公図・地籍図で探る東京の暗渠、旧町村・昔の街の記憶

1.昔の街の記憶を留めている公図や地籍図

公図や地籍図を観察すると、道路建設前・道路拡張前・用地買収前の街の姿がそのまま残っている場合があります。
2022年以降、法務局地図データ(公図)が無料で閲覧できるようになり、地理系の資料の捜索も随分と楽になりました。
そのほか、Webには 「東京都主税局<地籍図公開(23区)>」 と言ったものも公開されており行政が使用している地図類が簡単に見られます。
本当に便利な時代です。
※ネット上に於いてはそれまでは 登記情報提供サービス で有料で公図を取得する手法しか無かったのではないか(?)と思われます。

G空間情報センター 法務省登記所備付地図データのダウンロード
https://front.geospatial.jp/moj-chizu-xml-download/

その1 法務省登記所備付地図データのダウンロード

東京都主税局<地籍図公開(23区)>
https://www.tax1.metro.tokyo.lg.jp/chisekizu/index.html

その2 東京都主税局<地籍図公開(23区)>

例えば東京の環状七号線。
旧規格の小さいバス1台が通るのもやっと・・・昭和36年の道路拡幅前の狭い道路の様子については東京都の公式動画で視聴可能です。
途中、以下のようなナレーション字幕と共に、狭い幹線道路を通行する様子が映し出されています。

野沢銀座と呼ぶこの商店街も右側が広げられる予定

昭和の東京シリーズ 第5回 車載カメラが捉えた昭和の東京 環状七号線(昭和36年(1961年))

野沢銀座(現在の世田谷区野沢2丁目および4丁目付近)
ちょうど目黒区との区境界付近、駒澤大学駅の南東あたり一帯です。
公図を見ると用地買収された当時のまま、地番を含めて現存しています。
この場所は 全国Q地図 でも、東京都1/3000地形図でも拡幅前の状態を見ることが出来ます。
なお、前述の 東京都主税局<地籍図公開(23区)>でも公図と同様の地籍図を閲覧できます。公図と比べると地籍図の方がわかりやすく、より実際の測量図に近い形(※)では無いでしょうか。
※ただし「この図面は地番の配置を表示したものであり、実際の土地の形状や寸法を再現している物ではありません」 と注釈がある

全国Q地図 東京都1/3000地形図(1959-1960)

全国Q地図の古い地形図

東京都主税局<地籍図公開(23区)> 世田谷区 134図
東京都主税局<地籍図公開(23区)> 世田谷区 135図
※2025年1月現在のURLリンクとなります

東京都主税局 地籍図
スーパーマップル・デジタル地図より引用
出典:「登記所備付地図データ 世田谷区」(法務省) (https://www.geospatial.jp/ckan/dataset/houmusyouchizu-2023-1-705) (2025年 1月13日に利用) (一部加工・加筆)

この通り公図や地籍図の地番・昔の道(地番が入っておらず一部、長狭物不明と表記される「里道」や「水路」)を観察すると、昔の道がどんな形状であったか探ることが出来ます。
地番についても、区画整理や地番整理がされていない限り23区となる前の旧町村時代(例:世田谷区野沢→旧 荏原郡駒沢町)の地番をそのまま引き継いでいたりします。
(ゼンリン住宅地図のブルーマップでも、公図の図面境が青のラインで描かれており、とてもわかりやすいでしょう)


2.公図や地籍図で見る暗渠や水路跡「明大前駅付近」

どこかのサイトで、世田谷区松原を流れる北沢川の支流と呼ばれている水路の水源は明大前駅だったのではないか?
といったようなものを見たことがあります。
たしかに明大前駅付近の公図を見ると、いかにもな ”水源の始まり” のような形状になっているのと、南へ水の流れのような ”線状の敷地” が見られました。
この一部は現在道路となっている部分も含まれるほか、造成されたのか河川改修で流れが変えられたのか宅地や私有地の一部となっている部分もありそうです(払下げでしょうか?)。

明大前駅周辺と羽根木周辺。ゼンリン住宅地図・地形図や各種サイトを参考とした暗渠と思われる部分や、開渠の水の流れをトレース。一部は1960年の東京都1/3000に描かれている当時の水路  ※一部推測を含みます
公図上で「水」として記載のある、水路と思われる部分を水色で色塗り
出典:「登記所備付地図データ 世田谷区」(法務省) (https://www.geospatial.jp/ckan/dataset/houmusyouchizu-2023-1-705)
(2025年 1月13日に利用) (一部加工・加筆)

なお、東京都下水道台帳 の図では、このあたりの現役の暗渠は「公共暗渠・蓋掛」や「水路敷(区道扱い)」とも記載があります。

東京都水道局 下水道台帳


3.公図や地籍図で見る暗渠や水路跡「羽根木周辺」

ネット上で北沢川羽根木支流と呼ばれている部分、世田谷区羽根木

ゼンリン住宅地図・地形図や各種サイトを参考とした暗渠と思われる部分や、開渠の水の流れをトレース。一部は1960年の東京都1/3000に描かれている当時の水路  ※一部推測を含みます

こちらに関しても公図で見るとはっきりと「水」と表記があります。
この公図で注目して欲しい部分としては、
古地図(と言っても昭和5年)を参考にすると水路の周囲と水源と思われる谷頭の部分まで
旧荏原郡松沢村であり、その部分だけ「当時から100番台の地番」で、
旧荏原郡世田谷町の部分は「当時から1000番台の地番」のままになっている事が読み取れます。
(周囲の土地の合筆・分筆が繰り返されているであろう為、その辺は無視)
公図の図面も旧荏原郡松沢村の部分だけ切り貼りされたように分かれているのがとても面白く、このように今でも旧市町村の形跡が現代の公図でも生きていることがわかります。
この辺りは 1万分1地形図(明治43年)を見る限り、その当時は農家が多く存在していたと思われます。

羽根木一丁目および羽根木二丁目付近の公図。
公図上で「水」として記載のある、水路と思われる部分を水色で色塗り。
水源跡と言われている「羽根木二丁目公園」は緑で色塗り。
公図上で「道」として記載のある部分を赤色、道路(区道)と思われる部分を灰色で示した。
出典:「登記所備付地図データ 世田谷区」(法務省) (https://www.geospatial.jp/ckan/dataset/houmusyouchizu-2023-1-705)
(2025年 1月13日に利用) (一部加工・加筆)

東京都地籍図の場合は以下の図面で確認可能
東京都主税局<地籍図公開(23区)> 世田谷区 38図

東京都主税局 地籍図
東京府荏原郡世田谷町全圖 番地界入 (出版年月日1930.7 昭和5年)より引用
国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1142506/1/4

【その他の資料】
明治43年3月30日 (1910)の地形図
1万分1地形図「東京近傍十八号 世田ヶ谷」世田谷デジタルミュージアム
昭和5年7月15日 (1930)の旧荏原郡松沢村地番入り地図
東京府下松澤村全図

世田谷デジタルミュージアムより


暗渠の出口部分のストリートビュー
ここから上流は東方向へ曲り流れていた(?)と思われるが痕跡は無い。

現地の様子。東側の土地はかなり高い位置にあるが地形は昔のままだろうか?
夜でも街灯があり、歩きやすい場所でした。

羽根木一丁目の暗渠


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