ホラー小説についての多弁
ちょっと前に炎上していた、「ホラーは小説に向かない」という発言。
結局反応して多弁になってしまったので供養します。
こぴーらいたー作家とやらの思い込みは置いておくとしても。
どんなジャンルでも、題材によって「小説で書いたほうが合う」「映像化したほうが合う」があるのは当たり前。同時に、それを力量で覆して「まさか映像で描くとは」「まさか小説で書くとは」があるから創作物は面白いと思っています。
そもそも「音がなきゃ恐さがわかんなーい」「映像がなきゃ恐さがわかんなーい」「一気に見せてくれないと忘れちゃーう」って言うんだったら「乗りものに乗ってまわるタイプのお化け屋敷」が最適解なんじゃないの??? 座ってたら恐がらせてくれるよ良かったねぇ!!!
最近よく「知らないから恐い」という言葉を聴くのですが、私にとってのホラーの恐さは「理解できないから恐い」があると思っています。民話に出てくる「来歴の判らない花嫁幽霊」とか、『鬼談百景』に出てくる「正体の判らない兵隊三人」とか、『裏世界ピクニック』の想像がつかない怪異とか。
判らないゆえに恐さを感じるのは、おそらく「その条件に当てはまる、自分がもっとも恐いイメージ」をもつからだと思います。だからこそ、想像がつかない怪異は、アニメで描かれることで恐さが薄れた実感があります。もちろん、これは人によるわけですが。
ジョジョ作者の荒木さんが、ホラー映画について書いた新書で「人間が恐がることを娯楽にできるのは、想像力があるから」と言っていたような記憶もあります。この記憶が正しいと仮定すると、想像力がなければホラーは楽しめないとも言えます。つまり想像力のない人はホラー小説に向かないと。
なお、この件についての芦花公園さんのポストがたいへんうれしかったので、お礼と称して角川ホラー文庫のシリーズ3冊を買って読みました。
読者にできる!
作家へのお礼と応援は!!
新刊書店で著書を買うこと!!!
芦花公園さんの『異端の祝祭』読みました。
得体の知れないものが紐解かれる面白さと、得体の知れない者がひしめき合う悍ましさが混ぜこぜになっていて、終始吐きそうな読み心地。でも、虐げられた彼女が最後に幸せになったのならいいかなって思ってます。
芦花公園さんの『漆黒の慕情』読みました。
どこの認識にズレがあったかは割と早めに気付けたけれど、ママの件で動揺して、さらに最後の報道に打ちのめされて、呆然としました。いえ今回も当事者たちが和解してるのはたいへんいいと思っていますが、それにしたってなあ!?
芦花公園さんの『聖者の落角』読みました。
信じきれなくて本当に申し訳ないなって……思ってます……。登場人物紹介が非常に正確! 誰も救われないとしても、束の間の平穏が戻ったならいいと思ったのにまた最後に不安材料!!! 「突き詰めたら狂人」は腑に落ちています。
シリーズ3冊を続けて読んで、るみ先輩と青山くんがいちばん一緒に居ないこの3冊目が、じつはいちばんバディものの印象でした。主従ではなく、ようやく互いで補い合う役割分担になったのだと思っています。続刊を待機!!!
などと書いていたら、3月に新刊が出ますね!!!???
シリーズ新作ではないような気配もするけれど楽しみです。