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虐待の定義とその現状


こんにちは。「私の会社は久保友宏です。」の久保友宏です。

僕はこれまで、虐待についてブログを書いて来ました。

しかし、ふと気が付くとこれまで一度も『そもそも虐待とは何か』についてお話ししていませんでした…(^ ^;)

なので、今回は虐待の定義とその現状についてお話ししていこうと思います。

まず、虐待の定義についてです。

日本の厚生労働省は、子どもに対して以下の行為があった場合に、それを児童虐待と定義しています。

虐待その1)身体的虐待…

殴る、蹴る、叩く、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など。

特に乳幼児の場合、激しく揺さぶられて脳にダメージを受けて亡くなってしまう場合もあります。

また、一時期縄などで子どもをベランダや屋内の一室に拘束・監禁して餓死させたり、凍死させてしまったりといった痛ましい事件も頻繁に報道されましたね…。

さらに以前このブログでも取り上げた、実の母親とその内縁の夫に虐待されて亡くなってしまった藤本羽月(うづき)ちゃんも、殴られるだけではなくネクタイで縛られたり首輪をつけて拘束されたりしていたようです。

そして最期は顔面に大やけどをおわされて亡くなってしまったんですよね…。

どうして『前の夫に似ている』というだけで、3歳の子どもにこんな仕打ちができたのか…!!僕は未だに理解できませんし、きっと理解できる日は来ないのだろうなと思っています。

虐待その2)性的虐待…

子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする など。

僕はもちろん、虐待は全て悪であると考えているのですが、中でも性的虐待はそれこそ最低のものだと思っています(本当はもっと強い言葉を使いたいのですが…読者の皆様の気分を害してはいけないので、自粛しています)。

自分の欲望を満たすために、子どもを肉体的にだけではなく、精神的にも深く深く傷つけるのが性的虐待です。

性的虐待の加害者は、自己中心的で相手の事を人間とは思っていません。自分の性欲を満たすための道具としてしか見ていないのです。

『自分さえよければいい。相手の痛みなど分からない、知ったことではない』という、いわゆるサイコパス的傾向ですね。

最近では2017年に、ベトナムと日本のハーフで小学3年生だったレェ・ティ・ニャット・ リンちゃんが渋谷恭正(しぶややすまさ)という46歳の男に性的いたずら目的で誘拐され、殺害されるという痛ましい事件が記憶に新しいですよね…。

近所に住み、PTAや保護者会会長でもあったこの男は、自分の欲望のためだけに何の罪もない少女を誘拐し、性的に虐待し、それだけに飽き足らず殺害したのです…!

かわいそうに、リンちゃんの絶望や恐怖はいかほどだったでしょう…。

僕は未だに彼女の事を考えると、悔し涙が出てしまいます。

10代後半から20代前半の若者の間ではジョークの様に『自分はロリコンだ』などという人もいますが、僕はその中に本物の犯罪者予備軍が隠れているのではないかといつも目を光らせています…。

彼らにもこうやって被害に遭った少年少女たちの事をきちんと考えてもらいたいです。

そうすれば、冗談でも『自分はロリコンだ』など言えないはずですから…。

僕はこういう所でも社会の意識改革が必要だな、と感じています。

虐待その3)ネグレクト…

家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など。

一時期、親がパチンコに夢中になっていて子どもを車の中に放置し、熱中症で亡くなってしまうという事件も沢山ありましたよね。

また、食事を与えない、家に閉じ込めるなどは、一昔前だったら恐らくは『躾だ』の一言で見過ごされてしまっていたでしょう。

考えるだけで恐ろしい話です。

ですが、こういったことが虐待として社会に浸透してきているのはとてもいいことだと僕は思います。

以前お会いした法律家の方がこう仰っていました。

『犯罪がある社会は健全である』、と。

僕は最初、何のことだか分からなかったのですが、確かにその通りですよね。

“その社会に犯罪が存在する”ということは、”ある物事が犯罪として認識される社会である”ということなのですから。

それで行くと、虐待を虐待として認識し始めたこの社会は、確実に良い方向へ進んでいるはずです。

僕も微力ながら、その手伝いができればいいな、と思っています。

虐待その4)心理的虐待…

言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV)、きょうだいに虐待行為を行う など。

その子に直接手を下したり、無視したりすることだけではなく、他者に対する虐待や暴力をみせることも虐待になる、ということですね。

以前のブログでも少しだけお話ししましたが、子どもに暴力をみせたり、躾と称して暴力をふるってしまうと、その子は『暴力はれっきとしたコミュニケーションツールの一つなんだ』と認識してしまいます。

当然その歪んだ認識で幼稚園や小学校など集団の中に入り生活してしまうと、お友達をたたいたり噛みついたり、そういった暴力行為に出る確率が、歪んだ認識を持たない子どもと比べると段違いに高くなってしまいます。

また、当然大人になっても虐待を受けていた子どもは暴力事件を起こしたり、自分の子どもを虐待したりといった確率も高くなります。

まるで呪いの連鎖ですよね。。。

近年では、子どもへの虐待に対する法制度も改善され、昔よりはるかに多くの子どもを虐待から救うことができる様になりました。

ですが、それでも毎年50人を超える子どもたちが虐待の犠牲になっているのが現状です…。

なんとかこの現状を変えていきたいというのが、僕の人生の目標です。

少し熱が入って長くなってしまいましたが、今日のブログはこれで締めようと思います。

本日も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。

久保友宏

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