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ばあちゃん「またね」

2024年7月28日、8時23分。
今日はすごく個人的なことを記録しておこうと思う。

2日前、7月26日に大好きなばあちゃんが亡くなった。数えで97歳。6月に肺に水がたまり入院、そのまま緩和ケア病棟へ移り2週間ほどだった。

入院したタイミングで、これが会うのが最後かもしれないと思い、仕事を調整して鳥取まで駆けつけた。

ちょうど緩和ケア病棟に移ったタイミングだったし、あまり元気もないとのことで心配だったけど、思ったよりもずっと元気そうで30分もずーっと喋り続けてくれた。

「せっかく智ちゃんが来てくれたのに、おばあちゃんは汚い顔のままで」

なんて、ちょっと申し訳無さそうな、恥しそうな顔をしていたのが、何だかとても可愛かった。

僕は小さな頃からばあちゃんっ子だった。
産まれてすぐに母が入院したため、ばあちゃんが母親代わりに育ててくれたらしい。

まだエアコンがなかった時代。
暑くて眠れない夜は、ばあちゃんが寝るまで団扇であおいでくれた。うとうとして、目が覚めると「あおいで」なんて言ってた。
子どもを持つようになって、それがどれだけ大変なことだったか身に沁みてわかるようになった。
しかもばあちゃんだ。大変だっただろうなぁ。

とにかくばあちゃんと一緒にいたがり、夏の帰省のときなんかは仮病を使ってまでばあちゃんの元に残ろうとしていた。
東京に戻る新幹線の中でずっとメソメソして母を困らせたことも覚えてる。今だから言えるけど、じつは本当に泣いていたわけじゃなくて、泣くふりをしていたら諦めて鳥取に戻ってくれるかと思っていたのだ。

緩和ケア病棟で数十年ぶりに握ったばあちゃんの手は、ツルツルして柔らかく、若々しくて可愛い手だった。なんか、もっとカサカサ、ゴツゴツしてるかと思ったのに、それがなぜか不思議だった。

ばあちゃんは色んなことを話してくれた。

「もう十分生きたから、早くお迎えに来てもらいたいんだけど、なかなか来ないんだ。でも最後に智ちゃんに会えて本当に嬉しい」

何度もそう言ってくれた。

「弘法大師さんと一緒に、お花畑を手をつないで歩く夢をよく見るんだよ」

信心深かったばあちゃんは、弘法大師の夢をよく見たらしい。そこはじいちゃんじゃないんだ、と思ったけど黙っておいた(笑)

別れ際、「またね」と言うかどうかためらった。
次にこっちに来るのはきっと来年の夏になる。軽々しく「またね」とは言えなかった。

僕たちは、誰かとの別れ際、何となく「また」と次に会うことを前提としてサヨナラを告げる。次に会うことがなくても、よほどでなければ「もう会わない」という前提で別れを告げることはない。
そう言えば、彼女との別れ話のあと、同じようになんと言って立ち去ればいいか迷ったこともあった。

「またね」「元気でね」どれもしっくり来ない気がして戸惑った。
だけど結局「またね」と言って別れた。
最後にばあちゃんはギュと力強く手を握ってくれた。

告別式も納骨も終わった。
2週間ぶり、僕は「また」ばあちゃんに会いに鳥取に来た。こんなに早く「またね」が訪れてしまったのだなと思った。

ばあちゃんとの思い出がたくさんある。
悲しいけど、大往生だし、何より最後にたくさん話せてよかったよ。

今まで本当にありがとう。

今日は、ちょっと寂しいnoteになってしまいました。だけど、大切な思い出なので残しておきたいなと思いました。

ここまで読んで下さりありがとうございます。

では、また!

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三木智有|家事シェア研究家
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