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雑感3 続・橋本多佳子の俳句

デビューアルバム『海燕』
橋本多佳子の第一句集『海燕』(うみつばめ。1941年発表)を読んでいる。「おやっ」と思う句、体に刺さるような句を見るたび「○」を付けて読み進むと、「月光にいのち死にゆくひとと寝る」という句が出てくる中盤以降、凄い句が頻出する。

特に印象の強い10句を書き抜いてみる。

①月光にいのち死にゆくひとと寝る
(ゲッコウニ/イノチシニユク/ヒトトネル)
②菊白く死の髪豊かなりかなし
(キクシロク/シノカミユタカナリ/カナシ)
③あさの炉が燃えたり旅装黒くゐる
(アサノロガ/モエタリリョソウ/クロクイル)
④蛍火が掌をもれひとをくらくする
(ホタルビガ/テヲモレヒトヲ/クラクスル)
⑤遠花火夜の髪梳きて長崎に
(トオハナビ/ヨノカミスキテ/ナガサキニ)

⑥雪原の昏るるに燈なき橇にゐる
(セツゲンノ/クルルニヒナキ/ソリニイル)
⑦雪原のしづけさ部屋の窓をひらき
(セツゲンノ/シヅケサヘヤノ/マドヲヒラキ)
⑧青き蚊帳ひとの家にも吊られゐる
(アオキカヤ/ヒトノイエニモ/ツラレイル)
⑨夕焼くるかの雲のもとひと待たむ
(ユウケクル/カノクモノモト/ヒトマタム)
⑩鵙鳴けりひとと在る時かくて過ぐ
(モズナケリ/ヒトトアルトキ/カクテスグ)

角川ソフィア文庫『橋本多佳子全句集』より

句集最後に置かれている「鵙鳴けり」の句が、最も良い句だと思う。

師匠・山口誓子
橋本多佳子の夫、橋本豊次郎は建築家・実業家であり、北九州市小倉にある自宅「櫓山荘(ろざんそう)」も夫が建てたものである。櫓山荘は文化サロン的な場となり、高浜虚子も1922年にここを訪れている。この「虚子来訪」を機に多佳子は句作を始めたそうである。

句作開始当初は杉田久女に指導を受けていたが、のちの大阪転居の際に山口誓子と出会い、以降終生師事することとなる。
山口誓子は『海燕』の序文で次のように書いている。


「俳句の作品には、その内容に自らの定量があつて、過剰も不足もともに許されない。過剰は読む者を息づまらせ、不足は読む者を退屈ならしめる。
十七音定型に、その定型が要求する定量を飽かずに詠ひつづけること、そこに俳句創造の難しさが横たはつてゐる。」

角川ソフィア文庫『橋本多佳子全句集』より

序文は「橋本多佳子さんの俳句はこの難しい条件をクリアしている」という風に結ばれる。

山口誓子の考えは「俳句に無理をさせない」という高浜虚子の考え方に近いと思うし、スタンダード、正統の系譜を高いレベルで守っていく人たちのスタンスだと思われて、とても頼もしい。

橋本多佳子が山口誓子のサポートのもと『海燕』でデビューする様子は、荒井由実が細野晴臣たちのプロデュース、サポートを受けて『ひこうき雲』でデビューした状況に似ているように思う。


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