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飛び立つ前触れ。現実を受け入れながら夢を描く。

いやはや!!前回のnoteが9月更新。。。
現在11月24日なり。。。
忙しい夏の仕事がひと段落し、自然と心に余白がじわじわと広がるーそこに風が吹き込めば揺れて振動する。振動すると溢れ出す。
それが飛び立つ前触れ。今日はそんなちょっと、感覚的なお話。
どっちかというと自分のための記録と整理のためのnote.でございます。

冬の匂いがもうする頃。

7〜11月は大きな起業プログラムサポートの仕事。
昨年から関わっているが、結構なエネルギーを使う、学びもあるやりがいある時間だ。しかし「デザインして服を作る」ものづくり脳を動かして普段活動している私にとって、この時期は一旦左脳メインの指示でバリバリと計画的に動き人と対話し、サポートしていく。ちと、普段と違う脳の動かし方をする時期と感じている。
その仕事もひと段落し、ふうーと一息入れた頃。たくさんのものが、雪崩のごとく押し寄せてきた。(決して悪い意味ではなく)激しい11月の後半だ。



感動は共有して大きくなる

「きれいな空ね」「おいしいね!」「楽しいね!!」
さまざまなことで共感というのは生まれると思うが、同じ瞬間に多くの人々と喜びを共有することで感動は大きくなる。
だから、ひとりではなく、誰かと、なにかを共有したくなる。

お店の存在ってそういうことを共有するためのとても素敵な場所だと私は認識していて、自分が提供する側であるときは「このお店の空気を通して」人と人がつながって、きれいだねかわいいね素敵だねの共感を大いに感じてほしい、それは私とお客様、だけでなくお客様同士、その場にいる方々同士の、共感がそこに生まれたら♪ と思ってお店づくりをいつもしている。

また、自分が好きで足を運ぶ場所でも、そんな「この場所ならでは」の空気を共有し集う人々がお互いに共感し、笑顔になる、そんな場所が好きで選んでいるなと再認識しているけれど、
今、
心に余白が広がってーそこに新たに生まれた共感や、感動。
たまたまこの時期、見たもの感じたもの。それがリンクして、大事なものがなにか?より自分の中ではっきりと見えてきたのである。



うまく言い表せないもの。


結局そうはいっても、自分の言いたいことってうまく表現できないことばかり。
ひねくれたり、くだらないことを気にしたり、ありのままでいたいとおもってもいろんなものがそれを邪魔する。
みんなそうなのかなあ?そうじゃないでフラットでいられるのってそうそう簡単でないといつも思う。
まあ、必ずしも、なーんにも気にせず言えちゃう!ことがいいともおもっていないし(人を傷つけたり、気遣いがまったくそこになくなっちゃう)、だからこうであるのだけど、その狭間で揺れて苦しいことって結構ある。

だけど、そんなだから、だからこそ、「表現」というのが存在するのだと思う。
わかりやすいとこでいうと音楽。社会へ対する怒りや強い反骨精神を表現したり、はたまた届かない愛の気持ちを歌ったり。想いの根源は違えど
自分の伝えたいものを、メロディーにのせて放つわけである。

絵画はきっと、相手に届いたときには意味が変わっていたっていいそんなの意味は成さない。自分から湧き出るものの「現れ」を湧き出る泉のごとく描くのだろう。泉にならず苦しみながら生まれてそれが芸術だなんてことになったりもするのだろう。説明的な絵画もあるのだろうけど。

なにを表現するにせよ心の中に生まれた「感情」が自分のフィルターを何枚も通過して「作品」となって生まれでてくるのだろう。

そして私も、やっぱり 考えてつくるときじゃなく、「自然と作りだす」ものはそういったなにかしらの「心の揺れ」=感情が元になって作るというおおきなエネルギーになっている、、、と再認識したし、なによりそうエネルギーを動かしていくべきだ、と、大切なことを思い出したような気持ちになった。



フラットな視点で世界を見渡す

苦しいなと感じながらも、理想を描くってのは飲み込まれると難しいなという気持ちになるのだけど、苦しい、とか、なにか完全じゃないからこそ、
より追い求めたいと美しいものを描く力や、素敵なものをイメージできたりするとおもっていて、

ちょっと調べごとをしていたらそんなことを紐解くような興味深い文章をforbesの記事でみつけたのであります。


「現実を受け入れる」と同時に「夢をまっすぐ見る」

「現実を見ること」と「夢を見ること」が矛盾しうるのは、人は限られた思考枠の中では左を見ながら右を見る、というのがなかなか難しいからです。さらには、主観が付加されると、その主観の対象とする思考枠と自分の結合が強くなってしまい、両方の思考枠で見ることができなくなってしまいます。

とあります。それを見る視点の位置、によって認識が変わるということですね。また、主観によって、また視点がかわる。


では複数の思考枠を認識するためにどうしたらいいかというと、左を見ながら同時に右を見ること。不可能に思えますが、適切な距離を置いて全体を見てしまえば簡単なことになります。
つまり「世界を純粋にまっすぐに見る」とは、「あらゆる思考枠の視点を持つことを純粋に受容することだ」と考えています。
出典「現実を受け入れながら夢をみる」より


そう、全体の思考を俯瞰してみる。
そして、その、あらわれるさまざまな思考枠の視点をそれぞれ持つ。
「矛盾は存在せず、複数の主観的思考枠の視点が存在するだけ」であると。

そうだ、普段から自分この思考で、現実を歩みながら次のつくりたいもの行きたい世界のイメージをつくっていたなあ!と、紐解けたし、紐解くとさらに頑張れる気持ちが湧いてきた。

それに、自分の思考だけの話でなく、「あらゆる思考枠の視点を持つことを純粋に受容すること」というのは、さまざまな人の考えの思考点を持つ、そいうことができたら、自分の認識の世界はもっと広がって、今よりちょっとだとしても、人に優しくなれるはずだ。


ここからどこへ?

さて、現実的にも、期間限定でやっていた今の場所でのお店も一旦12月で終わりになる。それが「どこそこへ移転します!」というわけではない。
でも動きとしては、来年の計画も色々ともう練ってあるのである。

ここにいたから出会えた人が沢山いた。
沢山楽しい時間が溢れた。だから寂しさも満点!そんな心の揺れもある。

だけど、今までと違う。
この流れ、とっても面白いとも感じている。
この先に起こすアクションで、
あらたな共感、共有の渦。を、もし新たな形で生み出せるとしたら?
そこから何を作り出すことができるのか??そこに存在する誰かと一緒になにか創ることのたのしさをメインにして、ちょっとそんな思考で、
「現実を受け入れながら」「夢をみてみよう」とおもっている。

夢をみる、といっても「こうなる!!」と決め込んだものでなく、そこに偶発的に生まれるものにワクワクしながら進んでみよう。そんな気持ち。

こんな進み方ははじめて!!
なんだ!この新しい自分は!このワクワクする、前向きなパワーは!
。。。と感じている。w

そう、実は色々あった。
お盆には流行の風邪、ずっとぼんやりした体調不良、そして愛車とのさよなら、、、余計に自分の軸が少々揺れていた。諦めかけていた。

だけどいま!!生き返った感覚。まだわたしは生きていた。
諦めたくない。自分が心地よいを感じれる瞬間を作り続けることを、諦めたくない、と。まだ笑っていたいのだと。。。
さまざまな自分にしかわからない過去や、心に錆び付いてとれないものを思い出してしまうときは「揺れて」決して楽ではないけれど、
だからこそ、目指したい世界がとても煌めいていて、そんな自分だから描ける世界があるとしたら?そして自分だけでなく、そこから共感でつながることができて広がるとしたら?

偶然今晩目にすることができた
現実を受け入れながら夢を見る 「矛盾」がある人が実は強い理由
の記事を信じてみて進もうとおもった。

残酷な現実を直視しながら、世界を純粋にまっすぐ見渡すことは、大きなことを成し遂げるに値する大きな力となります。他人の矛盾を突くことに夢中になったり自分の抱える矛盾に悩んでいる場合ではない、と思います。

無駄なことに目を向けず、自分のやるべきことに集中して、ただ進むだけ。そう改めて思えたでした。さまざまな現象、繋がり、見せてくれてる走る姿に感謝。ありがとうございます。

今日はほんとに、今までにないnoteの内容でなっちまいした!!
最後まで読んでくださったあなた、ありがとうございます!

さあ明日からも頑張るわよっっさらにhappy///に笑って過ごしていきましょう◎


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