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子どもを”戦力化”にモヤる。

取材でよく「子どもを戦力化するための方法を教えてください」なんて言われます。
でも、じつはこの「戦力化」って言葉がぼくはあまり好きじゃない。
もちろん、子どもが小学校高学年とか中学生など、ある程度大きくなっていれば戦力化でいい。
だけど、未就学や小学校低学年などの子どもを”戦力化”は、すこしモヤモヤするのだ。

RPG風に言えば、小さい頃の子どもはモンスターだ。
容赦なく泣きわめき、部屋を散らかし、お世話をさせて、こちらのHPをもぎとっていく。
その段階をクリアすると、モンスターは仲間になる。
仲間になったばかりのころは、全然弱く、まだまだ手間もかかるけど意思の疎通がとれるようになる。
そして、育成期間がすめばようやく、戦力になっていく。

この「モンスター → 仲間 → 戦力」は言い換えれば、
「ケアされる側 → 自立 → ケアする側」です。

つまり、「子どもを戦力化する方法」と言われると「子どもに家族のケアができるようになる方法」と聞こえてしまう。

未就学の小さい子は、あと数年は「ケアされる側」と「自立」の間を行ったり来たりします。時には自立以上に助けてくれることもあるでしょう。
でも、子どもに対して「家族のケアを求める」ようになるのはもっとずっと先のことだと思うのです。


自立するだけで充分戦力だ

ぼくは、最近娘が”生活を営むうえで仲間になった”と感じています。
それは少しずつ自立の道を歩み始めているということ。

ただの成長、と言えばそれだけのことだけど。
「ママがいないこの状況を、協力しあいながらがんばろうぜ!」って感じがひしひしと伝わってくる。
それを感じるから、娘と共通のビジョンを共有できているという実感が湧いてきます。

ぼくはこれを娘が”戦力化”したとは思いません。

そうではなく、「共通のビジョンを共有し、生活を営む仲間になったのだ」と心強く思っています。

つまり、家族やチームとしての自覚の芽生えが、細かなスキル向上なんかよりもずっとずっと大切なはず。

その”親だけ目線”にモヤる

同じような感覚で「子どもが賢くなる」とか「子どもがお手伝いするようになる」みたいな枕詞にもモヤモヤします。

きっと、モヤモヤの原因は「親目線ばっかり」だなぁって感じるから。
戦力化して欲しいのも、賢くなって欲しいのも、お手伝いして欲しいのも。当然親なわけだから、そうしたココロをくすぐってくる。

戦力化することで、子どもがなにを学び、得るのか。
賢くなるって、いい大学に行くとかってだけじゃなく、子どもがどんな力を身につけることなのか。
お手伝いすることが、子どもの世界をどう広げてくれるのか。

ただ親目線で、子どもにこうして欲しい、こうあって欲しい、じゃなくて。
それによって子どもの世界の広がりを伝えて欲しいのだ。

ちょっと細かいけど、これは「子どもにとってのメリット」みたいな話ではない。なにを「メリット」と感じるかは、子ども本人が決めることだ。
僕たち大人だって、「これはあなたにとってきっとメリットになるから」と言われても「ほっといてくれ」って思うことも多い。

子どもにとっての世界の広がり

それじゃあ、子どもの世界の広がりとはどういうことなのか。

たとえば、家事の戦力化。
家事という教養を身につけることは、自分自身で生活を営んだり、自立をする力が身につくということ。毎日の料理からは、健康や身体づくりのための知識も得られるし認識も変わる。
洗濯や掃除だっておなじように、衣類や部屋への認識がより深くなり、自分の心や身体をどうやって整えるかを知ることにつながる。
もちろん、自分だけでなく、家族のなかで感謝したりされたりする関係が育まれることで、人と暮らすことへの感じ方だって変わってくるだろう。

それは、「戦力化」なんて単純に親の手足になるような視点の話ではない。
子ども自身の世界を見る目が深まっていくことなのだ。

だから、ただ親の都合だけで「子どもを戦力化する方法」とか「お手伝いするようになる方法」みたいな話にモヤモヤとしてしまう。


***

今日も、見に来てくれてありがとうございました。
「家事、育児、辛くて大変」って話がとにかく多くて。それはとても共感するんだけど「家事、育児」が少しかわいそうだなって思ったりします。
大変だけど、ぼくは両方共好きなので。
ぜひ、また見に来てください。



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三木智有|家事シェア研究家
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