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鳴神隼のただ一人の為の推理 五話

五.第三章①:離島の別荘清掃バイト

 七月も中旬に差し掛かったある日。もう数日もすれば長い夏休みに入る大学のカフェスペースで琉唯はレポートに追われていた。これを終わらせることができなければ、夏休みなどないに等しいので必死に片づけている。

 参考資料などは隣にいる隼が進み具合によって適切に選び、わざわざそのページを開いて教えてくれていた。彼は全てを提出済みなので後は夏休みを待つだけでいい。なんと、勤勉なのだろうかと琉唯は羨ましく思いつつも、手を休めることなく進める。

「え、緑川くんまだ終わってなかったの」
「あと少しで終わる!」
「最終提出日が今日までだからな。ぎりぎりか」

 千鶴の驚きの声に「余裕を持って進めていない琉唯が悪い」と隼は冷静に返した。後でやればいいとついつい後回しにしていた自分が悪いので何も言い返せない。発売したばかりのゲームをずっとプレイしていたなど知られては何を言われるかわかったものではなかった。

 だから、弱音を吐かずに黙って手を動かす。手書き指定ではないのがまだ救いだった。ノートパソコンのキーを素早く打って琉唯は終わらせにかかる。

 数分、やっと完成したレポートに琉唯はきちんと保存したことを確認してからぐでっと突っ伏した。終わったことを告げる行動に隼が「お疲れ様」と琉唯の好きな炭酸飲料を渡す。

 ペットボトルを受け取って琉唯はジュースを喉に流し込むと、「しんどかった!」と声を上げた。

「緑川くん、次は気を付けたほうがいいよ」
「そうする……。時宮ちゃんは浩也先輩待ち?」
「そうそう。あと、ひろくんが緑川くんに用事があるから確保しておいてって頼まれたの」
「何それ」

 確保ってなんだと琉唯が首を傾げれば、隼が「今度はなんだ」と眉を寄せた。浩也はサークル勧誘の時の前科があるため、隼はまた何か問題をもってきたのかと疑っているようだ。

 これには千鶴も「前科あるもんね……」と返すしかない。琉唯もまたあのようなことがないとも言い切れないのでフォローができなかった。

「千鶴ー、緑川確保して……って、なんだよその目は」

 良いのか悪いのか、タイミングよく浩也がやってきた。三人の眼差しになんだよと一歩、後ずさりする。千鶴が「鳴神くんが警戒してるんだよねぇ」とサークル勧誘の時の前科を話せば、浩也は「あの時は悪かったって」と手を合わせた。

「あの時は悪かった。まさか事件に巻き込まれるとは思わなかったしな。今回は違うから安心してくれ!」
「なら何なんですか、先輩?」
「緑川さ、夏休みに短期バイトしないか?」

 急になんの話だと首を傾げれば、浩也は「友達に頼まれたんだ」と内容を話してくれた。浩也の友人に個人経営の不動産会社社長の息子がいて、彼が父から「社会勉強だ、バイトをして見ろ」と、離島の別荘の清掃を頼まれたらしい。流石に一人では大変だろうから友人を誘っていいと言われて、浩也に声がかかったということだった。

 期間は三日ほどでその間は別荘で寝泊まりしてもらうことになると言われるが、教えてもらった給与がとても良い。

「ひろくんも行くの? なら私も行く!」
「千鶴もか? オレは会ったことないが、友達の姉妹と後輩も来るらしいし……大丈夫か。お前はどうする?」

 琉唯はどうするかなぁと考える。夏休み期間は特に予定がなく、バイトもこの前、辞めたばかりなので時間に余裕はあった。小遣い稼ぎには丁度いいかもしれない。

「参加しようかな」
「おっし、緑川も参加な。じゃあ……」
「琉唯が行くならば俺も参加しよう。彼が心配だ」
「おっ! 鳴神も参加してくれるのか! なら、詳しい日程は緑川にメッセージ送っておくから聞いてくれ」
「あぁ、わかった」
「彼が心配って……。流石、前方彼氏面……」

 一連の流れにぽそりと呟く千鶴に隼は「当然だろう」となんでもないように返す。好きな相手を心配するのは当たり前だといった様子に、千鶴から「この男には敵わないよ」と憐れむように琉唯は肩を叩かれてしまった。

   ***

 夏休みが始まって数日。電車とバスを乗り継いでフェリー乗り場までやってきた琉唯が待ち合わせ場所に向かうと、隼がなんとも暇そうにしていた。彼の隣にいる浩也と千鶴はお手上げといったふうで、その近くに六人の男女が集まっている。

 もうすでに人が集まっていることに慌てて琉唯が合流すると、浩也から紹介を受けたのはこのバイトの雇い主である日野健司ひのけんじだった。ぱっと明るく爽やかな笑顔が黒髪によく似合う男子大学生で、浩也と同じ三年生とのこと。彼は「人手が多くて助かるよ」と父に頼まれた別荘の清掃の話をしてくれた。

 離島は最近、観光事業に力を入れているらしい。物件は父の知人から買い取ったようで、高台から海の景色を一望できる場所にあると。頼まれたはいいけれど人手が集まるか不安だったのだと、参加してくれたことをそれはもう感謝された。

「あ、そうだ。まずはメンバーの紹介だよな。こっちが僕の妹の陽子と優子。二人は双生なんだ」

 健司がそういって二人の名を呼べば、陽子と優子は彼の隣に立って頭を下げた。双子というだけあり顔はよく似ていて、肩で切り揃えられた茶髪に同じ化粧、動きやすそうなTシャツにデニムとそっくりにコーデされている。声も似ているものだから二人を見分けるのは難しいのではないだろうか。そんなことを考えていれば、「違うところもあるのよ」と察したように陽子が言った。

「私は細かい作業とか好きなんだけど、優子は苦手なのよ」
「何事も一つ気になりだしたら止まらなくなっちゃう性格なの。大丈夫かしらってずっと考えちゃうタイプだから、細かい作業は苦手だわ」
「へー、そうなんですね」

 琉唯と同じように双子の二人に見惚れていた千鶴がそう返せば、「まぁ、見分けられなくても大丈夫だから」と陽子は微笑んだ。間違われるのにはもう慣れてしまってるからと。それでいちいち怒ったりはしないようで、「遠慮なく間違えて」と優子もまた慣れたように笑む。

「そこにいる金髪の男子は私の恋人の崎沢隆史さきざわたかしよ。ほら、隆史」
「陽子の恋人の崎沢隆史ってんだ、今日からしばらくよろしくな!」

 なんとも軽いノリで隆史は挨拶をしてきた。チャラチャラとしていて、初対面だというのに馴れ馴れしい。琉唯の苦手なタイプであったが、よろしくと返事を返しながら隼のほうを見てみた。彼はなんとも面倒げに眉を寄せながら隆史を見ていたので、あまり得意なタイプではなかったようだ。

 そんな彼から紹介されたのは一年生の後輩だった。佐々木香苗ささきかなえと名乗った彼女は黒髪を二つに結ってにこにこと愛想を振りまいている。地雷系と呼ばれる風体をしている彼女はちらちらと隼を見ていた。まぁ、一年生の間でも噂にはなっているかもしれないなと琉唯は思いつつ、挨拶をかわす。

 彼女の少し後ろに同じく一年生の後輩は墨田辰則すみだたつのりとぶっきらぼうに名乗ってからは黙っている。少しばかり影が薄いのだが、見た目は角刈りで厳つく、視界に入れば印象深いといった感じだ。ただ、様子を見るにあまり喋るほうではないようだ。

 受け答えはしてくれるけれど、自分からは喋らない。態度が悪いわけではないのでそういう性格なのだろうと思えば、特に気にすることでもなかった。

「自己紹介も終えたし、フェリーに乗ろうか。別荘に着いたら仕事内容を説明するから」

 丁度きたからと健司に促されるがままに琉唯たちはフェリーに乗った。小さな船で観光客らしき人がちらほらと窺える。少し先に見える島を眺めていれば、「海風が気持ちいい!」と千鶴が浩也の腕に抱き着きながら喋っていた。

 すっかりと観光気分の様子に、これから清掃作業があるのだけど大丈夫だろうかと琉唯は少しだけ心配になる。他のメンバーも景色を眺めながら雑談をしているので、バイトであることをあまり気にしていないようだ。

 そこまできつい作業ではないのだろうかと、琉唯が隣で黙って海を見つめている隼に目を向ける。彼の表情というのは特に変わってはいなかったが、他のメンバーとは殆ど喋りもしていなかった。

「隼はこういった集団行動って苦手そうだけど大丈夫か?」
「嫌いな部類ではあるが、働けば人と関わることは多くなる。そう割り切れば別に気にならない」

 どんなに苦手であろうとも働く以上は人と関わることになる。嫌いだからと避けることは難しいのだから面倒であろうとも受け入れざるおえない。ならば、これは仕方ないことなのだと割り切ればいいと隼は返す。

「それに琉唯と長く共にいられるならば嫌いなことでも我慢ができる」
「そうか……」

 琉唯が居なければ絶対に参加していなかっただろうというのは、その一言だけで察せてしまった。これは千鶴も前方彼氏面と言いたくなるよなと琉唯は笑う、自分も思うと。

   *

 離島の町並みというのは長閑で喧騒としている都会のことを忘れられそうだった。土産物屋も、港で水揚げされた魚介を取り扱う定食屋も、遠目から見ていると店主たちがにこにこと接客していて感じが良い。

 そんな港から山沿いの道を登った先、案内された高台にある別荘は洋館という言葉がぴったりな建物だった。良い言い方をするならば西洋の古風な、悪い言い方をするならば古臭い外観だ。

 建物自体はしっかりとしていてデザインが古いというだけで住居としては問題ないようだ。門をくぐって玄関へと向かうと健司が鍵を開けて中へと入っていく。

 玄関ホールは段ボールが置かれて散らかっていて、二階に続く階段にも積まれている。置かれた荷物を健司が軽く確認しながらリビングルームに続く扉を開いた。

 リビングルームはこれまた荷物が散らかっていた。生ゴミといったものは無いが、家具や段ボール、雑誌類などが占めている。ソファとダイニングテーブル、テレビ台など見えて、少し物を退かせば室内を移動することはできるだろう。

 ゴミ屋敷というほどではないが埃っぽい。女性陣はうわぁと周囲を見渡して、男性陣は「物が結構あるな」と愚痴を零している。

「電気と水道は通してるし、これぐらいなら荷物を退かせばリビングルームで食事が取れそうだな! 他の部屋は少し散らかってるだけだから、片づければ寝れる!」

「健司先輩、ポジティブ過ぎないっすかー」

 隆史は床に転がる段ボールを蹴飛ばしながら突っ込む。ここで暫く寝泊まりしないといけないというのを考えると大変なのではと思わなくもない。香苗も「ほんとに他の部屋は大丈夫なんですかぁ」と不安げだ。

「ちゃんと写真で確認したけど埃が積ってるだけだって。玄関ホールのいくつかの荷物は父さんがバイトのために用意してくれた毛布とかが入った段ボールだ。で、寝泊まりするのは他の七部屋になるんだけど……」

 造りが少々特殊で一階に四部屋あるが玄関の隣の一部屋以外は離れている、二階は一般的な並びの三部屋、計七部屋しかない。誰かがペアになる必要があるなと健司が腕を組むと、「それなら千鶴ちゃんは彼氏さんと一緒のほうがいいんじゃないかしら?」と陽子は提案する。知らない人と一緒に居るよりかは恋人とペアのほうがいいのではないかと。

 彼女の気遣いに「私はひろくんと一緒で大丈夫ですよ!」と千鶴が手を上げる。浩也も千鶴がいいならといった感じで了承していた。

「じゃあ、オレは陽子と一緒で……」
「隆史は場をわきまえないから一人でいなさい」

 隆史からの指名に陽子はばっさりと断る。恋人であるからだろうか、相手のことを理解しているようで、「私は優子と一緒にいるわ」と優子にいいわよねと声をかけている。

「あ、じゃあわたしは一人がいいなぁ。一人のほうが落ち着けるしぃ」
「オレも一人がいい」
「えっと、香苗ちゃんと墨田くんが一人か……となると……」
「俺は琉唯と一緒で構わない」
「言うと思った」

 琉唯はだろうねと隼を見遣る。何かおかしなことを言っただろうかと不思議そうにしていて、もう突っ込むのも面倒になった琉唯は「別にいいけど」と返した。

「部屋割りは……」
「隆史は玄関近くの部屋にしましょう。貴方、煙草吸うでしょ」

 室内で吸われたら困るのよと陽子にじとりと目を向けられて、隆史は「分かったよ」と不満げではありながらも了承した。優子の「女性陣は上でどうからしら」という提案で二階は女性陣、一階は男性陣と別けることになった。

「僕たちは少し離れた場所の部屋になるけど……」
「おれらはどこでもいいですよ」

 部屋の場所なんて気にしないのでと琉唯が手を挙げれば、辰則も「どっちでもいい」と答えた。健司は「それじゃあ、部屋割りはこれで」と話しを続ける。

「さて、各部屋掃除する側と荷物片づける側に別れようか。庭と倉庫も確認しておきたいから男性陣はいったん、こっちに来てくれ」

 健司の「玄関の荷物片づけたら部屋の掃除に移るから」という提案に、陽子は「力仕事は邪魔になっちゃうだろうしいいわね」と賛同した。ほかの女性陣も納得しているようで、特に異論はでていない。

 それじゃあよろしくと健司が妹たちに声をかけて男性陣を外に呼んだ。別荘の裏手に回ると草が伸び放題の庭があり、その奥に倉庫らしき建物が見える。「緑川くんたちちょっと確認してくれないか」と健司がプレハブ小屋のような倉庫を指さした。

「僕は玄関ホールの荷物の確認するから。要らないやつとかは倉庫に一時的に仕舞っておきたいんだ。浩也たちは荷物運ぶの手伝ってくれ」

 健司の指示に琉唯はレンガの敷かれた草がない通り道を歩いて倉庫へと向かう。建物自体は何の変哲もないただのプレハブ小屋だ。少々、古くなっているけれど外観を見るに壊れてはない。プレハブ小屋の周りは草が生えているのを覗けば、綺麗なもので何も物が置かれていなかった。

 鍵は開いているのだろうかと扉を引いてみるとすんなり開いた。段ボールが奥に積み重なり、庭の手入れに使っていただろう草刈り鎌や、金槌などの工具道具が隅で埃をかぶっている。

 扉の近くに新しめの草刈りが置いてあり、見た感じでは使えそうだ。これはバイトのために用意されていたものかもしれないなと、琉唯は部屋の中を一通り確認していると「大丈夫そうかい」と声をかけられる。

「緑川くん、中に物は入りそうかい?」
「健司先輩、大丈夫そうですよ」
「父が草刈り用に機械を置いてくれてるって聞いたんだけど」
「それならこれのことだろう」

 隼が指さした先にある草刈り機に健司が「これだこれ」と安堵したように息を吐いた。流石にこの草を手作業では刈りたくなかったようだ。倉庫の中を見て、「玄関ホールの荷物を此処に詰めちゃおう」と外に声をかける。

「浩也ー、荷物が置けそうだから持ってきてくれー!」
「りょうかーい」
「あ、二人には草刈り機を運んで……」
「それは俺がやろう。琉唯が怪我したら大変だからな」
「え、あぁ……じゃあ緑川くんは荷物運んでくれ」

 健司の指示に琉唯がプレハブ小屋を出て玄関ホールへ向かうと浩也と辰則とすれ違う。琉唯が「荷物ってどんな感じですか?」と聞けば、浩也に「玄関で崎沢が仕訳けてるから聞いてくれ」と返される。

 開け放たれている玄関に足を踏み入れて琉唯は首を傾げた。玄関ホールにいるはずの隆史がいないのだ。どうしたのだろうかと周囲を見渡してみると、リビングルームから声がする。

「えー、いいじゃん香苗ちゃーん。」
「だめですってばぁ。隆史先輩、陽子先輩にバレちゃいますってぇ。あと、室内で煙草は吸わないでちゃんと仕事しないとー」

「大丈夫だって。あれはバレてない、バレてない」
「ほんとですかぁ? でも、煙草は匂いでバレるんでやめときましょー」

 ほら、さっさと仕事に戻ってください。その声に追い立てられるようにリビングルームから隆史が出てきた。なんとも不貞腐れている彼と目が合って、琉唯は「あの」と声をかける。

「どうかしたか?」
「いや! なんでもないぜー」
「なんか話してたみたいだけど……」

 話していたよなと聞いてみるが隆史はなんでもないと笑う。大したことじゃないから気にすんなと肩をばしばしと叩かれた。

「なんでもないって! で、緑川はどうしたんだよ」
「荷物運ぶからどれ持っていくか教えてほしいんだけど」
「あー、そういうことね! こっちこっち」

 ほらと玄関脇に詰まれた段ボールの一つを隆史は持ち上げてほいっと琉唯に渡した。大きいわりに重くない荷物でこれなら楽に運べそうだと荷物を持ち替える。

「そういえば、千鶴ちゃんだっけ? かわいいよなー、あの子」
「時宮ちゃんには恋人がいるぞ」
「花菱先輩だろー。いいよなー」
「陽子さんも綺麗だと思うけど……」

 いいよなぁと羨ましがる隆史に陽子も綺麗な人ではないだろうかと琉唯は不思議そうに彼を見た。隆史は「付き合ってみると怖いんだぞ」とおちゃらける。

 彼女に失礼ではないかと指摘しようとして、「かわいい子っていいよなー」という言葉に止めておいた。彼は女性に目がないタイプではないだろうかと、察して。

   ***

「疲れた」
「そうだろうな」

 ぐでっと琉唯は段ボールの上に座った。リビングルームはまだ散らかっているが、食事ができるようにとダイニングテーブルが綺麗に掃除され、床に置かれた荷物は隅に積まれて軽く片づけられている。壁に寄り掛かりながらペットボトルの飲料水を飲む隼も疲れた様子だ。

 比較的、軽い荷物が多かったが中には重いものもあったので玄関とプレハブ小屋の往復は重労働であった。それに加えて部屋の掃除もしたのだから疲れないわけがない。明日は草刈りがあると聞いているが、琉唯は身体が持つか分からないなと今から心配していた。

 用意された簡易的な夕食を食べた後、明日の予定を聞いていた琉唯は軽く引き受けてしまったことを少しだけ後悔する。体力がないわけではないが、荷物運びや草刈りというのはかなりの体力を消耗するものだ。

 女性よりは体力があるだけで、肉体労働は得意ではなかったのだ、琉唯は。初日でこれなので、明日が憂鬱でならなかった。そんな様子に「琉唯に肉体労働は向いてない」と隼が追い討ちをかける。

「女性より筋肉があるだけで華奢な身体である自覚をもったほうがいい」「くっそ、細マッチョめ……」

 なんとも羨ましげに琉唯は隼を見遣る。彼は容姿が良いだけでなく、体格も良かった。だから、女性陣に人気があったわけなのだが、体力もあるのだ。荷物運びをしていたというのに息も上がっていなかったのを思い出して、負けた気分になる。

「緑川くんと鳴神くんお疲れー。明日、草刈りだってね、大丈夫?」
「大丈夫ではない」
「うん、知ってた」

 緑川くんは体力なさそうだもんと千鶴にも言われて琉唯はうぐぅとへこむ。本当のことなので言い返すこともできない。くっそうと呟いて不貞腐れていれば、千鶴に「こっちはキッチンとかリビングルームの片づけられる場所なんだよねぇ」と部屋に置かれた荷物たちを指さす。

「段ボールとか邪魔だしさぁ。荷物とかってまた倉庫に運ぶの、ひろくん?」
「オレはそう聞いてるな」

 千鶴に呼ばれて浩也が答えれば、「草刈りよりこっちのほうがまだいいんじゃない?」と提案された。清掃作業のほうが草刈りよりはまだ大丈夫なのではないかと。リビングルームから段ボールの荷物運ぶ役割もほしいしと言われて、それもありだなと琉唯も思う。

「緑川がそっちに行くともれなく鳴神も着いていくからだめだ。この細マッチョは草刈りに参加してもらわないと困る」

「だよねぇ」

 浩也の指摘に千鶴はそうだったわと頷く。そこで納得してもらいたくなかったけれど、自分でもそうなるだろうなと琉唯も否定ができなかった。隼も平然と「そうなるな」と返している。

「陽子ー。オレ、先に部屋に戻るわー」
「あら、早いわね」
「疲れたからかなー。めっちゃ、眠い」
「隆史先輩、あんまり動いてなかったと思うんですけどぉ」

 ふと視線を向けると隆史がダイニングキッチンに立つ陽子に声をかけていた。疲れたからという主張に香苗が指摘すれば、隆史は「オレだって動いてたわ!」と言い返している。けれど、彼女に信じていないように笑われて、陽子からも「ほんとかしらね」と言われているあたり、あまり信用はされていないようだ。

「墨田くん、隆史先輩あんまり動いてなかったでしょぉ」
「いや……それは……」
「濁すあたりたまにサボってたわね、隆史」
「おいこら、辰則! そこは先輩をフォローしろよ!」

 先輩だぞと隆史に言われるも辰則は頭を掻くだけだ。嘘をつけないのはその態度でわかることで、困っている様子に陽子が「後輩を困らせちゃダメでしょ」と注意している。

 香苗に弄られて文句を言っているが、眠いのは本当のようで隆史は欠伸をした。そういえば、何時だろうかとスマートフォンで時間を確認すれば二十時になっている。まだ早い時間ではあるが、疲労で眠たくなる頃合いでもあった。

「お前ら揃いも揃って、オレをなんだと思ってるんだよ!!」
「えー、サボり癖がある先輩?」
「かーなーえーちゃーん」
「きゃー、優子さん助けてー」

 きゃっきゃと香苗が優子の背に隠れる。それを見た陽子が「優子に懐いちゃって」とくすくす口元に手を添える。四人の様子は隆史が揶揄われているのを除けば、仲が悪いようには見えなかった。

 優子に庇われた香苗を見てか、隆史は「オレは寝るぞ!」とリビングルームを出て行ったしまった。香苗が「揶揄い過ぎたかなぁ」と小首を傾げると、「あれぐらい大丈夫よ」と陽子が笑う。

「あ、そうだわ。陽子、キッチンの汚れ確認しなきゃ」
「あぁ、そうだった!」

 思い出したように陽子と優子が慌ててキッチンの奥へと引っ込む。構ってくれる人がいなくなってか、香苗は暇そうにダイニングテーブルの椅子に座った。辰則と何か会話をしているが、あまり盛り上がっている様子はない。

「オレ、トイレ行ってくるわ」
「それ言わなくてもいいんだけどー、ひろくーん」

 琉唯は千鶴に小突かれている浩也に笑いつつ、キッチンのほうへと目線を移す。陽子と優子が「シンクの汚れは落ちそうね」と明日の掃除の事を相談していた。

「あ、緑川くん。そこに置いてある段ボールの中に掃除用のスポンジがあるんだけど、取ってくれない?」

 陽子に言われて琉唯は自分が椅子代わりに座っていた段ボールの隣の箱を開けた。中にはスポンジなどの掃除道具が仕舞われている。目に留まったスポンジを手に取って琉唯はキッチンへと向かった。

「これでいいか?」
「ありがとう。これで落ちそうかし……」
「あっ!」

 キッチンに置かれた荷物に足を取られて陽子がよろめき、咄嗟に琉唯が彼女を支えた。大丈夫だろうかと見遣れば、彼女のTシャツの襟元から僅かに見える肩口に痕があるのが目に留まる。

 近くで見れば小さな火傷痕のようにも見えるが、服で隠れる位置にあるのでまじまじと観察しなければ確認できない。琉唯は変なところに痕があるなと思いながら陽子を抱き起した。

「ありがとう。緑川くん?」
「あ、すみません!」

 じろじろ見てしまったと琉唯が慌てて謝れば、陽子は特に気にしている様子もなく「大丈夫よ」と微笑んだ。

「私を転ばせないように支えてくれていただけじゃない。気にしないから」「陽子、大丈夫?」
「大丈夫よ、優子」

 陽子は琉唯からスポンジを受け取りながら返事を返すも、優子は「先に休んだらどうかしら?」と心配そうだ。疲れが出て足元が疎かになていたかもしれないという指摘に、陽子は「考え過ぎよ」と笑うけれど、彼女は「先に休んで」と引かない。

「あとは私と兄さんでやるから」
「そう? じゃあ、そうするわ。香苗ちゃんはどうする?」
「あ、じゃあわたしも部屋に戻りますぅ」

 此処に居ても暇だしと香苗は陽子に着いていく。残ったのは琉唯たちと、辰則、健司、優子だけだ。健司は辰則に声をかけて一緒にリビングルームの荷物を確認しているので、もう少し居るだろう。

 自分たちも明日の予定は聞いたし、ここに残る必要もないかと琉唯が部屋に戻ろうかと隼に声をかけようとしてやめた。彼がなんとも不機嫌そうに眉を寄せながら見つめてきていたのだ。

 隼を見てから千鶴に目を向ければ、「緑川くんが陽子さんをじろじろ見てたからぁ」とにやにやされる。別に変な目で見ていたわけではないと主張したいけれど、見ていたのは事実であるので否定ができず。

「隼、機嫌直せって」
「俺は君を抱きしめたいが?」
「会話って知ってるか?」

 隼の羨ましげな眼差しに琉唯は溜息が零れる。別に自分から抱きしめたわけではない、支えただけなのだ。とは言っても、彼の瞳は変わらない。

「うーん、ここは緑川くんが抱きしめてあげれば解決するのでは」
「なんでそうなるんだよ。おれ、悪くないんだけどなぁ」

 何故、そうなるのかと突っ込みたいが、千鶴の提案しか隼の機嫌を直すことはできないのだろう。どうしてやってあげなければいけないのだと文句が出るも、引いてくれる様子はない。しばし見つめたてから「仕方ないなぁ」と琉唯は彼を抱きしめてやった、よしよしと頭を撫でるおまけをつけて。

「ぶっ、やばいっ、イケメンの顔が崩壊してるっ」
「時宮ちゃん、笑ってないで助けて。めっちゃ力入れて抱きしめてくるんだけど」
「む、むりっ、笑うっ。くふっ……」

 逃がさないとばかりに腰に回る隼の腕を琉唯はばしばしと叩くも、離れる気配がない。千鶴は隼の崩壊しているイケメン顔がおかしくて腹を抱えているので助けてはくれそうになかった。

「お前ら、何やってんだ?」
「先輩、助けてください」

 何があったのかと問わなくても察したようで、浩也は「鳴神が満足するまで頑張れ」と笑う。琉唯は抱きしめてやらなければよかったと口を尖らせた。

「緑川は放っておいて千鶴、俺たちは部屋に戻ろうぜ」
「そうだねー」
「置いていくとか酷くないか?」
「緑川くんがどうにかしないと」

 ねぇと二人は顔を見合わせるので、琉唯は未だに抱き着いて離れない隼の頭をべしりと叩く。部屋に戻るぞと言えば、彼は渋々といったふうに離れた。それでも満足はしたようでなんとも機嫌が良い。

 これだけで機嫌が取れるというのも考えものだなと琉唯は思うが口には出さない。言ったところで「好きなのだから仕方ないだろう」とさらりと返されるだけだ。だから琉唯は突っ込むことはしなかった。

   ***

 離島の夜というのは静かだ。都会と違って走行する車のエンジン音も、騒がしい人の声もない。きらきらと眩しいビルの光も、街灯もなくて寝静まっているように感じる。

 空を見上げれば都会の光で見えづらくなっていた星が煌めくのだろう。けれど、分厚い雲が覆い、今にも雨が降りそうだ。海は荒れたように波打って天候の悪化を知らせる。

 がんっと鈍い音がした。ずるりと地面に崩れながら振り返れば、ぎらりと光る眼と目が合う。

「あ、な、なぜ……」

 問う言葉は二度、三度と響く音にかき消され――動かなかくなった。横たわる〝それ〟からどろりと赤い雫が流れているけれど、降り出すだろう雨が洗い流してくれる。

「何故って、お前が言うのか」

 誰のものともしれない声がする。それは怒りと憎しみが籠められていた、許さないと。


 

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