その2 大正モダンな 黒浜のママ
どうも。黒浜のママの人形たちと一緒に、かっぱえびせんを食べていた
むらさき納言です 🙂
前回のお話は、こちら
その頃、黒浜のママのところに近所の人たちから庄野(しょうの)さんと
呼ばれていた男性が、足繁く通っていた。
庄野さんは、子供の目から見ても
ママより、ひと回り以上は若い感じだった。
彼は、ママの家の掃除をしたり、草むしりなど庭の手入れ、そして人形たちの小物などを作る木工作業をしたりしていた。
多分、人形たちのベッドや椅子も
庄野さんが作っていたと思われる。
庄野さんは、いつも黙々と働いていて、声を発したところを聴いた事がなかったし、ママと会話しているところも見た事がなかった。
私は、ずっと親戚の人なんだと思っていた。
私が40代の頃、ふと思い出して、実家の母に聞いてみた事があった。
「昔、隣りに黒浜のママって居たよね。 いつも来てた庄野さんて男の人さぁ、親戚の人なの?😗」
母は 即答した。
「違うよ。 ツバメだよ🐧」
「 なんだすて…😳💦」
黒浜のママには、大工の旦那がいて
その見習いが庄野さんだったのだ。
昔は住み込みで、見習いが親方と寝食を共にする事も珍しくなく、子供のいない黒浜家で、3人で暮らしていたと言う。
そして庄野さんは、ひと回り以上も年上のママを心底、好きになってしまったのだ。
その後、庄野さんは黒浜家を出て行き、ママの旦那も去って行ってしまった…
黒浜のママは ひとりぼっちになった。
それから人形たちを可愛がるように
なったらしい。
私が知る黒浜のママは、いつも人形を抱っこして、近所の人たちと大声で談笑する、明るくて豪快なイメージしかない。
そんな男女のいざこざがあったよう
には考えられず、子供だった私には
全く伺い知れぬ事であったのだが、
当時の大人達は、自然に受け入れて
寛容だったのかもしれない…
いつしか庄野さんは、ママのところに現れるようになり、身の回りの世話を終えると、また自分の家に帰って行き、決して一緒には暮らさなかったという。
空き家になった黒浜宅に、庭の草むしりや人形たちの手入れをする初老の男性がいた…
ママがこの世からいなくなっても、
ずっと通い続けていたという庄野さん…
この家も 今はもう無い…