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ユーレイとはなにか?―外伝2nd「ぼくとユーレイの7日間篇」考察メモ

「ユーレイ」の喪失

シャーレリは「ユーレイ」という言葉を最初から意識していたわけではありません。メルクとユウが旅すがら聞いたユーレイが出るという噂に、エアハルトが心究学では思念体=心そのものを指すとコメントしたことで彼女は「ユーレイ」に関心を持つようになります。

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シャーレリはアニマと出会い、彼の描く繊細で透明な絵が「ユーレイ」のようだと感じます。実際に彼が使っていた絵の具は感情保持効果があるブルースターの花から作られており、絵画自体が不定形な感情をまとっていたのです。この出会いによって、シャーレリはアニマのココロに「ユーレイ」みたいな存在を感じ、そしてその「ユーレイ」は自分自身にもあるのだということを自覚します。

ところでメルストで「ユーレイ」という言葉が取り上げられるのはこれが初めてではありません。初出ではないかもしれませんが、メインストーリー1部でアレッツはビンに入る前のメルクを指して「ユーレイだった」と語っています。アレッツが遺跡で遭遇したメルクは、「ただ宙に漂い、涙らしきものを流すだけのただ人のような形をした存在」であり、その不定形でひとところに留まらない様子を「ユーレイ」と表現したのですね。

シャーレリはかつての自分が「どこにいても、どこにもいないような感じだった」と述べています。しかし彼女はチェルカールと出会い、「ユーレイ」のようであった自分自身が変わっていったことを思い出します。そしてアニマとの交流を通じて今度は彼のココロにも変容をもたらします。

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ココロが「ユーレイ」のようでなくなるその変化をもたらしたのは、出会いによって生まれた「ツナガリ」です。「ユーレイ」は誰かの瞳に映されたとたん、息をのむような輝きを放つ。それが「ツナガリ」であるとシャーレリは結論づけます。ひとたびツナガったココロはもはや透明な存在ではなく、自分の目には見えないけれどツナガリを持つ人にはカタチをもったものとして見えているのです。ここに至って、そのココロにもう「ユーレイ」はいません。ビンという器を得て、ツナガリによって人格が固定されたいまのメルクを誰も「ユーレイ」とは呼ばないように。

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最初にアニマと遭遇した時点で、シャーレリはココロどうしのツナガリはココロにとって「運命」的な要素であると彼に話しています。シャーレリにははじめから答えはわかっていたのですね。チェルカールとの出会いによって運命の導きを受けた彼女は、他の誰か=アニマにとっての運命的な出会いのためにフィールドワークという旅に出る必要があったわけです。このストーリアは、シャーレリが人のココロに「ユーレイ」を見出し、そして見つめることによって「ユーレイ」を消し去るまでの7日間の物語だったのです。

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ココロの可視化について

ブルースターの花が持つ感情保持効果は、その作用が強くなると記憶を他人に再現させるまでになります。メインストーリー1部でユウくんは遺跡の中でブルースターの花粉を直に吸引してしまい、フェニシャルルの記憶を追体験します。アニムスは感情の可視化を研究トピックのひとつとしていますが、込められた感情が強く、高濃度の成分抽出ができれば彼女の研究課題は意外とかんたんにクリアできてしまうかもしれませんね。

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なお、ココロの物質化については、すでにモンスターのココロが具現した物質としてティンクルシードが存在します。可視化どころの話ではありませんね。アニムスがフラールルゥと出会い、アイオスの研究を引き継ぐ...そんな展開もひょっとしたらあるかもしれません。

アニマとアニムス

アニマとアニムスの名前の元ネタは、ユング心理学の用語です。もともとはラテン語で「魂」という意味を持つ言葉の女性形/男性形ですが、ユング心理学では男性における無意識内の女性/女性における無意識内の男性を指しており、ユニットの設定を考慮してもこちらが元ネタと考えて良いでしょう。

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ユング心理学で言う無意識(集団的無意識)は、一般的な意味での無意識とは異なる解釈をしています。大雑把に言えば人間は個々人の意識の背後に種全体に共有されるような意識を持っていて、男性であれば普遍的な女性像、女性であれば普遍的な男性像に影響されているのではないかということです。この学説がいまどの程度支持されているかはわかりませんが、現在のところ生物学的性差と関連づけにくいのと、性規範には社会的な要因があるという考えが主流になっていることもあり、旗色は悪いように思います。いずれにしても、この学説はメルストの本ユニットの設定にはあまり関係なさそうですが。

アニマとアニムスはひとめ見てわかるように対称的な存在です。性別や衣装もそうだし、芸術家(感性)と研究者(論理)という職業も対になっています。一方で、年齢はあるときは姉弟、またあるときは兄妹と入れ替わり、言葉遣いも一様ではありません。対称的な存在でありながらも、そういう不確定性をはらんでいるのが彼/彼女の魅力にもなっていると思います。

彼/彼女は思いやりがあり仲のいいきょうだいですが、それでもこのストーリアの主題でもあるお互いの生きづらさを解決することはできませんでした。それは、互いが自己の投影であるがゆえにそのココロにある「ユーレイ」を目に捉えることはできず、彼/彼女がココロの再統合を果たすには、第三者であるシャーレリの存在が必要だった、ということなのかもしれません。

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