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【自己紹介2/2】巴煌詠の創作の根源

巴煌詠(ともえ こうえい)です。
今回で自己紹介としても人生のブログ体験においても2回目。

僕は「心に輝きを灯す雅なアート」を日本国内外のすべての人々に届けるべく、アート制作と発信をしています。

煌めきを詠むと書いて煌詠。
心の内にあるかがやき【煌】を自分の中にある思いを見える形にして伝える【詠】という意味を持たせ自身に名付けました。

そんな巴煌詠2本目の記事を書き連ねていきます。

雅を線と面で表現=要素の分解と再構成を楽しむ。

前の記事でも触れたように、僕は「雅」を大切にしています。
「雅」は美的理念の一つですが、既存のものを愛でるのではなく現代に合ったものとして雅をつくっていく。
新たに雅を作り出し醸成し、深めています。

雅は洗練された上品さ、優雅な様を表します。
洗練された上品さという解釈も現代日本における再解釈に過ぎないと考えています。

それをただ伝統的に描くだけじゃ面白くないと思ってしまったんです。
確かに錦鯉や家紋をテーマにした作品は数多くあります。

錦鯉を題材にした作品をご存知ですか? 例えば…

遡ること、古代中国にはじまり、日本では室町時代に中国の影響を受け、水墨画や狩野派の作品に鯉が描かれるようになりました。

例えば、円山応挙(1733年~1795年)が写実的な「鯉図」を描き、鯉を主題とした絵画が注目されたり、葛飾北斎(1760年~1849年)の「鯉の滝登り」など、浮世絵としても人気の吉祥なテーマでもありました。

巴煌詠として思うわけです。
数々の著名画家が描き魅了されたモチーフをそのまま描いてもつまらない。
僕の大学〜社会人と、グラフィックデザイナーとして得た「面白さ」と日本古来の日本画の持つ表現に対する考え方の再解釈を画面上で行ってみたい。

NISHIKI_GOI 丹青回遊 朱 (わかばさん氏 撮影)

巴煌詠ならではの雅の表現についておさらい
「雅は洗練された上品さ、優雅な表現。」
これは一般的な解釈ですが、私はここで終えることなく、自身の解釈も持たせたいと思いました。
なぜなら、それをただ伝統的に描くだけでは面白くないと思ってしまったからです。では、なぜ私はそう感じたのでしょうか?

1. 現代との融合
前の記事で触れたように、幼い頃、スティーブ・P・ジョブズ氏のデザイン哲学やiMacの未来的な造形に魅了されていました。
この経験が、伝統と現代を融合させたいという強い欲求を生み出したのです。
例えば、私の作品で錦鯉の曲線や色彩構成はグラフィックの要素を、モチーフをシンプルに表現しながらも動きを見せる部分は日本画の要素を取り込んでいます。
つまり、この融合への挑戦の表れです。

2. 普遍性の探求
私にとって錦鯉は単なる魚ではありません。それは「命の巡り」や「森羅万象」の象徴なのです。NISHIKI_GOIシリーズで魂と肉体の境界を曖昧にしているのは、輪廻転生といった普遍的なテーマを視覚化しようとする試みです。

NISHIKI_GOIシリーズ群(2024年11月撮影)

3. 国内外に波及
「NISHIKI_GOI」というシリーズ名からもわかるように、私は日本文化を海外にも伝えたいと考えています。
しかし、それは単に伝統的な様式を波及させることではありません。
色彩と曲線自体が語る、言葉を超えた美しさを追求しているのです。
だから言葉に縛られることのない雅な作品群を国内外の「雅」を持つ同士たちに贈りたいのです。

4. 個人的な背景
建築家志望だった父とデザイナーの母の影響で、「既製品ではなく自分が関わる創造」に価値を見出すようになりました。喫茶店の水槽で見た錦鯉の記憶が、私の作品の原点になっています。この個人的な体験を通じて、伝統様式の限界を感じ、新しい表現を模索するようになりました。

5. 時間の再定義
雅の概念には「無常観」が含まれますが、私はこれを錦鯉の動的で力強い生命感によって更新しようとしています。平安貴族が感じた儚さの美を、現代的な「持続的変化」として捉え直すことで、静的な伝統表現から脱却しようとしているのです。

まとめると?

私の創作活動は、雅の本質を継承しつつも、その表現形式に現代的な表現を探求する試みです。
墨液と水彩という画材を使って、シンプルな曲線と面でどこまで表現できるか探求するに至りました。
「線の探求」を通じて、雅を静的な美意識から動的な創造原理へと変換しようとしています。

この絵でいうところの赤や青が面、墨による描写が線としています。(NISHIKI_GOI 鬼灯雅 丹頂)


絵を描いているときは、「この色が、線が、ここにふさわしいか?」という直感との対話なんです。
その時その時の線と、モチーフは同じでも表現が変わります。
だから私に正解はあるものの、それを見てくださる方と創る気持ちでいます。

だから⌘+Zは存在しなし、下絵もなし。
戻らない進むだけ。その軌跡こそが私の雅でもある。
失敗もするけど、それすら正解に紐つける。
筆とその時の環境や感情を転記する。
僕のアートは僕の記録簿でもあり、探索記録にもなる。

NISHIKI_GOI 白練錦 制作中(2025年2月4日制作)

僕の作品は、まだ完全には認知されていないように思う。
それでも、応援してくれる人たちがいることを知っている。

僕の表現は、日本という枠を超え、海外でも評価され始めました。
けれど、評価というものは、いつも曖昧で、掴みどころがない。
だからこそ、僕は今日も手を動かし続けます。

未来への展望

NISHIKI_GOIだけに留まらない。
僕の創作意欲はまだまだ尽きません。
再解釈と創造を繰り返しながら、新たな分野に挑戦していきたいと思っています。
例えば、僕の祖先と深い縁のある家紋をモチーフにした作品『KA_MON』に2025年1月から取り組み始めました。

そこから派生して小葵模様や雲立涌のような『雅』と響き合う文様についても、研究を重ねながら新しい展開を模索中しています。


小葵紋 巴煌詠(2025年1月28日制作)

これからも「雅」というテーマを軸に、新しい技法や表現方法にも挑戦していきます。

僕自身がまだ見ぬ世界観や可能性を追求しながら、一人でも多くの人に「雅」の美しさや命の巡りを感じてもらえる作品を届けたいと思っています。

巴煌詠の目指す先

僕の作品は、単なるファインアートとして制作していません。
見る人の心に直接語りかける、生きた物語であり、社会実験なんです。
やってみたい事は、社会実験を叶える作品を作り続けること、発信して、展開すること、賛同してくださる人を集めること。もしかしたら、いずれ変わるかもしれません。

僕には夢があります。

幅縦100mの巨大なキャンバスに、大小様々な1万ものNISHIKI_GOIを
泳がせたい。

想像してください。
すごくエキサイティングで実に雅な試みではありませんか!

東京都浅草 花やしき(2023年12月24日)

でも、そのためには一枚でも多くの「雅なアート」を販売しなきゃいけない。
1人でも多くの人々に心に輝きを灯す雅なアートをとどけ、知って頂く必要があります。

日本国内の方にも知っていただき楽しんでいただきたい。
そして、巴煌詠のアートを海外に展開して、プライマリーマーケットを獲得するんです。

そして、海外での展開を続けながら、日本に逆輸入して、セカンダリーマーケットでもNISHIKI_GOIを広げていきたい。

前の記事でもご紹介しましたが、僕にとってアートの新しい可能性を探る冒険です。

NISHIKI_GOI 水面越しの錦(2024年11月3日)


残念ながら、今の日本ではアートを「所有するもの」という意識が薄れているのではないかと思います。

みんな、アートは美術館で見るものっていうイメージを持ってる。
でも、アートにはそれぞれ適した場所があるんです。

官製の美術館じゃなくて、アートを見たいと思う普通の人たちのための、ちょっとした楽しみであり、心の拠り所になるものなんです。

アートの民主化だとも思っています。
その昔、日本家屋には土間があってそこには何かしらのアートが掲げられることもあった。
アートを求める人とアートが求める場所がマッチしていた。
それは今となっては中々見ることのできない美しく、雅な文化だと思います。
これを現代でも再現してみたい。

私の記事を通じて、僕の創作への思いや制作過程の一端をお伝えできたら幸いです。

アートは、作り手と鑑賞者の間で生まれる特別な対話だと考えています。
それは私の記事を読んでくださっているあなたとも行いたいと思っています。

作品はどこでみられる?

もし、この記事を読んで少しでも興味を持っていただけたなら、ぜひ実際の作品をご覧ください。
作品には、言葉で表しきれない想いや表現が込められています。

ほとんどの作品は、Instagramで発表した後にSingulartの販売ページに掲載しています。原画だけじゃなく、複製画も紹介しています。

Singulart販売ページ

最後になりましたが、今回で自己紹介は終わりです。

次回もぜひ覗きに来てください。
あなたに読んでいただき嬉しく思っています。
そして、僕と一緒にこの雅な旅を楽しんでもらえたら最高です。

巴煌詠

心に輝きを灯す雅なアートを描き届ける 巴煌詠

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