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人は結局「やりたいこと」しかできないし、やってないんだと気がつくと、人生が途端に楽になる(⋯のかもしれない)

結局「やりたいと思う自分」と「やりたいを抑える自分」しかいないのではないか。

昨日の夕方。いま参加している「100日チャレンジ」のオンラインお茶会に参加したさいに、主催者でビジネス書作家の佐々木正悟さんが、そんなようなことをおっしゃいました。

もともとはダイエットの話から、食欲というのを抑えることはできないんじゃないか、という話で、「食べたい自分」と「食欲を抑えたい自分」がいるのでは? と。⋯ちょっと記憶があいまいになってしまったので、ニュアンスは違ったかもしれませんが、いずれにせよ「やりたいと思う自分」と「やりたくない自分」が常にいるのかなぁと思いました。

そんなことを、もやもやと思い返していたら「ああ、僕は結局『自分がやりたいと思ったことだけ』をやってきたんだな」と思ったのです。

でもそれは、べつにわがまま放題、自由に生きてきたってことではなくて。突き詰めれば人は誰しも「やりたいこと」しかできないし、それしかしていないんじゃないかと思ったのです。

で、この感覚を理解して、自分のものにできたら、毎日がものすごく楽になるんじゃないかと。そして、嫌なことも嫌だと思わずにできるようになるかもしれない、と思ったんです。

まだ気づきの火種みたいな状態ですが、これってもしかしたら人生の捉え方を変える気づきかもしれないと感じたので、できる限り言語化してみます。


▶ 人はどんなに嫌なことでも、「やりたくて」やってる

朝、起きるのが辛くてしかたがないことがあるとします(よくありますよね?)

そのときって「眠っていたい自分」と「起きなくちゃいけない自分」がせめぎ合っている状態と言えます。そして、多くの場合「眠っていたい自分」を「起きなくちゃいけない自分」の意思が抑え込んで「起きる」わけです。

でも、自然とそう思っているはずのこの二項対立ですが、もしかしたら間違っているのかもしれないません。本当は「眠っていたい自分」と「起きたい自分」のせめぎ合いなのではないでしょうか。

——いやいや、朝眠ってていいんならずっと寝ているんだから、「起きたい自分」なんていないんだよ。いるのは「起きなくちゃいけない」という理性だよ

と思うかもしれません。ですが、そうではなくて「何かをしなくちゃいけない」という事は必ず「何かをしたい」という事でもあるはずです。

朝7時に目覚めなくちゃいけないのだとしたら、何かしら理由があるはずです。会社に行くとか、お弁当を作るとか。そのために「朝7時に起きるほうが望ましい」から「7時に起きなくちゃ」と思うのですよね?

ということは、朝7時に起きる未来を、あなたは心から欲しているはずなのです。朝8時に起きて会社に遅刻する未来には絶対になって欲しくないはずなんです。

つまり、その瞬間は「起きなくちゃ」と思っているかもしれませんが、それは「起きたい」であるはずです。


同じようなことは、あらゆるところで起きています。
「食べたい自分」と「食べるのを我慢しなくちゃいけない自分」ではなくて「食べたい自分」と「食べたくない自分」がせめぎ合っている。
いまこのnoteを書いている僕自身も「書きたい自分」と「書きたくない自分」がせめぎ合った結果「書きたい自分」が勝ったから書き始めているのです。


▶ 人は「やりたい」の分水嶺を越えたことをしているにすぎない

では、イヤイヤ他人からやらされることはどうでしょうか? 仕事なんかではよくあることかもしれません。

たとえば上司からの指示で訪問営業をしなくちゃいけない。でも、あなたは訪問営業がものすごく嫌だとします。

このときあなたに与えられている選択肢は「やる」か「やらない」かです。でも多くの場合「やらない」という選択肢は排除され、「やりたくないけど、命令だから仕方がなくやる」と思いますよね。でも、そうじゃないかもしれない。

本当はあなたは「やりたくて」やっているんです。⋯大嫌いな訪問営業を。
だって、本当にやりたくないのなら、やらない、というかできないはずなんです。
たとえば嫌すぎて喫茶店でグズグズと時間を潰してしまってるとしたら。その間、あなたは「訪問営業よりも、喫茶店でグズグズしていたい」からそうしている。そして、しばらくグズグズしていると、いよいよ行かねばならないという気持ちになってきて、覚悟を決める。この瞬間、あなたは「喫茶店でグズグズする」よりも「訪問営業」をやりたくなっている、つまり分水嶺を越えたと考えられます。


ちょっと余談ですが。
これは、タスクの先送りにも通ずるなと思いました。
いつまでも先送りしてしまうタスクは、時間管理の問題じゃなくて「嫌だから」やらないのだと書きました。

でも、タスクシュートを使ってプランに入れているといつもなら先送りしてしまうようなタスクを「やりたく」なるんです。それは「先送りしたくない自分」と「面倒くさいからサボりたい自分」がせめぎ合っているときにタスクシュートが「先送りしたくない自分」の背中をちょっとだけ押してくれる感覚です。


▶ 人は「やりたいこと」しかやってないし、「やりたいことしかできない」と気づくことで

ここしばらく、かなり前向きに毎日を過ごすことができているのですが。
それは、これまでだったら「やりたくないのに我慢してがんばってやっていたこと」がタスクシュートを使うことで、全部「やりたいこと」に変換されていたからだと気がついたんです。

もちろん、イヤイヤやることだってあるし、べつに楽しくもないことも、不愉快なこともあります。そうした毎日の中身が変わったわけじゃないんです。

そうじゃなくて、変わったのは僕の中での、嫌なことに対しての認知でした。僕がやっているのは意志の力で「食欲」や「睡眠欲」や「さぼりたい欲」を抑え込むことじゃない。そうじゃなくて、「食べる量を抑えたい自分」や「朝起きたい自分」や「仕事をさっさとこなしたい自分」を意識の中で大きくふくらませること。

ケーキを食べたいのに食べずに我慢することはできません。人はそもそも我慢なんてできない。そうじゃなくて「ケーキを食べたくない自分」が「ケーキを食べたい自分」よりも勝れば、ただ食べないだけのことです。


▶ 欲望を我慢するのではなく、もうひとつの欲望にフォーカスをあてる

「食べたい、食べたい」と思いながらケーキを我慢するなんてできるわけがない。なまじっかできたとしても、そんなのは長続きしないし、無駄に苦しいだけです。もしも「食べたい」なら好きなだけ食べればいい。だけど自分の中のどこかに「食べたくない」自分がいるから、食べずに我慢しなくちゃと思うわけです。
このときは「食べたい」を我慢するんじゃないんです。そうじゃなくて「食べたくない」というもうひとつの欲望の方にフォーカスを当ててあげる。この「食べたくない」というもうひとつの本音をじっくりと観察する。すると、頭の中が「食べたくない」という気持ちで満ちてくる。そうして、じっくりじっくり「食べたくない」という欲望を観察し続け、そっちが勝ればそれはもう本当に「食べたくなくなる」のです。


これって、べつに自分を騙しているわけでも、誤魔化しているわけでもない。むしろ自分のもう一つの欲望に対して素直に、正直になっているだけのことです。

それなのに、たったそれだけで、身の回りから「嫌なこと」がいなくなってしまう。これは、これからの長い人生の捉え方が大きく変わる気付きになるかもしれないと思いました。


今日も見に来てくれてありがとうございました。
では、また!


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三木智有|家事シェア研究家
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