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『読みながら書く』 11

十一、SAとOA


『人間関係の疲れをとる技術』(下園壮太著。朝日新書)という本を読んで、私は「ウーム」と考えこんでしまった。
不安が発生し、思考がこんがらがった。
むろんこの本自体は非常に優れた本である。文字通り人間関係の疲れをとり、心の不調を改善するための現実的な知恵に満ちている。
目についた部分を引用させて頂く。なお、引用文中で( )に入った黒字は私による補注である。

“対人関係に疲れたら、その対人関係を改善しようと努力するのではなく、まずは自分の疲労を回復させなさい。”(前掲書24ページ)

“忘れてしまう(という)対処(方法)は、自分の中で恨みを勝手に大きく育ててしまう傾向にある。”(同61ページ)

“「子どもの心」とは、幼少の頃から教えられてきた、「こうあるべき」という心のあり方。我慢する、続ける、努力する、自力でやる、最後までやる――。いずれも、大人社会に適応できるように、しつけられてきた理想の姿だ。(中略)子どもの心が強すぎる人は、大人になってからの対人関係で苦労しやすい”(同91~92ページ)

“すべての生き方スキルは、TPOに応じてアレンジしなければならない、結構ゆるいものなのに、(何かしらの生き方スキルを妄信しがちな人は)それを人生の原則のように考えてしまい、ある手法だけに偏ってコミュニケーションしてしまうのだ。当然、実生活ではうまくいかないほうが多くなる。”(同100ページ)

“不安は、勤勉で、改善好きな私たち日本人の本質であり、あなたを支える力である。だから苦しいからといって、ゼロにする必要はない。また、ゼロにはならない。必要な不安もあるのだ。できないことをやろうとしていると、自信を失い、それでまた不安になってしまうという悪いサイクルが始まる。”(同144ページ)

“苦しみはゼロにはできない以上、受け入れていくしかない。感情にフタをせず、どんな出来事にあっても、7~3バランスの中で、行動を意識的に選んでいく。”(198ページ)

“価値観の「程度」が厳しすぎると、自分や他人に対する不快感が大きくなりがちだ。だから、人生のいろんな出来事を通じて、価値観を現実的なものにしていこう。”(同198ページ)


だんだんと自分の思考の絡まりがとけてきた。
整理のために、人間関係型不安をSA(Social Anxiety)、強迫性障害型不安をOA(OCD Anxiety)という風に呼び分ける事にする。
そのうえで、私は以下のような事を考えているという事が、私自身、分かってきた。

一、『人間関係の疲れをとる技術』という本が扱っているのはSAであって、OAではない。

二、SAは我慢したり忘れようとすると悪化する。それは下園氏の言う通りである。それゆえ適切な対処が必要である。

三、しかし、OAは「対処しようとすること」自体が症状を悪化させる。

四、OAについては、「追究しない」事、或いは「深刻に扱わない」事が、何より大切である。

五、OAを「追究せず」、強迫性障害が落ち着いていれば、SAへの落ち着いた適切な対処も可能になる。

六、「白黒思考はいけない」というのはSAに関する話であって、OAに関して「白黒はっきりつけない」対処をするとOAは悪化する。例えば「追究しないと決めつけず、時には追究する」というような事をすると、追究が延々と続くし、「時には、というのはどういう状況なのか」といったような追究も新たに発生する。ゆえに、OAに関しては白黒思考(追究は、しない)で対応するほかない。

七、OAが悪化し、慢性的に心が不安・混乱に満ちた状態だと、SAへの適切な対処も困難になる。例えば本を一行読む事も困難になる。また、怒りっぽくなる。

八、以上の事から、『人間関係の疲れをとる技術』に書かれている内容をOAに適用するのは誤りであると言える。強迫性障害を持っている人は(少なくとも私は)、SAとOAを混同せず、それぞれに対して適切な関わり方をするべきである。

ここまで書いてきて、かなり心が落ち着いた。続きはまた明日にでも考えよう。

(2023年6月20日)

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