プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その2

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』が到着して聴いてからのレビューを連載する。今回は2回目(大幅加筆訂正済)。

到着前に憶測レビューしたのはこちら(一部加筆訂正済)。

https://note.com/tomohasegawa/n/n6cebb33dfea0

Born 2 Dieのレビューはこちら。

https://note.com/tomohasegawa/n/nfae311749749

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その1

https://note.com/tomohasegawa/n/n96facb6a5dc0

プリンスとタル・ウィルケンフェルド、クリス・コールマンの3人を中心に、シェルビー・J、リヴ・ウォーフィールド、エリッサ・ディーズ、そしてモーリス・ヘイズを加えて10年3月10日から3月19日まで行われた集中セッションが元になっているアルバム『Welcome 2 America』。実は19年にプリンス・エステートが収録曲が異なる3つのコンフィグレーションを発見しており、この3つのマスターからミスター・ヘイズが最終的なトラックリストを作り直し、その新しいマスターを使って今回リリースされている。それは3つのコンフィグレーションの内「Cause And Effect」が収録されていたヴァージョンのトラック・リストと類似しているという。尚収録されている曲は技術的なミックスを施す必要はないとし、発見された際のマスターの音源をそのまま使っているとのことだ。

「Born 2 Die」までの3曲聴いて違和感を感じた部分がある。それは曲間だ。ポンポンと楽曲を放り込んでいる印象。繋がりがないため(クロスフェード的なものをクドく入れるのは僕も好きではないけど)、このアルバムは未完成なのだな、と思わせる要因の一つだ。その3曲はモーリス・ヘイズがコ・プロデュースをしているというのに(モーリスのコ・プロデュースは実はアルバム全曲ではなく、ほぼ半分しか行っていない)。『Camille』というやはりプリンスの未発表アルバム(86年秋に企画)は、そのオリジナルのアセテートが存在しブートにもなっているが、それも曲間が数秒開いている所があった。トラック・リストが既に判明していたため、寧ろブートレッガーが独自にコンパイルした昔からある『Camille』の方がアルバム然としていた位だった。『Welcome 2 America』の3つのコンフィグレーションは果たしてどのような曲が収録されているのか、そして曲間はどうなっているのか、今後それらはリリースされるのか、ブートレッグで出回るのか、興味は尽きない。

1,000 Light Years From Here (5:47)

アルバムを聴く前のレビューでちょっと錯綜して書いていた「1,000 Light Years From Here」のレコーディング経過、『Hitn Run Phase Two』に収録され最後3:05で「1,000 Light Years From Here」が組み込まれている「Black Muse」との関係性を含め、まずはその辺りの変遷整理からしたい。ペイズリーパークでまず「Black Muse」のベーシック・トラックが10年1月に作られている。そして10年3月11日に今度は「1,000 Light Years From Here」のベーシック・トラックが作られた。続いて10年3月19日には「Black Muse」と一緒に「1,000 Light Years From Here」の再レコーディングをしている。この時の「Black Muse」は「Black Muse Instr.」とテープに記載されていた。また恐らく「Wud」という曲もレコーディングされていた可能性がある。そして10年10月10日もう一度「Black Muse」、「1,000 Light Years From Here」そして「Wud」がレコーディングされている。「Wud」という曲がどんな曲かわからない(少なくとも10年10月10日には作られていると思われる)そして二つの曲と関連しているのかも不明だ。しかしこの10年10月10日は「Black Muse」と「1,000 Light Years From Here」を一つにした、メドレーのようにくっつける作業をした可能性がある。もしくは3つ目のヴァージョンをそれぞれ作った可能性もある。どちらにせよ、15年辺りに『Hitn Run Phase Two』に収録したホーンセクションをオーヴァー・ダビングさせて2曲を繋げたヴァージョンが完成していると思われる。

今回『Welcome 2 America』に収録されたものは単独ヴァージョンだ。そして『Hitn Run Phase Two』での「Black Muse」に組み込まれているヴァージョンではホーンが入っていたが、それが含まれていない。『Welcome 2 America』のヴァージョン、バッキングは基本『Hitn Run Phase Two』のヴァージョンと同じである。しかしプリンスによる特有のギターフレーズが入っているイントロがあり、いよいよ曲が本格的に始まると今度はギターのカッティングがリズムを刻み出す。このギターがこの曲の心地良さの源となっている。一方『Hitn Run Phase Two』のヴァージョンは「Black Muse」の余韻、これが『Welcome 2 America』のヴァージョンのイントロ部分とほぼ一緒だが、ギターのフレーズがない。代わりにホーンが入っているがまだ薄く吹かれているだけなので「Black Muse」の曲の余韻が継続している感だ。そしていよいよ「1,000 Light Years From Here」本編が始まるという時もギターのカッティングはなく、ホーンが特有のフレーズを主役さながら奏でている。簡単に言えばギター・ヴァージョンが『Welcome 2 America』、ホーン・ヴァージョンが『Hitn Run Phase Two』だ。そして「Black Muse」のレコーディングはジョン・ブラックウェルがドラムである。ベーシック・トラック時にはタルとクリスはいないから、『Hitn Run Phase Two』収録の「Black Muse」は10年1月のベーシック・トラックが基本となっていることがわかる。よって『Welcome 2 America』収録の「1,000 Light Years From Here」がタルとクリスではなく、ジョン・ブラックウェルとプリンスである理由は、10年3月10日から3月19日まで行われた集中セッションより前に作られた10年1月の「Black Muse」が元になっているから、となろう。そうなると10年10月10日の「Black Muse」と「1,000 Light Years From Here」はホーンが無く、ギターのヴァージョン(つまりベーシック・トラックに近いもの)をメドレーのように繋げたもの、なのかもしれない。

では10年3月19日の「Black Muse Instr.」はどうなるのか。これが一番の謎である。「Black Muse」の単なるインスト、シングル用と考えてそのBサイドに入れるヴァージョン、ではおそらくないだろう。アルバムにも収録されていないので突拍子もないからだ(3つのコンフィグレーションの中に「Black Muse」が収録されているものがあるかもしれないし、確かに候補曲とは言えるのだが)。また「Black Muse」のセッション的なインストを3月19日に作ったとするなら、クリスとタルとの「Black Muse」があるのかもしれない。まあこれもちょっと現実味なさそうである。「1,000 Light Years From Here」の単独ヴァージョン、クリスとタルがいるものがもしあるのなら聴きたいけども。『Welcome 2 America』の「1,000 Light Years From Here」が10年1月の「Black Muse」の延長線にある以上、クリスとタルとのセッションとは別枠で10年3月11日に『Welcome 2 America』の「1,000 Light Years From Here」のベーシック・トラックを「Black Muse」より抽出して作り(もしくはクリスとタルがいるいないに関わらずプリンスによる歌入りのデモ曲をその時作ったか)、「Black Muse Instr.」は「1,000 Light Years From Here」を編集させる過程で必要となり同じく「Black Muse」から抽出して作られたのではないか。そうなると大元となる10年1月の「Black Muse」のベーシック・トラック自体かなりのロング・ヴァージョンなのかもしれない。『Hitn Run Phase Two』の「Black Muse」はトータル7分21秒で、その内「1,000 Light Years From Here」の部分は、長谷川友によるタイミングでは4分17秒からなので、よって3分4秒のレングスとなる。一方『Welcome 2 America』の「1,000 Light Years From Here」は5分47秒。少なくとも「Black Muse」のベーシック・トラックは4分17秒プラス5分47秒イコール10分4秒、編集を含めればそれより長いヴァ―ジョンが存在することになる。もちろん3月19日に別にジョン・ブラックウェルをペイズリーパークに呼んで再録音した可能性もあろう。または1月の録音をプロツールスなんかで編集した、それもあるだろう。でも僕は1月の時点で既にプリンスの中には「1,000 Light Years From Here」の構想があったとは思っている。

『Hitn Run Phase Two』の「1,000 Light Years From Here」の訳は到着前に憶測レビューした際に載せた。しかしいちいち戻って読むのも面倒くさいので、再掲載しておく。

“君に興味があるんだ、僕が言うべき時間が来たと思ってね、僕がこの曲を書いた理由。UFOを目撃した時のように、僕の心を通して書いたんだ、次の接近遭遇、上陸するか、水の近くにでも着陸しようか。太陽か黒い月の娘をプロデュースしたりして。それか僕らの涙で枕をビショビショにしちゃおうかな。ここから1,000光年の彼方。昨日も明日もない。悲しみを救ってくれる救済方法もない。永遠に行われることになる5回目の催しは君を泣かせることになるだろう。どうしてなのか僕にはわからない。二つの壊れていないサークルが一緒になって蝶々になる。可愛い君よ、どうしてトライしないんだ?僕を探求することより良いことなんてないんだよ。そして君を見ることより良いこともね。鏡の中にある君を見るんだ”。

一方『Welcome 2 America』のヴァージョンは“僕らは水中でも生きられる、難しいことじゃないさ、君が乾いた土壌の国に属してなければね”と始まる。“僕らの祖先は賢かった、僕らが今知っていることは祖先が教えてくれたことなんだ、だから今僕らは示さなくちゃいけない、アメリカンであるということの意味を”。

録音時期が違うからといって、最初の3曲をひと固まりにし「1,000 Light Years From Here」からまた別の世界が始まる、という事ではないことが歌詞からわかる。明らかにレイシャル・イコーリティの概念が通底しているからだ。そしてフュージョン感のあるサウンドは前3曲と比べるとより清々しく、シャリっと乾いたジョンのドラミングも爽快、女性コーラス以上にプリンスが前に出て来てメッセージを投げかけてくれるので、結果4曲が一つの物語となり、且つカタルシス満載の最終章がこの「1,000 Light Years From Here」なんだと、僕の心にひしひしと響いてくる。

“素敵な生活、自由、革新性、肌の色に関係なく全ての子供たちが教育を受ける、不良が沢山いるストリート生活だって怖くない、そんな1,000光年先の未来”。

平和なそしてスピリチャルな解決が、1,000光年先にはあるという確信。解放感のあるプリンスのサウンドがまるで未来の万能な乗り物の如く彼方から多幸感を運んで来る。そしてリスナー全てに対し公平に希望を分け与えてくれるのだ(ドラえもんか)。しかし『Hitn Run Phase Two』のヴァージョンは、“昨日も明日もない。悲しみを救ってくれる救済方法もない”と身も蓋もない、悲しいだけの歌詞だ。だからこそ今を生きろ、という意味なのか。その時プリンスに何があったのだろう。

さてこちらの歌詞の訳を続ける。“君が見る夢も色付きさ、歩けるようになる前は君もハイハイしていただろう、その諺のように、何だって時が経てば出来るようになるのさ、うーん、僕そう君に言ってたはずだけど、ブラザー聞いてくれ、星の動きのように、そう僕らは星なんだ、君も来た方がいいかもね、さあ行こう、滑走しよう、つべこべ言わずにさ”。


ここでちょっと衝撃的な歌詞が入ってくる。“新しい世界から指令が来る、そんな夢を見てさ、それは正に悪夢だったよ、国境がある国に君はまだ住んでいるんだね、ああ、1,000光年先の未来があるんだから、僕が近くにいない方がいいかもね”。

そしてブリッジ部分の訳はこんな感じ、“なぜ神は天国をそんなに遠い所に作ったんだろうね、神の御子の世界をさ、毎日彼のために泣いてくれるから、僕らの雨が止む時が来たんだね”。

“もし感動して泣いて、でも泣くことさえ飽きたなら、その時は目を閉じて、それから目を開けてみるんだ、音楽を聴く、歌を聴く、君の心の音を聴く、ちゃんと鳴っているだろ?鏡の中の自分を見るのを止めて、怖くないからさ、救いはもうすぐそこに来ているよ”

そうプリンス自身が救済者のように優しく歌っている。でも後ろではエリッサらの美しきコーラスがこんな感じで漂っている、“1,000光年先の未来の話なんですけどねー”って。天使オチ、とでも呼ぼうか。尚ここではエリッサの声がやや大きめに出ている気がする(思うにエリッサ5、リヴ3、シェルビー2の割合か。しかし『Welcome 2 America』のスーパー・デラックス・エディションのブックレットに、リヴが“いつも3人に1つのマイクでプリンスは歌わせようとしていた”とある。ただワンマイクでもプリンスはコーラスの比率を変えてることは可能だろう)。それがどこかザ・レボリューション時代のリサやウェンディのコーラスを思い出させる。軽やかなギター・カッティング以外にもこの曲で感じさせるある種のフュージョン感はコーラスの雰囲気が与えているものとも言えそうだ。

尚『Hitn Run Phase Two』のヴァージョンでは“鏡の中の自分を見ろ”と言っているのに、『Welcome 2 America』では“鏡の中の自分を見るのを止めて”となっている。この違いは何だろう。前者は自分の心に忠実にあれ、という意味で、後者はネガティブな自分の心に従うのではなくポジティブに、ということなのではと僕は解釈した。“黒い音楽の女神が世界を元の姿に戻す、そして僕らは長持ちする音楽を作る”というやや他人任せな(だが素敵な)内容の歌詞を持つ「Black Muse」は、やはり『Hitn Run Phase Two』のヴァージョンの方が繋がりが良いように僕には思える。だから『Welcome 2 America』の「1,000 Light Years From Here」を聴いて、最初の3曲にあったアンハッピーさが浄化されていくように感じられるのなら、その聴き方は正解だと思う。確かに今の話ではない。しかしプリンスは1,000光年先の未来も、僕らの努力でもう少し早く訪れることになるんだよ、そう教えてくれていると僕には思えて元気が出るのだ。

尚「1,000 Light Years From Here」は『Hitn Run Phase Two』のヴァージョンはもちろん、『Welcome 2 America』に収録されているものも、モーリス・ヘイズがコ・プロデュースしていない。そしてキーボードもモーリスではなくプリンスだ。モーリスがプロデュースする必要がないと判断したのか(そういうケースもあるようだ)、プリンスの2010年春の時点での『Welcome 2 America』ではまだ候補となっていなかったのか。少なくとも存在する3つのコンフィグレーションには収録されているはずだ。

The Story Of Welcome 2 Americaのポッドキャストで、コーネル・ウエストが「1,000 Light Years From Here」の歌詞について言及しており、その周辺のインタビューを掲載する。

コーネル:プリンスはポピュラー音楽からジャズまでピアノで表現出来ました。モントルーではジャズのショウ、でも次のショウではファンク、R&Bそしてシルキーなソウルを展開しました。多次元のキャラクターさが彼の天才性であり、世界にとっては聊か大きすぎるものなのです。世界のキャパシティーを超えていた。でも、もしそれら全てを取り囲むことが出来たとしたら、主は慈悲がありますので、それがプリンス・エクスペリエンスなのです。

モーリス・ヘイズ:そして博士、非常なほどに心を打つ、そんな人でもありますね。沢山の人達が悟っていると思うんです、そういった偉大なるアーティスト達のDNAをシェアし死ぬべき運命を超え人々を向上させたことを。

コーネル:その通り。

モーリス:全ての偉大なるアーティスト、その中でもマイケル・ジャクソンはハイ・クオリティさを備えていた、彼は大道を貫き通しベストでトップになるべく人々を駆り立てましたよ。

コーネル:それは私の根底をなす所にもあります。それはジェームス・ブラウンにも見て取れるでしょう。ステージを揺るがしそこに全てを残してくれた。ブーチィもまた同じように私に恩恵を与えてくれました。しかし私の根底にあるものは、実は人々が見つけた以上に良い世界、空間なのです。ケノーシス(注:キリストが人間と一体化するために自らの意志で行なった神性の放棄)を通し、心を空にし、違う世界を知覚し感じることを許すこと。サン・ラが人を惑星に連れて行ってくれるようにです。ジョージ・クリントンのようにマザーシップに乗せてくれるのです。プリンスは、スライ・ストーンのように、人をハイヤーにさせてくれる。プリンスとスライは絡み合っているんです。もちろんスライとプリンスの間にはラリー・グラハムの天才的な仲介によって成立していることも忘れてはいけません。彼らもまたより良い世界に入ることを私達に許可し、私達のヒューマニティの深淵を揺れ動かすのです。色は関係ありません。性的志向(性行為が男性に向くか、女性に向くか)も関係ありません。どの国に住んでいるか、国民としてのアイデンティティーも関係ないです。彼らがもたらしてくれるもの、彼らのケノーシスに、一瞬だけだがアクセスできる社会的な型にはまらない別のリアリティや世界に、心をオープンにし心を空にし委ねること。音楽がそれを感じさせてくれるのです。偉大なるオーガスト・ウィルソン(劇作家、20世紀のアフリカ系アメリカ人のコミュニティーを書いたシリーズThe Pittsbrugh Cylceが有名)は言いました、“ステージにおいては、言語、スタイル、偉大なる人達の意見の交換、これらを通して別の現実が認可され、万事オッケーとなる”と。彼は絶対的に正しいと私は思っています。

アンドレア:それは興味深いです。お話しを聞いて、今回のアルバムに収録の「1,000 Light Years From Here」を思い出しました。歌詞はあなたが仰った異なる場所を思わせるものです。輝かしい未来、異なる方法でお互いがコミュニケートする、実際私はこのヴァースを読んでリアクションが欲しかったんです、えーと。

コーネル:わかりました。

アンドレア:これについてあなたの思うことは何かと。(以降は長谷川訳)“僕らは水中でも生きられる、難しいことじゃないさ、君が乾いた土壌の国に属してなければね、僕らの祖先は賢かった、僕らが今知っていることは祖先が教えてくれたことなんだ、だから今僕らは示さなくちゃいけない、アメリカンであるということの意味を”。

コーネル:神よお慈悲を!プリンスの天才性はあらゆる状況に波及しています。偉大なるロビン・D.G.・ケリーの『フリーダム・ドリーム』のセンスを思わせます。私達を超えて異なる空間、異なる歴史的瞬間の夢の中にこそ、自由の夢の成立がある、と。それはコモドアーズの「Zoom」の歌詞のようですね。我々は君たちを連れ去る、私は去ってしまいたい、自由の夢を見る。私は41年間の獄中で教わりました。我々の同胞の讃美歌はコモドアーズの「Zoom」だと。

コーネル:ラルフ・エリソンの偉大なるお話し『フライング・ホーム』、トニー・モリソンの『ソング・オブ・ソロモン』にある、飛び去るという概念。プリンスは伝承の一部でもありますね。どのように飛び去るか。飛び越えた後にある国家の真実、昇天した先の場所にある真実を得るために。コルトーレンの「Ascension」のようですね。どこへ行く?列車?列車に乗ろう、愛の列車に、そして連れて行ってくれる場所を見よう。

コーネル:この愛の列車に乗って、プリンスが連れていく場所を見よう。アレサが連れていく場所を見よう。そこにあるのが真実なのです。レナード・コーエンにもそれを見ることが出来ます。ディランにも。しかし最も高いレベルにあるのは、それはプリンスだと思います。私達はこのことに正直になるべきでしょう。プリンスは彼の世代において最も偉大なる天才、偉人であり、近代社会において、アーティスト・クリエイティビティ、不屈の精神、そして道徳を勇敢に守る、最も偉大なる伝承者です。そしてそれはブラック・ミュージック黒人音楽の伝承ということなのです。

コーネル:至上の愛を捧げるべく400年間も組織的に、そして慢性的に嫌悪されてきた人々は近代社会において黒人以外他にいません。400年間毎日、至上の自由の夢を罵られ脅かされ続けたのも黒人だけです。400年間毎日傷つけられたのも黒人だけ。傷ついたヒーラー、療法士、それがプリンスでした。彼は傷ついていたのです。シスターであるプリンスの母マティ、ブラザーである彼の父ジョン、そして遊び場にいるいじめっ子達、彼は痣を作り傷つきながらレスリングをしていた。しかしそれはデューク・エリントン、ルイ・アームストロングやビリー・ホリデイもまたそうだったのです。

コーネル:傷つきながらあなたは何をするのか。私はあなたをどこかへ連れていく。シスター・アンドレア、あなたが読んだ歌詞のように、あなたを癒しましょう、教育的に、裕福に、力付けるように。でもあなたの源泉であるファンクを決して忘れてはいけません。なぜなら私達はファンクの中にいるからです。時空間にいるあなた、歴史の中にいるあなた、悲劇に見舞われたあなた。悲劇はあなたの家に何とかしてでもたどり着く、その途中にいます。愛する者の死。それは悲劇です。白人覇権、それも悲劇です。男性上位、貧困もまたしかり。

コーネル:そんな悲劇の真っただ中でも、プリンスのように、そしてブラック・ミュージックの伝統的人物達のように、彼らはどこかへ私達を連れって行ってくれるのです。ステイプル・シンガーズ、そしてカーティスへと繋がる流れ、どこへ?深い愛の場所、勇気、コミュニティー、喜び、楽しみの場所へ。ファンクを私達はまやかしのものには絶対にしません。いわばプリンスは伝承の流れの中にいてアメリカの欠陥を示したのです、動き示し続けたのです。

その3に続く

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