり、フィッツジェラルドが持っているリズム感によるものが大きいのだと思う。

いくら構成がきちんとしていても、文章自体にリズム感がなければ読み進めることはできないし、いくら文章にリズム感があっても構成がガタガタでは何も伝わらない。構成力とリズム感。この2つを掛け合わせてこそ、面白い文章、読ませる文章と言うものが書けるわけである。

そんな、文章における極意、広げていえばコンテンツにおける極意のようなものを、意外なところから学んだ、ここ2、3日の読書体験だった。

その時代のトレンドの音楽によって文章のリズムは変わっていくのではないかという考えも芽生えたが、これを考えていくには少し時間がかかりそうなので、今日は構成とリズムの大切さと言う事でこの話を終わりにします。


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