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夜叉と相棒 二話

 もう数刻もすれば陽が昇る。夜叉は疲れたような表情を見せながら山の中を歩く。物の怪を退治し、死した娘を山村に持っていけば、彼女の両親は涙を流し、村人たちは悲しんだ。そこまではよかった。

 物の怪は死んだのだからもういいだろうと夜叉がさっさと出ていこうとすれば、彼らは「どうかこの村に残ってくれ」とまた泣き落としにかかってきた。

 物の怪が死のうとも山の怪異は恐ろしい、腕の立つ貴方様がいらっしゃれば安心して暮らしていけると。なんと自分勝手なのだろうかと夜叉は嫌気がさす。嫌悪までいかなくとも不愉快さを感じていたが口には出さず、断った。自分にはやらねばならぬことがあるからと言って。

 それでもなお縋ってくる人間に夜叉はこの手は使いたくないがと思いながら「俺は罪人だ」と告げた。人ではないが夜叉はある事情によって神罰を受けている。この旅もその罪を償うためのものなのだ。

 夜叉の罪人発言に村人たちの空気が変わった。皆が皆、不安げに顔を見合わせている今だ、「罪人など置いておいても煩わしいだけだ」と告げて縋っていた人間たちの輪から外れる。彼らは罪人と聞いて引き留めづらくなったのか、ゆっくりと道を空けていった。

 そうして山村から逃れた夜叉は本来の目的のために山を登っていた。深い深い奥地へと足を踏み入れて、思った以上に時間をかけてしまったことに多少の疲れをみせる。まだかと先を見て小さくひらけた場所が近いことに気づく。

 それが目的の場所であることに夜叉はやっとかと一息ついた。ひらけた土地に足を踏み入れれば、苔むした石の祠が一つ、大樹の根元に祀られている。月明りが降り注ぐ中を夜叉が近寄れば、歓迎するように祠の左右に建っていた石灯篭がぽっと淡く光を灯す。


『あぁ、やっと来たか罪を償いし神に成りきれなかった妖かしよ』


 空気を震わせるように女の声がした。若くもあり、けれど大人びている声音が待ちかねたといったふうに。

 姿を見せていないが何者かの重圧が夜叉を襲う。並の人間ならば失神しているだろう気配に夜叉はなんとも面倒げな顔で返せば、声の主はころころと鈴を鳴らしたように笑った。


木葉月山神このはつきやまかみよ、俺は世間話などしに来た訳ではない」
『分かっておる。お前は罪を償うために行脚しておるのだ』
「ならば、早くしろ」


 無駄話はしないといった夜叉に木葉月山神はまた笑うと、「われの話し相手になるのも役目の一つだ」と返した。それはもう嫌そうな顔をする彼の様子に楽しそうにしている空気が漂う。

 あぁ、面倒なと夜叉は思ったけれど言い返すことができずに黙った。それには隠れていた鵺まで出てきて「哀れよのう」と腹を抱えている。無言で鵺を殴ったのはいうまでもない。


『そなたは彼の神に敗れ、神罰として各地の神々の元へと向かい、神の頼みを一つ請け負うのだったな。して、今までどれほど達成した』

「二百年ほどかけているがもういくらやったかなど忘れた。だが、あの神はまだ許してはくれない」
『その様子だと無理難題な頼みをした鬼畜な神がおったな』
「地獄に赴き閻魔から印を貰ってこいというのに百年はかかっている」
『地獄の王が百年でお前を認めてくれたのだ、早いほうだろう』


 あれが何者かを認めるなど下手をすれば一生かかると言われて、夜叉は「だから死ぬ気でやった」と思い出すのも嫌そうに返した。それだけで理解したようで木葉月山神は可哀想にと哀れんだ。

 神罰を下した神はまだ許してはいないようで、だからこうして夜叉は今でも神々の元へと足を運び神たちの頼みを請け負っていた。木葉月山神は「まぁ、お前がしたことを考えれば」と納得している。


『彼の神に仕える人の一族を滅しようしたのだ。あの神が見逃すわけもない、自分が認め祀ることを許した人の子の滅亡など』

 木葉月山神の言葉に夜叉は返さない、ただ黙って祠を見つめるだけ。一つの間、はぁと木葉月山神が息を吐いた。


『そなたの固い想いに免じたのだろうな、彼の神は』
「もういいだろう。頼みはなんだ」


 話はもういいという夜叉に仕方がないと木葉月山神は「われの頼みは簡単なものよ」と言って何かを呼ぶようにでておいでと手招く。

 ひょこりと大樹の後ろから顔を覗かせる少女が一人。膝丈ほどある長い濡羽色の髪がはらりと揺れ、雪のように透き通った白肌はほんのりと色づいている。華奢な身体によく映える艶やかな紅の着物を着こなす少女は、瑠璃色の丸い眼を夜叉に向けていた。

 少しばかり幼さが残っているけれど、人の世でいうならば嫁入りもできるだろう。そんな見た目をした少女は木葉月山神に手招きされるように歩いてやってくる。

 夜叉よりも背が低い少女は見上げていた、彼の目を射抜くように。その少しばかり強い眼光に夜叉は数度、瞬きをする。


「こいつはなんだ」
『天女だ』
「何故、天女が此処いる。あいつらは天にいるはずだ」
『天女は成人を迎えると人の世を見て回る、いわば修行をするんだ』


 天女は成人を迎えると人の世に下りて人と妖かしの在り方を、神々の考えを学ぶ。そうして旅した天女は成長してまた天に昇るのだという。その過程で伴侶となる存在を探してくることもあるのだとか。この少女は天女たちでいう成人を迎えて、人の世に下りてきたばかりだと木葉月山神は話す。

 何故、木葉月山神の元に居るのか。それはひと月前のこと、人買いに捕まった哀れな人の子たちがいた。彼らは大人たちに見張られながら夜の山を越えようとしていたのだという。けれど、山に住まう物の怪に見つかってしまい、襲われてしまった。

 天女である彼女も物の怪に喰われそうになったのだが、逃げた先に山神を祀る像があり、そこから様子を覗いた木葉月山神が憐れんで手を差し伸べたということだった。


『人の世の恐ろしさをちゃんと理解できていなかったようでね。人買いに捕まったというのに、のんきにしていたんだよ、この子は』

「……それで、こいつをどうすればいい」
『お前の旅に連れて行ってやっておくれ』


 想像していた返答に夜叉は痛む頭を支えるように額に手を当てた。鵺はほうほうとにやつきながら天女を観察している。言葉の出ない彼に木葉月山神は「この子の修行に付き合ってやってくれ」と追い打ちをかけた。

 何をもってそうなるのだと夜叉は言いたかった、子守りなどしたくないと。けれど、自分は神罰を受けているので神々の頼みを一つ請け負わねばならない。断ることなどできないのだ、この状況を。


「期間はいつまでだ」
『この子が天女として花開く時だよ。それはこの子次第さ』


 天女は修行を終えたと認められた時、本来の力を解放する。そうやって成長した時、彼女たちは天へと昇るとされていた。中には人の世に残ることを選択する者もいるらしいが、それは本人が決めるようだ。

 いつ終わるかなど分からないものだから夜叉はますます頭を悩ませた。神々の頼みを請け負い、完了した証というのその頼みを解決した時に記される。この場合、天女の修行を終えるまで証は貰えないのだ。

 請け負った頼みを解決していなくとも他の神の頼みを聞くことはできるので、並行できるのがまだ救いだがそれにしたって天女のお守りは面倒だ。戦力になればいいが、聞けば戦う力はなく、癒す力しか持ち合わせていないという。

 深い、それは深い溜息を吐いてしまう。そんな夜叉に木葉月山神は「お前の頑張り次第だよ」と笑いかける。


『お前が頑張ればそれだけ早く終わるはずだ』
「どう頑張れと言う」
『天女に教えればいいんだ、いろんなこと。なんだっていい、それこそお前のことを話すだっていいし、人間の愚かさを説くのもいい。そうやって親身に接して花咲かせるんだ』


 花を育てるようにすればいいんだと木葉月山神は簡単なことだと話す。何がどう簡単なことだと夜叉は毒づくも、神には通用もしない。彼が諦める他、ないのだ。

 言い合うのも嫌になって夜叉は天女へと目を向けると彼女は不思議そうに首を傾げていた。何を嫌がっているのだろうかと言いたげに。


「名前はあるのか」
「小夜。木葉月山神様が名付けてくれた」
『人の世で過ごすには人の名が必要だからのう』


 我らの呼び名は人とは違うゆえに警戒されかねない、妖かしだと知られては何をされるか分からないのだから。そなたもよくわかっているはずだと言われて夜叉は目を細めた。そういったことも教えていけということだろう。

 仕方ないといったふうに木葉月山神の頼みを請け負った。断ることなどできないのだが、そうやって気持ちを切り替えるしかない。


『次は佳縁坊……大天狗のところへおいき。神として信仰され、神格を得た存在だ。丁度、困っていることがあると話を聞いていたからのう』


 この山を越えて町を抜けた先にある大山に祀られていると教えられて、夜叉は何を言うでもなく来た道を引き返す。そのなんともそっけない態度に木葉月山神はおかしそうだ。


『小夜を頼むよ。あぁ、丁寧に扱うように……わかっているね?』
「……わかっている」


 何を言いたいのかを理解して夜叉は釘を刺されなくともわかっているというように返す。すたすたと歩いていってしまう彼を小夜は慌てて追いかけていった。

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