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「9525」それは、過去と未来を繋ぐ数字。今凹んでいる全ての人に贈る物語。



構想から30年。1995年と2025年が交差する
1995年、薬害エイズ訴訟の最前線で燃えた若者たち。2025年、パンデミックに揺れる世界で再び浮かび上がる問い。
そして長い歳月は彼らの情熱と苦悩を変えたのか。

「早く大人になれ」
そう言われて僕たちは育つ。でもそれは、給料と安定という名の麻薬の代わりに夢、自由、真実を諦めろ、俺らみたいに汚れるのが立派な大人だ、というメッセージだ。それは30年間変わらない。芸能界やテレビ局の醜悪な姿。平気で金のためならなんでもやり、女性を奴隷にし、都合の良い仮想現実をスクリーンと音声で垂れ流す。アレを飲み込め、というのがこの国の「大人になれ」だ。そんな仮面をつけて生きるの息苦しかないのかい
今怒らないでいつ起こるんだ⁉️

口を開けば「イノベーション」の連発。役人の中間管理職に、現状と保身を壊すことなんてできるわけがない。イノベーションて破壊的発明だろう。ジョブやイーロンが従順ないい子さんだった訳がない。

1995年、僕たちは大学生だった。渋谷の街は小室ファミリーのダンサブルなビートや、渋谷系のポップで洗練されたサウンドに包まれていたけれど、僕らが生きていたのはもっと荒削りで生々しい世界だった。

Nirvanaの叫び、Oasisのアンセム、そしてRadioheadの不安定なメロディ、Beastie Boysのアグレッシブなフロウ。それは、僕ら自身の不安や葛藤を代弁してくれるような音楽だった。

あの頃、日本中が薬害エイズの問題に揺れていて、川田龍平は厚生省の前でマイクを握り声を張り上げていた。僕もビートを鳴らし、自分で作ったラップミュージックに言葉を重ねた。龍平の声は僕らの代弁者で、彼が叫ぶたびに街に響くあのリズムは、まるで社会への殴り込みのようだった。
あの頃、龍平は厚生省の前でマイクを握り、

僕たちは国に殺されているんです!」
と叫んでいた。

僕はその横で、彼の声を支えるリズムを刻んでいた。そのマイクが、音楽が、愛だった。真実を伝えるために僕らは夜通しビートを鳴らし続けた。そして遂に厚生大臣が全面謝罪した。製薬会社の幹部たちは土下座をした。僕たちが本当に国や巨大利権を動かした瞬間だ。

でも、それだけじゃなかった。僕には恋というもう一つの追い求めるものがあった。ショートカットにブルーのセーター、ミニスカートと黒のロングブーツがよく似合う、男子だったらすれ違った瞬間、誰もが振り返るほど、可愛い子。彼女は僕にこう言った。
「あなたの音楽は、ただの怒りじゃなくて自由を感じるの。私も自由になりたい」
その言葉はずっと僕の中で鳴り響いている。

けれど、1995年の僕らは自由なんて手に入れていなかった。音楽で叫び、愛を信じ、社会と戦っても、答えはいつも逃げていった。そして、時間は残酷だった。僕らは離れ離れになり、あの頃の仲間や愛する人たちと、いつしか疎遠になっていった。

2023年、僕はドバイでステージに立っていた。照りつけるライトの中、名前を呼ばれた瞬間、拍手と歓声が響く。その手には賞状が握られていた。だけど僕はその場で、25年前のあの夜のことを思い出していた。
時間はいつも残酷だ。気づけば僕は、音楽も仲間も家族も仕事も全てを失って、愛猫の3歳の愛娘ミューと暮らしている。

それから30年が経った。僕は50代になり、龍平とは一度だけしか会ったことはない。でも、あの時のラップやビート、そして怒りや無力感は今でも僕の中で鳴り続けている。2025年の今、世界はかつてと同じように矛盾だらけで、誰もがもがき苦しんでいる。僕は思う。あの頃、僕らが音楽を通じて声を上げたのは、未来のためだったのかもしれないと。

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