人を癒したかったのは自分を癒したかった
最近、いろいろなことが頭の中に浮かんでは消えて。作品作りも自分の内省と人へのコミュニケーション手段なのですが、一つ分かったことがあります。
私自身は2017年くらいから起業しようとしていて、それは死んだ人を話せるアプリを作ろうと思ってたんです。
2017/0924のメモ
最終的に目指す世界が 「 人の心の傷を癒やす装置 」純粋に私のエゴ(目の前の人が笑顔じゃないのがムカつく!)
1)すでに満たされてる人ではなく、幸せじゃない人が対象
2)与えたい感情は、喜びや楽しさ、笑顔といったもの
3)「自分のやった事」がその人の心を救う
こんな思いがあって、その裏には「私の目の前で悲しそうな顔されたら、私が気分が悪い」というもの。
だから、みんなが幸せにならないと目の前の人は少なくても笑っててもらわないと私が嫌だ。
でも、芸術家になって「松岡さんの表現を見たい、松岡さんのやりたいことをやってほしい」という言葉を多くもらうようになって。
【前提】私は迷惑をかける->迷惑をかけると悲しい人の顔を多く見る->松岡自身がゲンナリ
こういう前提で生きていたから、
私のやりたいことをやる->…..->松岡自身がゲンナリ
こういうのが頭にあるといつまで経ってもやりたいことをやれない。かといって、全ての人の顔色を見ることなんてとうの昔からできないことはわかっている。
「求められていること、やりたいこと」が達成されてしまうことが一番自分のやりたくないこと。という巧妙な罠。※なんなら「求められていること」は「自由にやって」だからそもそも答えがない問い。
全員に好かれることを諦めるか(元々全員は好かれていない)、
中途半端に顔色を見て小手先でやるのを続けて玄人になっていくか(無理、もしくは突き抜けられなさそう)
ここがすごく腑に落ちたので、メモ。
何度も何度も同じ悩み。それも私。
松岡智子運営事務局
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