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君が20分も泣いていたのは、ぼくのせいじゃない。
夕方になり、幼稚園へ娘を迎えにいく。
娘は部屋のまんなかで、みんなに囲まれながら泣いていた。
先生に事情を聞くと、先生のとなりに座りたかったのに座れなかったから泣いているらしい。
泣いたままの娘を抱え、山の中を散歩する。
緑がきれいで、涼しい風が気持ちいい。
娘が泣いていても、最近はあまり声をかけなくなった。だって「だいじょうぶ?」と聞いたって、だいじょうぶじゃないから泣いているのだし。
事情はすでに聞いているから「どうしたの?」でもない。
そして、娘の気持ちを代弁しないように心がけている。
「先生のとなりに座れなくて、悲しかったね」
「先生のとなり取られちゃって、悔しいね」
なにを感じ、どう思っているのかは本人にしかわからない。
悲しかったんじゃなくて、ムカついたのかもしれない。
悔しいんじゃなくて、情けないのかもしれない。
本人が自分のことばで、その気持ちを言えるまで、ぼくが勝手に気持ちを代弁してしまう必要なんてないのだ。
抱っこをしたまま20分。
たんぽぽの綿毛で遊んでいたら、娘が息をふきかけて笑った。
「あんな、わたしパパがお迎えくるの遅いから泣いてたんやで!」
世間ではそれを、八つ当たりという。
***
今日も、見に来てくれてありがとうございます。
家に帰ってからはとつぜん、「大きくなりたくない!」と泣き出しました。「大きくなりすぎたら家から出られなくなっちゃうからー!」と号泣。
大人はそれを”杞憂”という。
ぜひ、明日もまた見に来て下さい。
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