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「あきらめ」の見極めで現実が動く

みなさま。いつもありがとうございます。
こんにちわ。こんばんわ。今日も心身の力抜いてお読みください。

今日は「あきらめ」という言の葉がひらり落ちてきたのでこのお題で綴ってみたいと思います。



ここ数日で経済や世界情勢で情報も渦や竜巻が起こっているようです。
今起こっている事は、もう決定して皆に分かるように時代移行させる映像段階です。
株価が日経平均がと言っていますけど。単純に介入以外は円高が治まらない限り、総売りは止まらないです。それがバブルではない自然な実態経済です。そして、今回は現行ドルウォール街を終わらせるために進んでいるのですから、ドル1円までいきます。総売りです。
辛辣で申し訳ありません。NISAは最初から外国に金渡す詐欺だと分かっていた話だと思います。
米国のFRBの利下げ次第で。と言っても、議長のパウエル氏を指名して辞めさせないでここまでやらせている人はトランプ氏です。FRBの旗にまで金色の縁取り(軍事統制下 作戦遂行中)になったのもその時からです。
過去にも時事に触れていますので、是非お読みください。難しく解らない部分がございましたら是非、ご質問をくださいませ。
楽しんで、過去の自分も蹴り飛ばして、終焉後の新しい時代創りを今から大いにやっていく時ですね。
次の子供たちの時代に淀んだ大人が創った時代をリレーしてしまうのは不本意ですから。。。うんと開いて穏やかに参りましょう。


ただ。この数日の時事にある大きな渦に対して、「後ろ向きな印象」あったとしても、「渦の真ん中は大丈夫」を感じていてください。
この混沌や不安に対する乗り越え方に、どういう「方法論」を撰んで進むか・・・ではなくて。「自分をじっくり見つめて新しい自分を」というお話を綴らせていただきます。ふんわり、じんわりと言の葉を乗せていきますので気楽にお付き合いくださいませ。


あきらめの「あき」

「あき」が奏でる音は「秋」と同じです。
秋。「実りと収穫」の「あき」と同じなのです。
生まれた根源の氣が様々な方向に開いてゆく響き。
紅葉の秋でもあります。暑い夏に必死に水と日光を吸収した葉が色を変えながら「実り」と「実りに宿る未来の希望の種子」に全エネルギーを注いでゆく姿が紅葉でございます。

代表する全力ながら生命力の穏やかな姿は桜花の理。
育ち、咲き誇るから散る姿も美しい桜の姿と同じ理を、紅葉に重ねて、人の感性は神々しく厳かと感じるのではないのではないでしょうか。
日本語を使う先人は、これをどんな音に伝えるかを言葉に愉しんだで残してくれたのだと感慨深く思います。

春と秋。四季で緩やかで穏やかな気候の時期だから、目立って生命の力が人の眼に魅かれるのだと思います。

四季ある日本の国に生きる私たちは極端と緩和の時期の太極図の全てを味わう機会に恵まれた民です。
「人も自然」です。物質文明が進み電化製品も充実した今。夏と冬の、猛暑や厳しい寒さの時期には気分の起伏も極りと極りへの憧れが大きくなります。暑ければ冷たさに憧れる如く冷房を使い、寒ければ暑さに憧れる如く暖房を使います。しかしながら。春と秋の気候が穏やかな時期になると、直観と本能的に「風流」を感じられる。


夏冬の時期。例えば。涼しい場所行きたい。冷たいサッパリ食べたい。温かい場所行きたい。温かいもの食べたい。という「極端を極端に反応」が生存本能から生まれてきます。豊かな経験値と叶える物質あるからこその生存方法が思考できる物質繁栄時代の強みですね。


春秋の時期。不思議とこの混沌期でさえ気候の穏やかさが「自分で選ぶ心の余白」を次々と生んでいきます。「緩和のあいまいな時期」でもあるため、厳しい気候の時期には「それでも描き祈る実り」を強く持つ必要もありますよね。大自然と違って我々人間は自我と煩悩がありますから、本能と直観よりも、環境影響から書き換えられた意識の生存欲が大半を占めてしまう生物です。新しいここからの時代はなんとなく周りに従ってではなく、「意識」
「意志」を自分で持つ事を地球が人間に求めているようです。
冬の成長は春に現象となり 夏の成長は秋に現象となり
そして実りの「あき」には繁栄の種子が宿る。


「意識」「意志」つまり、自分の心、魂の中に「イの次元」瀬織津姫を取り戻すことだと言えます。
神社にある大祓祝詞が奏でる五十音図の音でこの部分があるんですよね。
瀬織津姫は古事記に登場しません。大祓祝詞には登場します。
それは、古事記の神々も祝詞に出る神々も、人物像ではなく、「精神構造」と「現象構造」の音を表しているからです。
祝詞も古事記も頭で考えるよりも黙読よりも音声を聴くよりも只々空の自分で声の音にして読むことが、「種まき」から「収穫」までを清々しい自分で明晰に感じながら未来を開いてゆくことができます。

雨が降らなければ葉を広げ、根でなく水分を吸収する進化をして、縦に伸びるのでは太陽を浴びられなければ、横に枝を伸ばす進化をして。

大きな視点で見つめると希望を断念する「諦め」の姿とはちがいますね。
外界と競い合う生存競争でもありません。
土。そこに生きる微生物。昆虫や動物。天候、気候の変化。
抗うのではなく、完璧な共生を達成しています。

人が植える作物はこれとは違います。雑草あれば実り減り、虫に食われ。
だから、それに対して農薬であったり「方法」を探し選ぶ。
その土地その土地の土と生態系に合っていないだけなのですが、その土の方を改良しましょうという「方法」をまた探し選んでいます。

最近では「自然農法」を実践と研究して進める素晴らしい方々が、その土地の土や微生物たちの生態系に合わせて元気な作物を上手に作る錬金術を開発していますので変化は始まっています。


人の小我にある保身と自己防衛の欲の根源から出るものは、「上手く誤魔化す」「上手く従わせる」「上手く手にする」のような「方法論」を頭脳で生み出そうとするため「希望の断念」の意味である「諦め」となります。
大自然の一部である自分から離れてしまっている「根底の諦め」が、自分を進化させない「保身のさなぎ」にしているとも言えるでしょう。

だからといって、現在の多くの社会環境は、この「根底の諦め」が渦巻いてきましたから。なかなか、分っていても、さなぎから出れない事も多いでしょう。例えば「生活のために」「お金のために」という不安と恐怖心がまたさなぎの殻を厚く硬くするものです。

「自分の今」「自分が過ごす環境」を自己否定したくないという自我で俯瞰して見ることが困難になる事も多いでしょう。
共生でなく依存となった時に自分の葉を広げ、枝を伸ばすような自己の進化ではなく、しのぎ方の「方法論」が上手くいくかどうかが進化だという錯覚がまた、さなぎから出て羽根を開いた自分を閉じ込めてしまいます。
少し辛辣に感じる方もいらっしゃるとおもいますが、今までがこうした「根底の諦め」の時代でもあったのだと思います。

どんな方法かよりも、どんな精神的成長ある自分になっていくかの道に入った時こそが自分の実りと実りに宿る新しい種を手にします。


根底の「諦め」が潜在意識にありますか

根底の「明らめ」を潜在意識に書き換えますか

自分の内側の核にある「諦め」が「明らめ」になった時が現実の動く時です


穏やかに清々しく涼やかに、ゆったりとした呼吸の時を大切にしながら
しなやかで優しい時代に進んでいきましょう

今回もありがとうございます。
今後とも宜しくお願いいたします。

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