言葉というナイフ
言葉には相手を褒め称えたり、感謝を伝えたり、時に慰めたり、勇気を与えたり。そういうポジティブな力がある。
その一方で、相手を貶したり、さげずんだり、否定したり、恐怖を与える、ネガティブな力もある。
「言霊」という言葉があったり、「言葉の暴力」という言葉が存在するのは、言葉には何かしらの力が備わっているということが多くの人の認識するところだからだろうと、僕は思う。
確かに、言葉には力がある。
正しく使えば素晴らしいものになるが、使い方を誤れば危険なものにもなるのが言葉だと僕は思っている。
だから、言葉は大切に扱わなければならない。
知らず知らずのうちに、自分はそんなつもりがなかったけど、自分が発した言葉で相手を傷つけていることもある。
言葉はナイフだ。
誤って刃の部分を持つと自分自身さえも傷つけることになる。
だから、言葉は注意して扱わなければならない。
しかも言葉のナイフで傷つけられると、治りが遅い。もしくは一生治らないこともある。
言葉によってズタズタにされた心は、「ごめんなさい」の一言なんかで治るように簡単にできてはいない。
一度でも傷つけられた心は、二度と決して元通りには戻らない。
だから、言葉の持つ力を理解しておかなければならない。
ナイフを適当に振りかざしたり、投げてみたり、それを無闇にキャッチしようとなんてする人はいない。
しかしそれが言葉になると、扱いが雑になる。
言葉はナイフである。慎重に扱うべきである。
扱い方を誤ると、相手を傷つける。
傷つけられた相手は、一生元に戻ることのない傷を負う。
言葉はナイフである。