真ん中を歩む勇気
みなさま、こんにちわ、こんばんわ。
いつも、私の世界空間にお越しいただきありがとうございます。
この瞬間は「真ん中」「中道」というお題で言葉を綴ってみます。
ここ数年、特にここ最近は様々な情報と情報に対する感情が、実相を置きざりに「こっちが正しい」「それは間違っている」と様々な飾りつけを増やし、実相が埋もれるかのように争いが増えているように思います。
平和を求め、正義をかざし、いつしか自我の優位性を求める人の世。競争原理の世の中の末が目前なのだなとも感じています。
この想い言葉の乱れる現象を「バベル」と言います。
バベルの塔が崩れ去る時はこのようなものなのかと悲しくも争いに紛れ込むことなく、和合調和の世界を祈ります。
真ん中に自分を存在させること。
二元論の真ん中は競争原理が抜けぬ世では「グレー」「あいまい」「自分がない」などと、どちらかと言えば負のイメージで言われる場合があります。
飽くまでイメージなので、真ん中で直観と本能を相談する自分が軸であることならば、それでいいのです。
無関心に愛が薄れている場合は幼き自己の問題もありますが。
争いとなる時の疲弊や苦しみもありますが、真ん中で進む時にも時には理不尽、不条理な苦しみを味わう瞬間があります。
真ん中でいる。という事は。。。
右から見れば真ん中も左
左から見れば真ん中も右
上から見れば真ん中も下
下から見れば真ん中も上
そう、競争原理、二元論に至る感情の念や、自己優位性を主張させたい承認欲求が強い世界の方々から見れば、どの角度からも「敵側」なのです。
面白いものですね。
しかしながら。
物事や現象の実相を冷静にありのままに見て解決に導く試行錯誤は、どちらを採るか?ではなく、実相を埋もれさせないようにコツコツと解いていく、偏りを薄めた「中道」「真ん中の道」が平和でしょう。
ちなみに、この偏りを薄める「ウスメ」は、古事記でアマテラスが岩戸に隠れたところから、踊りで導き出した「アメノウズメ」の名が表す言葉です。
ただの余談です。古事記が「日本語五十音図」で指し示すものも面白いので、たまに脱線させてください(笑)
軌道修正。
真ん中でいる時は四方八方から揺さぶられる事も多いでしょう。
現在の政治や社会構造の決定自体が、権力的な力や物質での優位性争いで勝った者が決める常識で世界が回っています。
ただ。もうすぐ「道徳から考える世界」でなければ、ひとが誰も生き抜けない民生自治の時代がやってきます。
右に倒れそうな時は右足を出して踏ん張って
左に倒れそうな時は左足を出して踏ん張って
中道を穏やかな清々しい気持ちで歩む仲間が多く存在してゆければ
どんなに素晴らしい未来が生活に、日本に訪れることでしょうか。
今回もありがとうございます。
今後とも宜しくお願いいたします。