メインストーリー 第2部11章 砂漠の国・後編 考察メモ
7月にリリースされた砂漠の国・後編の考察です。ネタバレご注意ください。まあまあ長いです。
王のあり方
砂漠の国・前編の主役がファジュルであったとすれば、後編の主役は間違いなく洸王ナマールィだったと言えるでしょう。後編は彼の行動と理念を軸に物語が展開していきます。
後編の開始冒頭はナマールィの追想から始まります。1000年前の時代を生きた彼は水の都の王として敵国との戦いに身を投じますが、戦いのさなかにフェニシャルルによるモンスターの暴走が起こります。それによって水の都の安寧の象徴であった対の水魚も憎しみの衝動にとらわれることとなり、都は壊滅的な打撃を受けます。ナマールィが水の都に戻ったときすでに街は破壊の限りを尽くされたあとであり、失意のうちに水の都は滅びることとなります。
そんな彼が突如として1000年後の現代、砂漠の真ん中に召喚されたことから本編はスタートします。ナマールィは王権を握り、一見弾圧的な治世を敷きます。それに呼応して王子たちは抵抗勢力を形成します。ユウくんたちはそれに巻き込まれるようにしてこの争いに参戦し、ナマールィの打倒を目指したのが前半の話でした。
ナマールィが現代に召喚されたあと、自分の身の回りに砂漠が広がり、民も貧苦にあえぐ暮らしを送っているのを眼にすることで、彼は水の都が滅びたことを知ります。しかし彼がそこで歩みを止めることはありませんでした。現王ネメトケスと提携し、敵国の干渉を察知しながら砂漠の国と化した祖国を守るために奔走します。あるときは知略をめぐらし、あるときは体を張りながら、敵国の企みを阻止するために戦い続けたのです。そしてついにはマ・ササラ・クマサとともにゲートに特攻することを選びます。彼は自分が治めた水の都がもうないことを知りながら、そのことで心折られず「今できること」を成し遂げるのに命を懸けたのですね。
前篇でエルピスたちはナマールィたちに捕らえられますが、一心に舞の稽古に勤しんでいます。同じくナマールィの側についているレクルス様たちも、都をモンスターから防衛するためにボロボロになって立ち向かいます。敵側にいるのになぜそんなことをしているのか、前半の時点では違和感を持たせるふるまいだったかもしれません。特にエルピスは、鳴らせる世界鐘があると知りながらそれを無視し、自分の役割に躊躇なく専念します。それはナマールィの生き様が周りに影響していたからであり、レクルスはナマールィの意思を信頼し、またエルピスがその判断を信頼していたのです。結果として、彼女たちだけでなくパステーニャやスティーノスすらも自分の持てる力をすべて出しきることができたのですね。ユウくんがナマールィと対面したとき、思わず「ナマールィ...様」と呼んでしまいます。それは王への礼儀というよりは、彼の意思の強さに対する敬意の表れだったように思えます。
ストーリーの終盤、ナマールィは鳥の目の長ヴェルテュから、一族で語り継がれてきた「記憶」を託されます。それは彼の妻ルヴィからの感謝と信頼の言葉でした。「そのときできること」に全力を捧げ、決して何者からも逃げなかったことは、ルヴィにとって彼への信頼のすべてだったのでしょう。
翻って現代、再び王座についたネメトケスにナマールィは砂漠の国をどう治めていくのかを問います。ネメトケスの答えは、「今まで通り、後始末さ」。いままで砂漠の国が良くも悪くも蓄積してきたことをなかったことにはできない。マイナスを一度にプラスに変える魔法などない。しばらくはムディアのような不幸な子も生まれるかもしれないが、後の王や民たちが、そうした子が生まれない未来に変えていく。その答えに納得し、ナマールィは現代の人間たちに期待を寄せることにしたのですね。
『あなた』を見つける旅
エルピスはムディアと出会い、かつての自分の姿をそこに見出し、彼女の心を開くために手を尽くします。その結果、ムディアは自分の心が「トクントクン」とすることを自覚し、それが大切ななにかに触れたときの感情であること、そしてそれを表現していいんだということを知ります。このことは彼女を拾ったナマールィが希ってやまなかったことでもあり、ムディアが人格を獲得したことは、エルピスとムディアの私的な関係に留まらないイベントとなるでしょう。
メルクストーリアにおいて自分自身を見出すというプロセスには特別な意味があります。第2部の1章(王国篇)で、エルピスが奏鐘士になるための条件は、鐘の人いわく「あなたが『あなた』になること」でした。誰かに奏鐘士になってほしいと言われたからなるのではなく、自分の意思でこうありたいと思うこと。メルクの意識の中で漂う何者でもなかったエルピスは、自分という存在を認識し、自分に向き合うことによってようやく世界の当事者である資格を得たのです。(エルピスにとってメルクから「名前」を与えられたことはその象徴とも言える出来事であり、補佐官がその「名前」を憎んでいることは今後のストーリーの重要な伏線となるでしょう。)
自分を見つめるということはただ自分に厳しくする、自分を問いただすということではありません。応答者であるへスペラは、「エルピスと黒の魔物」の中で、エルピスより「あなたが、あなたを愛してあげなさい」と告げられることで世界への呪いを振り払います。自分自身から目を背けてはいけない、他人のせいにしてはいけない、でもそんな自分を愛してあげなさい。これはエルピスにとって、ムディアにとって、そしてすべての人にとって戒めであると同時に祝福でもあるのです。この主題はどのストーリアでも一貫した価値観であり、それがメルストが「優しい物語」と呼ばれる所以なのかもしれません。
「敵国」と「機関」、そしてスティーノス
さて、ここからは物語設定の考察に入ります。今回のストーリーでは、明確に「敵国」という表現が登場しました。メルクストーリアにいわゆる悪者は出てきませんでした。しかし、これまでのストーリーでも仄めかされてはいましたが、ここに来て敵意を持ち向かってくる相手が現れたのです。そしてその敵意は、メフテルハーネ全体に対するものであることが明らかになります。
ナマールィに仕えていた補佐官は、「敵国」側の人間でした。もともと彼については動物の国編のエピローグで仲間の2人と言葉を交わしているシーンが有り、何らかの企みを持ってナマールィ王政に取り入ったことが示唆されていました。そして今回の後篇で、彼が「敵国」を利するためにナマールィを傀儡化しようとしていたことがわかります。しかし果たして、その企みはナマールィに早々のうちに見破られており、ナマールィとネメトケスに逆に一杯食わされるのでした。
終盤の諍いで補佐官のフードがめくれ上がり、エルピスとよく似た青年の相貌が現れます。もともとこのフード付きの衣装自体がエルピスが第1章の冒頭でまとっていたものと類似しており、また彼もエルピスに対しておよそ不自然な親しみの感情を見せていたことからも、彼らの間に深い因縁があることは間違いなさそうです。
一方で、補佐官とつるんでいた2人の人物は何者なのか。彼らも敵国の人たちなのか。少なくとも、この2人は補佐官とは立ち位置が違うようです。実行部隊としてナマールィの懐に入り込んだ補佐官とは異なり、彼らは表舞台に姿を表すことはありませんでした。しかし、補佐官を絶えず観察はしていたようで、補佐官がエルピスに絡んだ私情で「法王」を使おうとしたとき、すぐさま制止に入ります。つまり補佐官を信頼できる仲間とみなしていたわけではなく、一定の警戒心を持っていたことが伺えます。
その後の砂漠でのやり取りでは、また補佐官に「法王」を使わせようとします。なぜ、一度暴走しかけた補佐官に再度「法王」を委ねざるを得なかったのか。それは、この2人には「法王」を扱うことができないからでしょう。つまり、この3人の提携は「法王」を巡ってのもので、補佐官は「法王」を使うことができるということ、あとの2人は補佐官に対してなにか別のメリットをもたらすことで、便宜上手を組んでいるのではないかと推察することができます。
この2人の人物の素性はまだストーリ内で明かされたわけではありませんが、私は彼らをその口調から「機関」の「グランドマスター」ではないかと推察しています。「機関」についての考察はそれだけでかなり長くなるので別の機会にしたいと思いますが、少なくともグランドマスターたちは現時点の情報から見るかぎり「敵国」の人物ではありません。アケフェゴさんなどこれまで登場したグランドマスターはメフテルハーネ出身の人物であり、世界鐘をめぐる争いに参戦はしているものの、主に奏鐘士と癒術士への接触を試みるだけで「敵国」との連携を考えているのかは不明です。一方で今回から登場したアヴァンモンは降臨モンスターの動向を探っていたとも考えられ、「敵国」の存在を認識はしていることが伺えます。補佐官とつるんでいた2人がもしグランドマスターであるなら、「機関」はまだ明かされていない別の目的を持って「敵国」と接触しているのかもしれません。
また、スティーノス一行は「敵国」と協力関係にあることが明言されました。ただ、「法王」と技術提供が見返りであると語っていることから、あくまでこれは協力関係で、彼自信が「敵国」の人間であるという線は考えにくいです。ヒュチュカは明らかに妖精の国の人物であり、また常夏の国にホテル・エルシアムという本拠地があるということからも彼らの出身はメフテルハーネなのでしょう。エルピスもわざわざ「スティーノスは『敵』ではない」と言及しています。
ところで、用心棒「バウンサー」としてレクルスたちに同行しているラガンケイルは、胸の紋章の形がヒュチュカらのそれと同じであることから、彼はスティーノスの仲間であることが伺えます。スケアヘッドもそれを知っているか、少なくとも勘づいているフシはあります。
「敵国」、「機関」とそのグランドマスター、スティーノス一味。彼らは行く先々でユウくんたち一行の前に立ちはだかりますが、決してそれぞれの利害は一致しているわけではなく、またそれぞれの内部も一枚岩ではない可能性があります。彼らがメフテルハーネの国々に対してどのようなアプローチを取るのか、その中で世界鐘をどのように利用しようとしているのか。せきととファザは何を追っているのか、今回登場しなかったシェンルゥはどこで何をしているのか、など次回のストーリー(常夏の国篇?)からも目を離せないですね。
ステゴロというのがよいっ!
今回のストーリーはこれまで訪れた国々から助っ人が押し寄せ、さながらオールスターの様相を呈しました。魔法の国からプライアル、機械の国からカプヘキとハードエッグ(とミスター)が参戦し、またユウくんが双香花を使ってティマとレディブル、プリテリオナ様を召喚しています。
この人選にはネメトケスも深く関わっており、ハードエッグ経由で呼び寄せたカプナートくんは舞の担い手として目がつけられていたようです。一方でヘキサルトはゲートモンスターとの戦いでも戦力となりましたが、真の狙いはその中にいるハグルマ(ギア)でした。それはネメトケス自身がどこからか連れてきたエリアスとカラコリチアも同様で、癒術士としての戦力というよりも1000年前の当事者をこの場に集めてくることが目的だったのでしょう。エピローグの会合で語られたこと、特にギルドがどうストーリーに関わってくるのか、興味は尽きないですね。ちなみに私のいるギルドは、人数も少ないしレート1400くらいが関の山なのでこの戦いにはついていけないと思います。
さて、ユウくんが連れてきたレディブルはスマイリーに変身して、戦局を打開する重要な働きを見せました。特にスマイリーがナマールィと素手で対峙する局面は、個人的に今回のストーリーのベストシーンだったと思っています。
一方でプリテリオナ様はというと、移動した降臨モンスターの位置を嗅覚で追跡した...というところで、確かにいなければ困ったところはあったのですが、獅子族の頂点に君臨するリオナ様の活躍としてはちょっと物足りない気がします。しかし、おそらく彼女の出番はこのあとやってきます。リオナ様は鳥の目の神殿でシャアイラと対峙し、互角の力を見せたのが伏線です。おそらく今後、「機関」のグランドマスターと衝突する時が来るでしょう。そのとき機関側きっての武闘派であるシャアイラとまともにやりあえるのはリオナ様しかいない...そういう展開になるはずです!
砂漠の王を継ぐのは誰か
砂漠の国のユニット名は多くがアラビア語に由来しています。例えば最近☆4進化したアスワドはアラビア語で黒(أسود)という意味です。このアラビア語の語源からも考察してみたいと思います。
王子たちの中で今回ひときわ大きい存在感を見せたファジュルは、夜明け(فجر)という意味を持ちます。もともとの語義はイスラム教の祈り(サラート)の中で、夜明け前に行う最も早い時間帯のものを指します。いまの砂漠の国が夜の状態だとすれば、ファジュルの名前は次代を担うにふさわしいものですね。
砂漠2ndでも登場したラティーフは、心優しきもの(لطيف)という意味です。この名前は彼の人となりを明確に表現したものですね。ちなみにサミルスハさんは王を喜ばせるもの(شَاه سَمِير)という意味に解釈できるようです(文法的に正しいかは不明)。
最後にトゥルバは土壌(تربة)という意味です。これだけでは何のことかよくわからないのですが、彼の忠臣であり友であるカナトは地下水路(قناة)を指しています。つまりトゥルバ(大地)という器があり、そこをカナト(水路)が潤すことによって民に大地の恵みを与えることができる。彼らは2人でひとつであり、主君の絆は一番強いと言えるかもしれません。
これらを踏まえて、では次代の王はこの中の誰になるのか予想してみましょう。ストーリーの余韻を踏まえて言えば3人(+α)の共同統治になるのではないかという気もしますが、私の見解は違います。王になるのはラティーフです。
この3人のうち、ファジュルとトゥルバの名前は単なる一般名詞から取られています。しかしラティーフの名前は、「アッラーの99の美名」と呼ばれる特別な名称に由来するもので、いわゆる神のための名前であり格が違います。人物評価とレア度では他の2人に遅れを取っているかもしれませんが、サミさんがリトラクトでラティーフを王の座に押し上げていくことでしょう。
ちなみに人名以外で登場した名称では、対ゲート兵器として用意されたマ・ササラ・クマサはそのままの読みでは意味を成さないようです。しかし逆から読んでみると...魚+弾丸+水という意味が浮かび上がってきます。この逆さ読みは植物の国篇でも用いられた(フィオレ→オレィフなど)のが記憶に新しいところです。
ただ、私の語学力では残念ながら上記以外の名前の由来はよくわかりませんでした。舞の名前の由来を調べるようにとの要望もいただいていたのですが、力不足ですみません。じつはアラビア語が大半と述べましたが、それ以外の言語に由来する名前もあります。メフリやロシャナクなどはおそらくペルシャ語から取られています。中東言語に詳しい人の考察に期待しましょう。
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