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『映画芸術』2019年11月号寄稿文「私はこれで決めました」

ゆきずりの関係なら、何度か。それ以上「映画」と深い関係になったことなど、ない。そう思っていた。だが、「映画」のほうはそうではなかったらしい。気がつくと10本をゆうに超え、20本に迫る「映画」と関係を、持ってしまっていた。だから、何かのまちがいで郵送されてきたこの執筆依頼も、受けるしかないのだろう。
ぼくの仕事はテレビのカメラマンだ。街場の小さなテレビプロダクションで、食うや食わずの金で、20代の修行時代を生きてきたテレビカメラマンだ。そこにはもちろん「映画」はなかった。中野区上高田一丁目の、六畳一間のアパートで、息を潜めて生きていたぼくは、形ばかりの「映画」の学校は出ていたけれど、「映画」を仕事にするつもりなぞなく、何者でもない己にたいする鬱屈を抱えながら、言われるがままに、昨日はトルコ、今日はインド、明日はイタリアと、世界を冒険する華やかな探検家たちが乗るガレー船の船底でひたすら櫂を漕ぐ奴隷のごとく、世界を紹介する華やかなテレビ番組の制作の裏側で、三脚とバッテリーを抱えてよたよたと走り回っているばかりだった。
1998年。ビデオカメラが小型にデジタル化され、片手に収まるおもちゃのようなハンディカメラでテレビ番組の撮影が可能な時代になっていた。27歳のぼくは、そんな時代の波に押し上げられ、デジタルビデオカメラを扱う「おもちゃのカメラマン」として、独立することに成功していた。ぼくは、おもちゃのカメラで、20世紀末の日本の現実を撮影することに夢中になっていた。犯罪者や、暴走族や、不法滞在者や、ホームレスの生きかたを、小さなデジタルビデオに焼き付けることが仕事となり、生き方となり、己の生を充実させるありようとなっていた。つくりごとの「映画」なぞには、興味すらなくなりかけていた。そんな時だった。
噂を聞いた。僕が手にしているのと全く同じおもちゃのカメラ、SONY DCR-VX1000で、全編を撮影した「映画」が、世界で初めて南アフリカで誕生したらしいと。アムステルダム・ウェイスティッド。久しぶりに映画館で見た「映画」だった。衝撃的な「映画」だった。アムステルダム、ドラッグにまつわる不良たちの狂騒が、ぼくの眼に馴染んだデジタルの画質、おもちゃのようなデジタルの質感、肌をチクチク刺してくるようなあの感覚で、スクリーンから立ち上っていた。つくりものの「映画」のはずなのに、そこにリアルはあった。おもちゃのカメラでしか入り込めない現実、撮り手のありようまでも透かし出すきらびやかな貧しさ、レンズのこちらのぼくの貧しさと、レンズのむこうの相手の貧しさとの奇妙な共犯関係。そんな、おもちゃのカメラが可能にさせてくれた、ぼくをこの世界に立たせてくれる居場所。その感覚、ぼくを生かしめている確かな実感が、その「映画」にはあった。久しぶりに「映画」にざわついた。予感がした。間をおかず、その「映画」を監督したのがオランダに亡命した南アフリカ出身のユダヤ人と知り、彼が次回作を日本で撮ると知り、そのプロデューサーがぼくの知人であると知った。そして、運命のように、あらかじめ決められてあったかのように、そのプロデューサーから電話がきた。曰く、カメラマンが撮影初日に監督と衝突し「映画」を降りたと。ぼくに「映画」の続きを撮影してほしいと。ぼくがおもちゃのカメラで撮影するカメラマンであることをプロデューサーは知っていた。そのあたらしい「映画」も、同じおもちゃのカメラ、VX1000での撮影だった。だから、噂で聞いた遠い国の出来事と、東京の地べたを這いずるぼくの日常が、不意に一直線につながった。南アフリカ出身の亡命ユダヤ人監督、イアン・ケルコフとぼくは、こうして出会った。イアンもやはり、きらびやかなデジタルの貧しさに、チクチクする生の実感を求めていた。アパルトヘイト反対運動で逮捕され、懲役徴兵を拒否してオランダに亡命したユダヤ人監督もまた、己の生の実感を、映像の貧しい質感そのものの中に塗りこめたい、と願う男だった。おもちゃのカメラが顕す作り手側の貧しさこそが、「映画」を規定する世界のありようを逆照射する。その感覚こそ、ぼくが「映画」に求める手触りであることを、このとき、改めて、自覚した。『シャボン玉エレジー』と名付けられたそのちいさな「映画」が、ぼくと関係を持ったはじめての「映画」だった。27歳のぼくは、おもちゃのカメラマンと揶揄されていたぼくは、初めて「映画」と己の正しい関係を見出した。若松孝二と出会う4年前の出来事だ。
だからぼくは、今でも高価なカメラは好きではない。ちっぽけな自分に似たカメラ、ちっぽけな自分のありようを、それでも肯定してくれるカメラが好きだ。 

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辻智彦
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