まだ君は世界を創れる その1 社会適用性
「すみません、ちょっとトイレに行ってよろしいですか?」
僕は大学院を中途半端な形で中退し、某企業のグループ会社に就職活動をしていた。
面接は2人同時に行われ、僕ともう一人の相手は僕よりも2、3歳は若いだろう。面接官は優しい40代ぐらいの男性。
「なぜ弊社を希望されたのですか?」
「今後、弊社で何をやっていきたいですか?」
そんな質問に若者は的確に答えていた。僕はただ、面接官の背後に見える、広い海の青と木々の緑を全身で感じていただけだった。
あ、俺に質問されているかも?と感じた時、急激に緊張感を感じ、自分に戦慄が走り、どうしても席を立ちたくなる。
立ったらもう、面接は終わりだ。迷う自分。でも立とう。
「すみません、ちょっとトイレに行ってよろしいですか?」
その瞬間、面接官は驚いた顔で「いいですよ」と言った。
僕の就職活動はこの時に終わった。
この時を境に、2度と就職活動はできなくなる。そう、僕は社会適用力の無い人間なんだ。
小学校1年生の時に、絵画の授業で「牛」の絵をクレヨンでみんなで描いた。
僕は絵画は大好きで、得意顔で大きく牛さんを描いた。でもどうしても、顔が描けない。思い切って描いたら人みたいになった。ちょっと恥ずかしかった。
朝、学校へ行くと、みんなの絵画に金賞、銀賞などの賞が与えられていた。
なんと、僕の絵にも金賞が。
とても嬉しかった。
その時、他に金賞の福井くんの絵を見ると、福井くんの牛の顔は本当に写実的に描かれた牛だった。牛の顔の牛なのだ。これに比べると自分の絵はとても残念なできに思い、急に自分の絵が恥ずかしくなり、なんで人みたいな顔の牛なのに金賞なんだろうと、苦しくなった。
絵画は写実的であるのが正しいと思い込んでいたからだ。それから、あまり絵を描くのが好きでなくなった。
2023年現在。僕は弁理士として人を雇用し、九州を走り回っている。
あの時の自分に言いたい。
君が社会適用性がないのではなく、社会が君を受け入れる入口を整えていないんだよ、と。
君が描いた人みたいな顔の牛は、素晴らしい絵画なんだから胸を張って!って。
僕らの大切な自信や個性は、ちょっとした出来事から、失われてしまう。それでも自分を貫けるほど強い人間は多くない。
まだ、今からでも、君は自分が満足できる世界を創れる。その方法は君が君を許すことがまず第一歩なのではないでしょうか。
僕は、今、運良く、発明、特許というアイデアを扱う仕事をしているので、ご自身のアイデアで未来を創った発明家、事業家、起業家に会う機会をいただいています。
弁理士は、あまり知られていませんが、弁護士と違って、未来を創る事を支援する士業です。
例えば、弁護士が過去の残念な出来事の清算を支援する士業ならば、弁理士は、未来に価値のあるものをどう守るか攻めるかを支援する士業なのです。元々自信が無かった自分は弁理士を通じて、未来を前向きに創る人達と出会い続けて、覚醒を始めました。
続く