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【よく誤解されるのでご意見求む!】”家族のため”に家事する人ほど苦しくなる理由
こんにちは! 家事シェア研究家の三木です。
今日はちょっと、実験的にご意見をいただきたいことがあります。
僕は常々「家族のために家事するのは辞めたほうがいい」と思っています。
なんなら「家族のためにっていう強い想いは、家族にとってはちょっと迷惑」とすら思っています。
でも、たまに誤解を招くし、うまく意図が伝わってないなと感じることもあります。
そこで、もしよかったらこれの意図をしっかり書くので、ぜひ意見を聞かせてもらえたらなと思いました。
noteのコメント欄でもいいし、Xでも構いません。
共感はもちろん、反対意見でもいいし、ただの感想でも実体験でも何でも構ません。
ただ、「家族のために家事するのは辞めたほうがいい」という言葉だけじゃなく、その意図を読んだ上でお願いします。
では、ぜひ以下をお読みいただき、ご意見いただけたら嬉しいです!
▶ 「家族のため」という想いは、家族も自分も追い詰める
「家族のためにこんなにがんばっているのに、理解されない」というお悩みをよく受けます。
「家族なんだから兄弟、姉妹で仲良くしてほしい」とか「家族の健康を考えてご飯を作ってるのに文句を言われる」とか「家族が気持ちよく暮らすために部屋をキレイにしてるのに誰も気付いてくれない」とか。
家族のために色々とがんばっているのに、それに気がついてもらえない、理解してもらえない。 そればかりか、「そこまでしなくていい」とちょっと迷惑そうにすらされてしまう。 一生懸命やっている方からすれば、こんなにも虚しく、悲しいこともありませんね。
だけど、ちょっと厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、聞いてほしいことがあります。 多くの場合「家族のため」というのは「家族にとっては、ちょっと迷惑」なんです。
あ、怒らないで、イライラしないで、ムカつかないで聞いてください。
…でも、もしそう言われてあなたが少しでもムカついたとしたら、もしかしたら思い当たる節があるのかもしれません。
◉ 「家族のため」って言われるのは、ちょっとめんどうくさい
お酒が好きな人に「お酒を控えろ」と言うのは、その人のためではありますが、言われる方は面白くありませんよね。
運動してない人に「運動しなよ」と言うのも同じでしょう。
「勉強しなよ」
「部屋を片付けなよ」
「野菜をもっと食べなよ」
「油もの控えなよ」
「痩せなよ」
「もっとおしゃれしなよ」
…ほら、言われる側にしてみたらちょっと迷惑じゃないですか?
「良薬は口に苦し」と言うように、「家族のため」というのは、やられる側にしてみれば苦くめんどうなのです。
嫌なことを強要されて、それを「自分のためになる」と理解して相手に感謝を伝えられる人、というのはそう多くはないでしょう。
◉ 感謝には慣れ、もっと欲しくなる
僕は、「家族のため」に家事育児をすることは辞めました。
とはいえ幸いにして、うちは妻も娘もたくさん感謝を示してくれます。
でも、感謝もされ続けていれば慣れてきます。
次は感謝だけじゃなくて、もっと行動で示してほしいとか、もっと違う何かお返しがあってもいいんじゃないか、とか自分と同じだけ、同じようにやってくれないと嫌だとか、どんどん要望は高くなってしまいます。
この「際限のない感謝のスパイラル」から脱するには、どうすればよいか、ずっと考え続けてきました。 最初は、相手が感謝を口で伝えることから、だんだんこちらの行動を理解して手を動かしてくれるようになるようアプローチを考えたり、感謝の伝え方のバリエーションを考えたりしました。 でも、さほど意味はありませんでした。
結局、一番効果的だったのはやはり自分の「家族のため」という想いの持ち方でした。
◉「家族のため」と強く思っている人ほど苦しんでいる
色々と相談を受けていると「家族のため」と強く思っている人ほど苦しそうであることに気が付きます。 なぜなら、自分の強い想いに対して、同じだけの感謝やリターンは返ってこないから。
一方で、楽しそうにしている人たちは「自分のため」に家事育児をしています。 もちろん100%「自分のため」でエゴイスティックにやる、ということではありません。
たとえば僕は、娘が小さい頃、娘の偏食に悩んでいました。
野菜が食べられないと、将来困るだろう、健康にも良くないだろうと思って「娘のために」色々と工夫してたのです。でも、なかなかうまく行かず。そのたびに苦しかったです。
でもあるとき考え方を変えました。
「娘が野菜を食べられないことで生じる、僕のデメリット」を考えてみたのです。
・僕は野菜が好きだけど、娘の食べられる野菜を考えながら料理するのはめんどうくさい
・娘と外食に行って「アレがいや、これが嫌」と言われるのはめんどうくさい
・娘が健康を害したら、心配だし病院に連れて行ったりと大変になる
だから「僕のため」にも、娘には野菜を食べられるようになってもらわないと困る、と考え方を変えました。 つまり「娘」を主語にして考えないということです。
自分を主語にして考えると、家族がしてくれることが「当たり前」じゃなく「わたしのためにしてくれた」に変わるんですよね。これがすごい。
娘が野菜を食べなくて悩んでいたときは、「これくらい食べられて当然」と思っていました。けど、考え方を変えてからは「え、レタス食べられたの? それじゃこれからレタス料理作れるじゃん! ありがとう!」ってなったんです。
「片付けしてよ」も「片付けて当然。キレイなのが当たり前」と思って、家族がそうできないことにイライラしていました。でも「パパが掃除するときにジャマ」と言うようになってから、気持ちが楽になったのです。
また、言われる方も「でも」とか「だって」とか言わなくなりました。
「あなたのため」って言い方をしていたときは、言われた方は本当に嫌そうな顔をしていたなって思います。
家事のやり方の違いだって、夫婦それぞれ色々とあります。 だけどシンプルに「自分がやるときに、こうなってるとやり難いから」と「わたし」を主語にして伝えてもいい。
家事をやってもらっている人が、家事をやっている人がやりやすいようにサポートするのなんて、最低限の礼儀でしょう。
家事をやる人は、家族に対してもっとワガママでいいんです。
◉「家族のため」という呪縛から自分を開放しよう
家事はとうぜん、家族のためにするでしょう。 でもそれが自己犠牲のもとに行われているとしたら、自分も家族もしんどくなってしまいます。
自分が辛い思いをするほど、家族のためになるわけじゃないんです。 それよりも、もっと自分のために家事をやっていい。
もし「やりたくなかったらどうすればいいの?」と聞かれれば「やらなければいい」と思います。
「やらなかったら家族が困ります」と反論されれば「困れば、もっと真剣に家事のことを考えてくれるようになります」と答えます。
「それに、あなた自身が家事をやらないことに耐えられなくなるでしょう?」とも思います。
たとえば1ヶ月掃除をしなかったとして、家族は平気な顔をしてるのに、もしも自分だけが耐えられないとしたら。週1回掃除をするのは、やっぱり「自分のため」なんですよね。
それが良いとか悪いってことじゃない。 そのことに気がついて、自覚して、受け入れることで結局「自分が楽」になるのです。
そもそも家族のために家事しているのに、それ以上ことさらに「家族のため!!」って意識しなくたっていい。
そのほうが肩から力を抜いて、日々を過ごせるようになるはずです。
▶ ご意見、ご感想お待ちしています!
と、いうことで。
家族のために家事をしなくていい、の意図を書いてみました。
色んなご意見が聞けたらうれしいです!
ご意見、ご感想はコメント欄、またはXでお願いします。
今日も見に来てくれてありがとうございました。
ぜひまた遊びに来てください!
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ーーnoteの記事はコチラーー
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