いちごおれ

いちごオレと間接キスの思い出

寒い冬の日でした。湿ったシャーベット状の雪が歩道に積もり、僕が歩みを進めるたびにジャリ、ジャリと音を立てていました。午後4時。すでに空は暗く、道行く車はヘッドライトを点けていました。授業が終わり、高校から駅に向かいます。帰り道でコンビニに寄り、いちごオレを買おうと考えていました。明日は古文単語の小テストがあります。帰りの電車で古文単語を覚えながら、いちごオレを飲む想像をしました。それが、寒い中歩みを進める原動力となっていました。

コンビニでいちごオレを買い、ほんの少し歩くと駅に着きました。いちごオレは紙パックのものです。リプトンの紙パックのミルクティーを飲んでいる男子は、ちょっとチャラい奴、という印象がありました。僕はどちらかというと、物語の主人公というよりモブキャラなので、いちごオレがちょうどいい、という持論がありました。(いちごオレに失礼かもしれない)

駅に着いて、発車時刻を待っているガラガラの列車に乗り込みました。田舎の電車は1時間ないし2時間に1本電車が来ればいい方です。もっとも、出身地の「田舎度」を争うのなら「7時間に1本バスが来る」というレベルじゃないと太刀打ちできないですが..…。
駅のホームに入ると、電車が発車を待ちをしていて、ドアを開けていました。席に座り、かばんから古文単語の書籍を取り出しました。

電車はがらんとしており、席は選び放題でした。最大4名まで座れる、向かい合わせの座席の島が空いていました。列車の窓際に、いちごオレのパックがちょうど置けるスペースがあります。それを少しだけ飲み、古文の単語の勉強を始めました。定員4名の座席の島に誰もいないと安心します。勉強に集中できるからです。でも、別の島で男の子と女の子が楽しそうに話しているのを見ると、なんだかさみしさを感じたものです。だから、知り合いの同級生が後から同じ島に座ってきたりすると、実はうれしいものです。

「あれ、直樹じゃん。座っていい?」
知っている女の子の声です。中学から同級生の由紀でした。女の子と話すのがあまり得意でない僕は、こういうとき毎回少しドキっとします。
「ああ、直樹たちは明日古文の小テストか。勉強して偉いね」
「由紀たちのクラスはもう小テスト終わったの?」
「いや、うちらも明日ある。勉強しなきゃ」

由紀とは、時々電車の同じ席で向かい合って話しながら帰る日もありました。彼女を異性として意識していたわけではありません。しかし、僕は誰とも付き合ったことがなく、男女交際に憧れていました。だから、由紀と付き合っている噂を誰か立ててくれないかな、そして彼女も満更でもない感じに思っていてくれないかな、とひそかに考えていました。

「ねえ、それちょっとちょうだい」
不意に由紀が言いました。
「うん」
僕は古文単語に集中しようとしていたので、無意識に「うん」と言いました。

「ん?」
何を?と言いかけて、その子の手元を一瞥しました。

由紀の手元には、僕がさっきファミマで買ったいちごオレがありました。

あれ???由紀の口元にあるのは、
ぼぼぼ、ぼくがさっき口にしたいちごオレのストローではないか。
こ、こここ、こ、これは間接キスではないか。

僕は異性とのキスはもちろん経験したことがありません。たかが間接キスです。なのに、ひどく動揺しました。同時に、このひどく動揺した心を悟られまいと必死になりました。ゆっくりと、古文単語帳に視線を下ろしました。本に書いてある日本語の文字は、文字として認識はできますが、それが持つ意味なんてほとんど分からなくなりました。

えっ?何、しれっと、間接の、間接的な?キ、キ、キッス?のようなことをしているの?

背中に熱がこもる感じがありました。僕の視線は活字の表面をなぞりますが、そこに書いてある意味なんて、ひとつも記憶に刻まれませんでした。

「数学さ、宿題のプリント何枚出た?」

何事もなかったかのように彼女は先ほどの会話を続けました。先ほどの続きだと気づくまで、数秒かかりました。動揺を悟られまいと平静を装って、彼女に目を向けました。

「あぁ、3枚くらいだった。だりい、ですね」

「だりい、ですね」という不自然な言葉遣いになりました。別に、彼女のことを恋愛対象として思っていませんでした。彼女だって、ぼくに特別な感情を持っているわけではないはずです。きっと彼女はいつも他の女友だちにするように、何も意識することなく、いちごオレのストローに口をつけたのです。それなのにどうして僕だけ、これほどまでに動揺しないといけないのでしょうか。

列車を降りる頃には動揺の波が治まり、僕の心は凪を取り戻しました。彼女は何事もなかったかのように、いや、何事もなく「じゃあね」と言ってぼくの家の反対方向に歩いていきました。

noteを読んでいただきありがとうございます。よろしければ、暇なときなどにまた見に来てください。もし何か、考えたことなどがあれば、感想をお聞かせください。そこから少し、楽しいコミュニケーションが生まれたらうれしいです!