鳴神隼のただ一人の為の推理 一話
一.第一章①:前方彼氏面な鳴神隼という男
入学シーズンを終え、大型連休を乗り越えた五月上旬。南八雲大学のカフェスペースでは学生たちが勉強や談笑に花を咲かせている。賑やかなカフェスペースの窓際のテーブルで、緑川琉唯は襟足の長い栗毛を耳にかけて、目立つ紫のメッシュを揺らしながら腰を掴む腕を叩いていた。
「隼、頼むから離れてくれないか?」
「何故?」
何故と不思議そうに顔を向ける彼の猛禽類のような眼が細まる。ウルフカットに切り揃えられた黒髪が彫刻のように整った顔に映えていて、女性だけでなく男性も見惚れてしまう。そんな青年が大学のカフェスペースで男の腰を抱いていた。
「隼。おれは別に逃げないから」
「逃げるとは別に思っていない。ただ、俺がこうしていたいだけだ。何か問題でもあるのか?」
「人目を気にしてくれないか」
カフェスペースのテーブルの椅子に座っているとはいえ、角度によっては腰を抱いているのが見える。それを他に利用している学生の目に留まるわけで。ちらちらと女子の視線がこちらに向けられていた。
鳴神隼という男に琉唯は懐かれた。いや、好意を寄せられてしまっている。このイケメン男子に男の自分が好かれてしまったのだと、琉唯はどうしてこうなってしまったのかを思い出すように溜息を吐いた。
***
琉唯は二年生に上がった今ではそこまで利用はしなくなったが、一年生の時は講義の空いた時間や、友人との待ち合わせのために南八雲大学附属図書館を利用していた。
鳴神隼はその図書館の常連であり、通っていれば知らない人はいない。琉唯は視界の端に彼を見止めるぐらいでそれほど興味はなかった。同じ学科であるのだから噂を聞いたことがなかったわけではない。現に彼目当てで図書館にやってきては話しかけている女子大生というのは多かった。
「ねぇ。どうして無視するわけ! 聞こえてるでしょ!」
室内に響くのではという大きさの甲高い声に振り向けば、緩く巻かれた髪が目立つ女子大生がテーブルをだんっと叩くのが目に入った。彼女の目の前には分厚い本を捲っている隼の姿がある。黙って本を読む姿というのは格好良く見えるもので、「今日もイケメンだな」と琉唯はのんきに眺めてしまう。
彼が本を読んでいる姿というのは様になっている。だから、彼に見惚れて女子大生の行動など忘れてしまいまそうになるのだが、またテーブルを叩かれて現実へと引き戻された。
二度目のテーブル叩きにやっと隼は分厚い本に向けられた眼を上げた。なんとも面倒げに、不愉快そうに。
「なんだろうか」
「暇でしょ? 一緒に遊ばない?」
「何故、暇だと決めつける」
隼が眉を寄せながら問い返す。やっと反応してくれたのが嬉しかったのか、可愛らしく話す女子大生が「だって本読んでるから……」と答えた瞬間、ぱんっと分厚い本が音を立てて閉じられた。
「君の本を読む理由が暇つぶしのためなのだろうが、一緒にしないでもらいたい。俺は本を読むために図書館を訪れている、暇ではない」
暇つぶしに本を読む行為を否定するつもりはないが、勝手に決めつけないでもらいたい。隼は冷たく、強めな口調で言うと嫌悪するような眼差しを向ける。
女子大生は少し固まっていたが我に返ると「そんな言い方しなくてもいいじゃない!」と、露骨に傷ついたといったふうに言い返した。不愉快そうな隼の態度がまた反感を買う。
「なんなの、その態度。ちょっと顔が良いからっていい気になってない?」
「なっていないが? 君の態度に呆れているだけだ」
此処はナンパや出会いの場でもないというのに邪な考えで声をかけてきた君に言われたくない。はっきりと告げられて女子大生は握っていた拳に力を籠めながら「酷い」と涙を溜めた瞳を向けた。
けれど、彼、鳴神隼には通用しない。他に何があると返されて、女子大生は睨みながら「調子に乗んなよ!」と声を張り上げ――彼の頬を叩いた。
「そうやって女をあしらって楽しいわけ? だいた……」
「五月蠅い」
五月蠅い。言葉を遮られた女子大生ははぁっと振り返る。
「五月蠅いんだよ。ここ何処だと思っているんだ?」
あまりにも理不尽、あまりにも騒がしい。琉唯は流石に我慢ができずに女子大生に近寄った。ずいっと指をさして、「此処は図書館」と告げる。
「公共の場だ。騒いでいいわけがないし、読書の邪魔をする場ではない。これ、小学生でもわかることなんだが?」
子供でも分かることを大学生が分からないわけないよなと琉唯が言えば、女子大生は口を開こうとするも言葉が出ない。注意されている意味を理解はしているようで、言い返したくてもできないのだろう。
「声が大きいだけでも酷いっていうのに、テーブルを叩いて読書の邪魔をする。周囲の迷惑など気にするでもなく騒いで、相手の頬を叩く。これら全て図書館という公共の場所でしていいことか?」
司書さんもこっち睨んでるぞと貸し出しカウンターを指させば、じろりと見つめる複数の眼が女子大生を捉える。その視線にやっと気づいたようで顔を赤くさせた女子大生は、何を言うでもなく走っていってしまった。
なんと騒がしい人だろうかと琉唯が思っていれば、隼が叩かれた左頬を擦りながら立ち上がった。
「助かった。一応は礼を言おう、ありがとう」
「五月蠅かったから言っただけだよ」
「すまない、騒がしくしてしまった」
「あんたが悪いわけじゃないだろ。あれはどう見ても女子が悪かったし」
勝手に言いがかりつけて、反論されたら被害者面して騒いで暴力を振るなど、どうみても女性側に問題がある。あぁいったタイプの女性には変に優しさを与えてはいけない。勘違いされかねないのだから、琉唯は隼の対応自体は問題ないと思っていた。
と、本人に伝えれば、隼は目を丸くさせていた。何故、驚いているのだろうか、彼は。琉唯はおかしなことを言っただろうかと首を傾げる。
「おれは何かおかしなこと言ったか?」
「いや、俺の言い方にも問題があると注意されることが多いから意外だったんだ。だが、はっきりしなければ伝わらないだろう?」
「それはそう。時と場合にもよるけど、はっきりと言うのは悪くないとおれは思うよ」
それで離れていくならそれまでの関係だったってことなわけで。本当に好きなら相手のことも、周囲の事もちゃんと考えられる人のほうがいい。琉唯は「それが判断できるのだからはっきり言っていい」と笑む。
ぴしりと隼は固まった。驚きと動揺などが入り混じった顔というのは、言葉にするのは難しい。あの整った顔がなんとも間抜けに崩れていく様というのは、失礼ながら面白いなと琉唯は吹き出しそうになるのを堪える。
「おもし……すごい顔してるけど、どうかしたか?」
「…………なんでもない」
たっぷりと間を空けてから返された言葉に「なんでもないことはないだろう」と突っ込みたかったのだが、口元を隠しながら動揺している隼の様子に黙っておくことにした。
これがきっかけで隼と話すようになった。琉唯自身からというよりは、彼から話しかけてくれるようになったのだ。懐かれたかなぐらいで軽く考えていた琉唯はそれが甘いのだと知る。
*
決定的だったのはある日、琉唯は講義の時間の合間にいつものように図書館へと向かい、どの本を読もうかと新刊コーナーを吟味してい時だ。
「お前、ふざけんなよ!」
いくつかの本を手に取ってあらすじと書き出しを読んでいた琉唯の耳に苛立った声が届く。声は控えめになっているけれど、それでも聞こえる声量になんだと振り返れば、テーブルに数名の男子が何かしていた。
一人、知った顔がいたので琉唯が「何、やっているんだ」と声をかければ、「トランプで遊んでた」と返された。此処は図書館なのだから、遊ぶのはどうなのかと琉唯が呆れていれば、苛立った声を上げた男子が「お前ばっかり勝つのはおかしいだろ!」と指をさす。
指をさされた男子は「オレは何もしてないよ。お前が弱いんだ」と鼻で笑う。それにまた頭にきたのか声を荒げそうになる彼を傍にいた男子たちが押さえる。
何のカードゲームをしていたのだろうかと聞いてみれば、ブラックジャックだった。話を聞くに、合計点数が21を超えないぎりぎりのラインで目の前の男子は勝ち続けているらしい。
ぎりぎりのラインというのが皆、引っかかっているようだ。一度や二度ならわかるが、ずっと続くとなると怪しい。けれど、男子は何もしてないと主張する。
琉唯も少し怪しいなと思ったけれど、証拠は無いので何も言えない。どうやら、ちょっとした賭け事もしていたようで、負けた男子たちは困ったように顔を見合わせている。
「なんだ、お前もオレと勝負するか?」
「いや、やるとは言ってないんだけど、おれ」
話を聞いていた琉唯を連勝中の男は挑発した。それに素直に乗るほど琉唯は短気ではないので、やらないと返すのだが「逃げるのか」と男は煽ってくる。
「何をしている、琉唯」
「あ、隼」
どうしたものかと頭を悩ませていれば、隼がするりと隣に立った。琉唯は実はと今の状況を説明すると、彼はふむと顎に手を当てる。そんな隼など知らないといったふうに連勝中の男子は琉唯と勝負をしたいようだ。
琉唯はやりたくないけれど、相手が引かないので仕方なく「一回だけなら」と席に着いた。連勝中の男は「オレが買ったら学食奢れよ」などと言ってくるものだから、やっぱりやらなければよかったと琉唯は後悔する。
連勝中の男はカードをシャッフルし始める。カードを綺麗に束ねず、手前に少し出して雑にテーブルに置いてカットしていくのを眺めていれば、はぁと露骨な溜息が聞こえた。
皆がなんだと見遣れば、隼が眉を寄せながら「勝てる訳がないだろう」と、テーブルに置かれたトランプに触れる。
「トップコントロールされている山札からカードを引いて、どうやって勝つんだ?」
「トップコントロール?」
「トランプマジックの一つだ」
トップコントロールとは山札のトップを好きなカードに固定することができる。トランプマジックで言うところの、「観客が選んだカードをトップ(一番上)に移動させる」だ。
「トランプマジックの王道だ。予め、トップにしたいカードを選んでおき、カードを手前に少し突き出す、これをインジョグという。次にインジョグより上のカードを二回に分けてカットする」
まず、インジョグより上のカード半分を持ち上げてテーブルに置き、続いてインジョグよりも上の残りを持ち上げてカードの上に置く。あとは残ったカードも全て持ち上げて、テーブルのカードの上に置けばマジックの完成だ。
「一番上にはトップに持ってきたかったカードがきている。君たちが最初に引いたカードは数字が一桁、それも1から4ではなかったか?」
隼の指摘に皆が一斉に頷いた。自分は2だった、3だったと。それを聞いて隼はカードの一番上を捲った。トップに置かれたカードはハートの2だった。
「君は何か反論があるだろうか?」
「……くそっ」
隼の推理通りだったようで男子はトランプを慌てて仕舞う。それが全てを物語っており、彼と勝負していた男子たちが「お前、イカサマとかしてんじゃねぇよ」と抗議し始めた。
すっかり蚊帳の外となってしまった琉唯を、隼は「迷惑になる」と言ってその場から離れさせる。手など繋がなくともよいのに。
「ありがとう」
「琉唯の友人か、彼らは?」
「え? いや、一人は知ってるけど他は知らない」
琉唯の返答に隼は片眉を下げた。それは呆れている様子ではなく、心配しているふうで。どうしてそんな表情をするのだろうかと琉唯は首を傾げる。
「琉唯。知らない人間の誘いに乗るのは危険だ。賭け事など特に」
「それは……そうだな、うん。隼には助けられた」
「君を助けることに俺は躊躇いはないが、気をつけてほしい」
「うん」
隼の忠告というのはその通りすぎて琉唯は頷くしかない。知らない人間と賭け事などするべきではない、何が起こるか分からないのだから。隼に助けられたなと、琉唯は彼らから少し離れたテーブルの席に腰を下ろしながらもう一度、お礼を言った。
「ありがとう、隼」
「……っ」
微笑むように感謝を伝えれば、隼の猛禽類のような眼がこれでもかと開いたかと思うと、ゆっくりと細まって眉を下げながら額に手を当てた。なんだ、その行動はと琉唯が眺めていれば、「反則が過ぎる」と振り絞るように言われてしまう。
何が反則なのだろうか。琉唯には分からず、特に思い当たることもなかったので頭には疑問符が浮かぶ。うん? と考える仕草をしていれば、隼はまた声を詰まらせた。
「どうした?」
「君は自分が愛らしいというのを自覚したほうがいい」
「は?」
何を言っているのだ、彼は。目を瞬かせる琉唯を隼はじっと暫し、見つめてからほっと息を吐く。彼はいたって真面目な顔をしていたので、冗談でも嘘でもないようだ。
おれは男だが? という疑問がまず浮かぶのだが、琉唯は女子から「可愛いよね、緑川くん」とよく言われていたので違和感はなかった。自分は小動物系らしいというのを女子から聞いている。
とはいえ、それは異性からの印象だ。同性から言われるとなんとも不思議な気分になるわけで。
「君はあの時からといい、俺の脳を焼くのが得意だな」
「言っている意味が解らない、隼」
「無自覚というのは罪深い……。だが、これで理解した」
「何を?」
「俺は君の笑顔に弱い。君自身に惹かれているということだ」
何を言っているのだ、彼は。本日二度目の言葉が頭を過る。そんな琉唯をまた真面目な表情で隼は見つめてくるものだから、問い返すのが間違いな気すらさせてきた。
「あ、そう……」
琉唯はそう返してしまった。馬鹿にするでも、嫌悪するでもなく、そうなんだと受け入れてしまった。
***
思い出される隼との出会いに自分が距離を置く言葉をかけなかったのが悪いのだ。受け入れてしまったのだ、あの時に。あれは彼なりの告白の言葉であり、それを自分は拒絶しなかった。しなかった時点で負けなのだと琉唯は気づく。
(仕方ないじゃないか。別に隼のことは嫌いじゃなかったし)
隼を嫌いになる要素はなかった。距離の近い感じはあれど、琉唯自身が嫌だと拒絶したことに関しては大人しく従ってくれる。勉強だって分からないところは教えてくれるし、本の趣味も合うのだから嫌いになる要素がない。
少々、はっきりと物を言ってしまうのが悪いところではあるが、それは彼が嘘をつかないという性格の表れでもあった。だから、好きか嫌いかならば、好きとなる。
とはいえ、その好きが恋愛感情かと問われると分からない。琉唯は答えが出せず、こうして隼のすることを許していた。
「相変わらずの前方彼氏面だね、鳴神くん」
「あ、時宮ちゃん」
ふわりとウェーブがかった明るい茶毛を揺らして、手に持ったカフェオレを飲みながら女子が一人、声をかけてきた。
彼女は時宮千鶴という大学の同級生。同じ学科であり、彼女の持ち前のコミュニケーション能力によってこうやって話す仲だ。琉唯に紹介された先輩と恋人になったというのもあるのか、今では遠慮なく愚痴を言い合っている。
「器広いよね、緑川くん」
慣れたように二人の前の席に座って千鶴はカフェオレをテーブルに置きながら話す。
いくら友人として好きだとしても、隼はあまりに彼氏面をしている。後方彼氏面といった一歩、後ろでやっているならばまだしも、隠す気もなく前面に出る前方彼氏面をされては嫌だと感じることもあるはずだ。付き合っているわけでもないのに、そこまでされてもと鬱陶しくなるのではないか。
千鶴は「器が広くて優しい。だから、離れないんだよねぇ」と隼を見遣った。彼は黙って眉を寄せるが、それだけで図星を突かれているのは察することができる。
「時宮ちゃんって怖いもの知らずだよな。本人の前でそれ言えないよ、普通」
「私だって誰彼構わず言う訳じゃないよ。私は敵対視されてないからね」
千鶴は恋人以外の男性に興味がない。琉唯や隼のことも同級生の友人として接している。恋愛感情が一切なく、嘘をつくこともなれければ、二人に迷惑をかけることもしていなかった。
隼目当てで話しかけてくる女子を千鶴は「無理無理」と相手にしていないし、琉唯にちょっかいをかけることもしない。なので、隼からは敵対視されていない数少ない人間の一人だ。
それを千鶴は理解している。二人を揶揄うことは絶対にしないので、はっきりと物を言っても許されるのだと彼女は笑ってカフェオレを飲む。
「そもそも、本当のことしか私は言ってないし。だから、鳴神くんも言い返せないんだよねぇ」
「……君を敵には回したくない」
「大丈夫だよ。私はどっちかというと鳴神くん応援してるし」
緑川くんは一人にしておくと心配だしと言う千鶴に、そこまでかと琉唯はむっと頬を膨らませる。不満そうな顔を向ければ、「変な女子に捕まりそうだもん」と追い打ちをかけられてしまった。
琉唯には自覚があった。付き合った経験がないわけではなく、何人かと恋人関係になったことがある。けれど、共通して少々、我儘な女性だった。変なというわけではないにしろ、振り回された経験があるのだ。
「自覚あるじゃん」
「まぁ……うん」
「今もなのか、琉唯」
「いや、今は付き合ってる人とかいないけど……。お前に振り回されてる感はある」
前方彼氏面してくるところとかと琉唯が言えば、隼はゆっくりと瞼を閉じて、「これでも抑えている」と一言、返された。それはもう振り絞るように。
あぁ、いろいろ我慢しているのだなと琉唯だけでなく、千鶴も察したようになるほどと頷いた。これ以上の制御は無理なのだろうと。
「まぁ、前方彼氏面な鳴神くんを受け入れてさ、好きにさせてる緑川くんも悪いし」
「それに関しては否定ができない」
「鳴神くんなら襲ってくることはないだろうからゆっくり考えな」
「おれ女側じゃん、それ。いや、それより時宮ちゃん、言い方」
本人の前で何を言ってるんだと琉唯が突っ込みを入れれば、千鶴はてへっと舌を出す。全く悪気の無い様子に琉唯はちらりと隼を見遣れば、彼は「同意なしにそういったことをするわけがないだろう」と当然のように返していた。
なんだか突っ込むのも疲れて琉唯がはぁと溜息を吐けば、「あ、いたいた」と声がする。
「ひろくん!」
声がして振り向けば丁度、話していた相手である千鶴の恋人、花菱浩也がやってきた。焦げ茶の短い髪をワックスでセットした浩也は今日も男前に磨きがかかっている。
「ひろくん、おっそい!」
「悪かったって。友人に呼び止められて遅くなったんだ。その、緑川……。ちょっといいか?」
「どうしたんですか、先輩?」
なんとも申し訳なさげにしている浩也に琉唯が問い返せば、彼はちらりと隼を見てから「ちょっとお前に話があるんだわ」と言われた。その視線に自分一人でということを察した琉唯は隼に「ちょっと待ってろ」と指示をだして立ち上がる。
隼はなんとも不満げであったが琉唯に「時宮ちゃん見張っといて」と千鶴に頼んでいるのを聞いて、しぶしぶといったふうに頷いていた。
浩也に連れられてカフェスペースから離れると一人の女子が腕を組んで立っていた。琉唯が来たのを見て彼女は「花菱君、遅い」と文句を言う。
藍色交じりのショートヘアーが整った顔立ちによく映え、男女ともに格好いいと思える佐藤結《さとうゆい》と名乗った彼女は、切れ長な眼を向けて琉唯を逃がすまいと仁王立ちした。
何とも言えない圧に琉唯が一歩、下がれば浩也から「すまん、緑川」と謝られる。それだけで面倒事なのを理解してしまった。
「単刀直入に言うわ。緑川君、ミステリー研究会に入りなさい!」
「はぁ?」
どういうことだと琉唯は首を傾げる。今は大型連休も明けたばかりの五月上旬で、サークル勧誘が激しい四月は過ぎている。サークル勧誘は常に行われているとはいえ、唐突だなと話を聞けば、ミステリー研究会は人数が少なく、部員を常時募集しているのだという。人数が増えれば盛り上がり、部としての評判にも繋がるのだと言うが、どうも様子がおかしい。
「アナタが入れば鳴神君もついてくるし、彼と話してみたいと前から思っていたのよ!」
琉唯はその一言で「あぁ、隼目当てか」と納得した。知り合いでもない自分をわざわざ勧誘するということは、それなりの目的があるはずだ。女子人気のある隼とお近づきになりたいという誘いはよくあったので、琉唯はまたこれかよと溜息を吐く。
琉唯を気に入っているというのは噂として広まっているので、仲介役を頼む女子は多い。二年に上がった四月の時も、サークル勧誘がしつこかったのを嫌というほど覚えていた。もちろん、琉唯は断っている。面倒くさいというのもあるが、彼女たちの為でもあった。何せ、隼は琉唯を利用しようとする相手に厳しい。
琉唯を使って近づこうとした女子たちは皆、容赦なく冷たく隼に振られているのだ。それはもう見るに堪えないので彼女たちの心の為にも琉唯は断っていた。
「隼が目当てなんだろ」
「あら、話が早いじゃない。あんたに仲を持ってもらおうと思っているのよ」
「四月からあったサークル勧誘の経験から言うけど無理だよ。おれには手伝えない」
「なんでよ!」
なんでよと言われてもと、琉唯は「あいつは他人に興味がないから諦めたほうがいい」と返すが、「あんたが仲を取り持ってくれればいいじゃない」と引いてはくれない。
「おれには無理なんだって。おれに頼んだ女子たちは悉く散っていったぞ」
「あんたが仲介してくれればいいでしょ!」
「それが無理だって言ってんの!」
いい加減、分かってくれと言葉強めに返せば、「五月蠅い!」と逆に怒鳴られてしまった。いいから私の言う通りにしなさいよとなんとも自己中心的なことを言ってくる。自分勝手すぎる彼女に琉唯は顔を顰めた。
「サークル見学に来なさい。場所は東棟二階の奥の部屋」
「嫌なんだけど」
「来なかったらあることないこと広めてやるからね」
なんだそれはと琉唯は眉を寄せて「自己中心的すぎる」と口に出していた。それに対して結はそれがどうしたといったふうだ。どんな手を使ってでも隼の恋人になりたいのだと主張する。
「そんなんだから隼に無視されるんだろ」
「はぁ? 分かったような口を利かないでよ!」
「自分の性格を直せよ!」
「五月蠅いわね!」
怒鳴り合うとまではいかずとも周囲からみればそれは口論に見えるだろう。なんだなんだとちらちらこちらを見つめている視線を感じる。そんなもの気にもしていない結は「とにかく来なさい」と指をさす。
「いいから来なさい。拒否権はないわ!」
じゃあ、そういうことだからと結はそれだけ言ってさっさと行ってしまった。なんと、理不尽か。あまりにも自己中心的すぎる、酷いと琉唯はむすっとする。いくら器が広いと友人に評判な琉唯でもこれだけは許容できなかった。
隼があんな女のことを選ぶとは思えない。と、いうか選んでほしくはない。あまりにも性格が終わっているのだから、苦労するのが目に見えている。絶対に阻止したいのだが、サークル見学に行かなければよからぬ噂を広められてしまう。
「先輩」
「本当に、すまん」
ぱんっと手を合わせて浩也は謝罪した。どうやら彼女は三年生で同じ学科の同級生らしく、自分が隼に気に入られている琉唯と親しいのを知って頼み込んできたのだという。
無理だと断っていたのだが、あまりにもしつこく粘着してくるものだから渋々、琉唯に会わせたのだと。まさかあそこまで自己中心的な人間だとは思っていなかったらしく、「本当に申し訳ない」と頭を下げていた。
浩也が悪いわけではないので琉唯は「いいですよ、先輩」と返すしかない。問題はこの後のことなのだ。
「これ、勧誘を断りに行く時、隼も着いてくるやつですよ」
「鳴神の冷めた言動に佐藤がキレる未来が見える……」
「先輩、着いてきてくれますよね?」
「……すまん、用事があるんだ」
「おいこら」
「千鶴に事情を話しておくから!」
千鶴ならついていってくれるはずだと浩也はすまんとまた謝る。女子には女子が良いとも言うともっともらしい言葉をつけて。確かに女子のことは女子のほうが理解しているだろう。
これは千鶴に頼るしかないかと琉唯は「分かりましたよ」と諦めるしかなかった。隼になんて説明しようかと考えながら。
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話
第七話
第八話
第九話
第十話(最終話)
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