僕らが忘れてはいけない事Ⅰ
こんにちは。「私の会社は久保友宏です。」の久保友宏です。
今日からは『虐待加害者への対応』を少しお話ししていこうと思います。
以前のブログでもお話ししましたが、僕は子供を傷付ける大人が許せません。
虐待のニュースが流れるたびに行き場のない怒りと悲しみを感じますし、そんな時は眠れなくなったりもします(案外繊細なんです…(笑))。
フェイスブックやツイッターなどネット上でも、僕の様に虐待に憤る声が多くみられます。
殆どは『○○ちゃん可哀想に…』という、虐待された子供に同情的なものですが、中には『親も同じ目に合わせろ』『飢え.死にさせろ』という過激な意見も散見されます。
こういう意見を見ると、僕は『ちょっと待って!』と言いたくなります。
別に虐待加害者をかばうつもりはありません。
しかし、怒りに任せて過激な言葉を吐けばいいということでもないと思うのです。
僕たちの行動にはたいていの場合、理由があります。
それは一般的ではなかったり、人からは理解されなかったりすることもありますし本人にさえ理由が分からなかったりしますが、人をその行動に駆り立てる動機やトリガーのようなものはあるのです。
人がお互いに100%理解し合うのは不可能ですし、自分のことだって完全に理解してコントロールできている人は少ないでしょう。
そんなことが可能なのはそれこそ仙人くらいのものかと思います。
話がそれてしまいました。
つまり僕が何を言いたいかというと、虐待があったからと言って脊髄反射のごとくその親を責めるのではなくて、その背景を考えることが大切なのではないかということです。
僕は上に挙げたように虐待被害者を過激な言葉で攻撃している人たちを『怒れる善人』と呼んでいます。
言葉の通り、彼らはとてもいい人だと思うからです。
そう、弱きを助け強きを挫く、それこそテレビのヒーローの様に熱い正義を心に宿していらっしゃるのだと思います。
ですが、怒りという感情は厄介なもので、僕らをたびたび視野狭窄に陥れてしまいます。
僕らが大人になる過程で学んできた筈の、多角的なものの考え方を忘れさせてしまうのです。
だから僕は、怒れる善人たちに言いたい。
『ちょっと待って!落ち着いて考えてみよう!』と。
このままいくと僕も熱くなって長くなってしまいそうなので、今日はここまでにしておきます。
続きはまた次回。
本日も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
久保友宏