1985年のエルトンジョン
1985年3月12日朝、私はエヂンバラの珈琲店で珈琲を飲んでいた。珈琲が半分になった頃、ドアが開いて白いコートの男性が入ってきた。他の客は気づかなかったが、彼はエルトンジョンだった。
座った席が近かったので、彼の注文したものが聞こえた。私は珈琲のおかわりを頼み、わざと下手な調子で「サッドソングス」を小声の鼻歌で歌った。
彼はすぐに私を睨んだ。サングラスと、鼻と、口が、不愉快な時のエルトンジョンの手本のような様子に見えた。私はすぐに謝った。
「すみません。気に障りましたか」
彼は少し顎を引いて、右の人差し指でこめかめを突きながら、アハッと言い、
「ぜーんぜん。いや、ま、嬉しいですよ。でも今、ちょっと体調が悪いんだわ。あれのやりすぎ」と小声で言った。
私は、去年のアルバム『ブレイキングハーツ』は正直に言えば物足りないと感じた事、去年はそもそもライブをあまりに多くやり過ぎであると思うという事、しばらく休養して、5年に一度にアルバムを出すくらいがちょうど良いのではないかと思う事、そしてあなたがエルトンジョンだと気づいている事、を、小声で言った。
彼は私の声が聞こえないような顔をして私の話を聞いて、ソーッ と言ってから、
「しょうがないんですよ。私の一存で全部決められるわけでもないしね。まあ、去年のアルバムは良くなかった。それはそうです。というより、その前のが上手く行き過ぎたんで」
と言ったところで声が非常にかすれた。
「どうか無理をなさらないでください」と私は言った。彼はンン、アハッと言ってから、
「ありがとーね」と言った。そして、出された珈琲を一口も飲まずに、札だけ置いて、店を出て行った。