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「わたし、家事とか好きじゃないから」結婚前の妻の宣言の意味。

「わたし、家事とか好きじゃないから」

結婚する前から妻に宣言されていました。
「好きじゃないけどできるようにがんばるね」でも「好きじゃないから、あなたがんばってね」でもなくて、ただの宣言。

この宣言を受けて、僕は何て返事をすればいいか頭をフル回転。

「別に家事をしてもらう為に結婚するわけじゃないけど」
「そうなったら嫌だなってのが心配だったwww」

この小さなやり取りが、わが家の家事シェアの始まりだったように思います。
この時妻が「できるようにがんばるね」とか「一緒にやってね」と言ってたら、このやり取りは違ったものになっていたかも知れません。

家事の主体が妻である、と言う前提を廃した尻切れトンボな宣言。

自分のスタンスだけをテーブル上にポンッと差し出すことで、僕は自分の立場を、自分で考え、自分で言葉にする必要に迫られました。

宣言をされたときは、ちょっとビックリしたのを覚えています。
「なぜ、そんなことをわざわざ宣言するんだろう?」と。

でも、もし「がんばるね」や「一緒にやってね」と言われていたら「そうだね」と答えただけで、この会話自体が印象に残らなかったんだろうな。

僕も「僕がやるよ」とは答えませんでした。「一緒にやろうね」とも。

それは「あなたがやるって言ったじゃない」と詰めてくる強さを妻が持ってるのがわかったから(笑)

ここで大事だったのは、どっちが家事をするかという押し付け合いじゃなくて。お互いのスタンスをはっきりさせておくことでした。

「妻も僕もお互いの生活の面倒をみる義務はない」 ちょっとドライですが、それが僕たちの共有したスタンスだったのです。

もちろん、助け合いも支え合いもめちゃくちゃします。
妻は僕の衣類も洗濯してくれるし、僕は妻のご飯も作ります。 でも根本には「自分のことは自分で面倒見てね」がある。
つまり「自立」がベースの家族関係

妻の帰りが遅くなるときに、妻のご飯を用意していなくても妻は怒ったりしません。もちろん逆でも同じ。
衣類もたたんでくれたら感謝しますが、たたんでくれてないからって怒ったりしません。自分が大切にしたい衣類は自分で選り分けておいて、勝手に洗濯したりクリーニングに出したりします。

相手のための家事をやってあげるのは、家族だから当たり前ってことではなくて。
本当に、純粋に優しさからです。

僕は妻に、美味しいごはんを食べさせてあげたいし。忙しくて疲れていたらしっかり休んで欲しい。困っていたら助けてあげたいと思う。

その相手を想う気持ちと、お互いがそれぞれ自立した生活というのは、ちゃんと両立する。

この関係のはじまりが、妻が結婚前にした「わたしは家事は好きじゃない」宣言だったと思います。

きっと、この宣言をするのは結構な勇気が必要だったんじゃないかなあと想うんです。社会の価値観は今よりもずっとずっと「女性が家事育児するのが当たり前」だったし。僕の家はものすごく家父長制的な家庭だったし。

けど、誤魔化したり、「結婚してから少しずつ変わってもらえばいいや」なんて考えずに。めっちゃストレートに宣言してくれたからこそ、いまの関係が築けたんだなと思うのです。

本当に、ありがたや。

では、また!


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とても素敵なページになったのでぜひご覧頂けたらうれしいです。

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三木智有|家事シェア研究家
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