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studio723企画「colorful」鑑賞日記


すっかりと気温も上がり紫陽花が綺麗な季節になりました。太陽の光を浴びると心が明るくなりますね

さて、今回筆者が訪れたのは中野にある「nakano f」というレンタルスペース そこで普段被写体として活躍してくれている知り合いが表現の発表会をするというのだ。
歳の近い子達がどんな表現で自分を魅せてくれるのか興味が湧き、足を運ぶことにしたのだ。

レンタルスペース「nakano f」

第一幕 【身体で魅せる】

まず最初に始まったのは身体をめいいっぱいに使った表現だ 決してそれは「踊」では無く、空手の型を見ているような気分だった。会場に流れるBGMに合わせて目の前で進んでいくドラマ、身体とは四肢だけでは無く目や口といった表情含めて「身体」なのだと言わんばかりのパフォーマンスであった。しかし筆者の感性が鈍い為か身体で表現してくれていた【題目】を読み取ることが出来なかったのが悔しい。身体をめいいっぱい使って表現してくれてた彼女にはパフォーマンスをする上での【題目】があった筈なのだ…


第二幕 【音楽で魅せる】

続いて始まったのはギターによる弾き語りである
「音楽」とは正に音を使った芸術である。
楽器の音色を並べて歌声を乗せて運び出す。
筆者は弾き語りを聴くのが大好きな為この時間はとても幸せな気分だった。

筆者は歌詞から入るタイプなので奏でられるメロディに運ばれてくる歌詞に注目した
メロディは小説や物語でいうところの背景や展開、登場人物の心情である。同じ言葉でも運んでくるメロディによって意味が変わってくるのが音楽の面白いところである。

今回気に入ったフレーズは「愛には愛を、花には水を」である。切ないメロディの中に見えてきたのは枯れた花だった。ご存知の通り花には水をあげないと枯れてしまうのだ。だとしたら愛はどうだろうか?恋人、友人、家族 貰う事ばかりでこちらから渡す事を怠って無いだろうか?愛もまた同じで愛を与え続けないといつか枯れてしまう物なのだ。筆者は愛を与え続けれるような人じゃないと好きにならないので問題は無いが…ってのは置いといておそらくこの曲を聴かせてくれた彼女には枯れてしまった、もしくは枯らしてしまった過去があったのでは無いだろうか?
音楽とは作り手の人生そのものかもしれない


第三幕 【モジュラーシンセで魅せる】

さてさてお次に登場したのはモジュラーシンセ
使ってる人を初めて見た!!ってくらい疎いのですが予め予習をして行った筆者 第一印象は「配線めちゃくちゃ綺麗だな…」です。
モジュラーシンセは新たな音楽を科学で作り出す道具だという認識なのですがまだまだ理解が浅くとても感想が言える状況では無いのである。

しかし演奏を終えた後のモジュラーシンセの彼は笑顔がとても素敵だった事は書き記しておこう。


第四幕 「演劇で魅せる」

つづいてはこはる日和さんによる演劇である。
筆者は何かと演劇を鑑賞する機会があるため楽しみにしていたプログラムの一つだ

彼女は絵に思い入れがあるのだろう。劇が始まるとそこには感慨深い表情で絵を眺める1人の女性が立っていた。そこから物語は始まり何気ない学校生活を送る田辺さんを中心に進行していく。
仲のいい友達グループがあるのだろう、一見「普通」に見えるその関係に最初はなんの疑問も抱かなかった。

場面は変わり読書が好きな芹川さんが登場する
読書中に居眠りしてしまった芹川さん、何を読んでるのか気になった田辺さんはついつい芹川さんの本を手に取り読み始めてしまう。2人の関係が始まったのはそこからだ そこから2人は少しずつ話をするようになるのだがある時芹川さんが問う。「生き辛くないかと?」

芹川さんのいう「生き辛さ」とはなんなのか
おそらく友達グループの中での田辺さんの立ち回りを見ての感想なのだろう。相手に気を遣わないと成り立たない関係 その中にいる事で貴方自身苦しくないのか?そういう問いだったのだと筆者は思う。
芹川さんという女性の考え方は実にシンプルだった。本物の関係しかいらないし自分の意見をしっかり持っている。故に「他人の普通」に流される事も無く時には人に理解されない事もある。
そんな彼女が周りに気を遣いながら答えを選んでいた田辺さんを見て疑問に思うのは当たり前なのだ

しかし問われた田辺さんがその時点で生き辛いと思っていたかといえばそれは違うと思う。
なぜなら彼女は気を遣っていたのではなく「上手くやっていた」だけなのだ。関係性を壊さないように我慢するところは我慢してやり過ごす。これは悪いことでもなんでもなく彼女が今まで生きてきた中での【普通】で「生き辛く」ならない為の立ち回りなのだ。

【普通】とは育ってきた環境で変わってしまう。
疑問に思わなければそれが当たり前と感じて「生き辛さ」を感じる事も無いのだ。
ただし自分の知っている【普通】に疑問を持ち始めた時に初めて考え方や世界が広がるのだと筆者は思う。なぜなら筆者自身が地方で育ち、上京を境に【普通】が変化した側だからだ。

「生き辛くないか?」そう問われてから田辺さんの中で思うことがあったのだろう。場面は進み最後には彼女は自分の夢であった画家を目指す事にしたのだ。彼女自身親に言われるままに夢を諦めて大学進学を目指している主体性のない自分に嫌気が刺したのだろうか?彼女にとっては間違いなく前向きな決断なのだろう。周りに合わせる事を辞めたのだ

さて、ざっくり内容を辿ったがこの演劇のテーマは【普通とは】【生き辛さとは】大きく分けてこの二つだと考えてある

劇中では女性の社会進出を題材に【普通】とは何かを語っている。疑問に思った瞬間に「生き辛さ」を産み、新しい【普通】を作る事でそれが無くなるのだと思う。

結論何が【普通】なのか正解なんてものはないのだ。前述したように【普通】なんてものは育ってきた環境で変化し物事の考え方、捉え方、感じ方は人それぞれだ。芹川さんが「生き辛さ」と感じた田辺さんの振る舞いは言い換えれば今までの【普通】の中で「生き辛くしない」為の方法なのだ。
疑問の中で新たな知見が広がっていく。
「生き辛いか否か」物語の本質はそこでは無く
「自分の中の普通に疑問を持つ」ここだと思う。
人の数だけ普通があるのだから考え方が違って当たり前なのだ。大事な事は白黒つける事ではなくいろんなあり方を尊重し知見を広げる事なのだなと再確認させられた作品でした。

※仕事や政治、スポーツといったグレーゾーンで済ませてはダメな【正解を決めなきゃいけない事柄】に対しては白黒付けるべきだとは思います。あくまで人の生き方といった【正解のない事柄】ついての解釈です。

たった20分ほどの間によくまとめ切ったなという感想が1番です。


ことばと写真展に触れて

とにかくはっとさせられる内容の言葉が多かった印象です。当たり前や評価に囚われない事は創作活動にとって大事な事なのだと分からされますね。自分も写真を撮るという創作をしてる身の為考えさせられました。
展示してある写真はどれも素晴らしいものでした。自分の中で写真とは撮ってる人そのものだと思ってます。撮影者によってルールが変わり重要視されるものが変化する。同じものを撮っても撮り手によって全く違う作品に仕上がるのだ。
ここで触れた作品は他人の【普通】に触れる事で自分の中の【普通】を広げてくれた気がします。

いろんな文化に触れた事で自分の中の創作意欲が湧いてきました。次はどこに写真を撮りに行こうか…

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