強く在りたい。
一昨年2023年、
何か挑戦しようと走り始めて走り続けて、
でも、走った分去年2024年は
振り子のように反動が来てしまった。
私という生き物について私は
何も知らなかったことを思い知り
去年は己と向き合いまくった一年だった。
だから何か挑戦するとか、
活動的に動くとかそう言うことは全くせず
どちらかと言うと内に篭りながら
挑戦ということに関しては
のんびりがちだった気がする。
その割には仕事はとても順調で
休んでいたはずなのに
いい結果だったんじゃないかなと思っている。
(一昨年走ったものが一年跨いで結果が来た感じだったのかな多分)
でも去年その一年の中でも
走って休んで走って休んでを繰り返して
波というものを経験した
だからバランスというものを何度も学んだ。
チャレンジするって
波と付き合うことだなと学んだ。
波の乗りこなし方が大切なんだな
と思っていたけど、最近になって
その荒波に飲まれない強い自分というのが
最も重要なんじゃないかなとも思ってきた
そのためにはやっぱり
人間避けて通りたいであろう
挫折とか、◯んでしまいたいという気持ちとか
どん底になった時が重要で
そこから這い上がるまでの過程が
強さに変わるのだと知った。
挫折した時が勝負、絶望した時が始まり
そこからなんだな人間の成長は。
今思っていること『強くありたい』
私は強く在りたい。肉体的にも精神的にも。
私はこれまで人に頼るということをしてこなかったし、問題は自己解決していくタイプで誰かに相談はめったにしてこなかった。
最後は自分で決めることだから、
いろんな人の話は聞くが
誰かに言われたからとかではなく
最後は自分で解決して生きてきた。
『誰かに頼る事も大切』そう思って、
頼ったりしてもみたけど
私はどうやら自分を自分自身でで解決しないと気が済まないタイプらしい。
やっぱりそうだと気付いたのなら、
それを突き詰めていこうと思う。
誰かに頼るのは苦手だ。
だからこそ、自分を強く磨き上げたいし
誰かに助けを求めるよりも
誰かが助けを求めてきた時に、
助けられるような人間でありたいと思う。
実際そうやって生きてきたから、
なおさらそう思う。
でもそれに伴う強さが私にはないという
自分のポンコツ具合にも気付いた。
強くなりたい。強くありたい。
なぜなら私は弱いから。とても弱いから。
大切な人を守れる人間でありたい。
そういう自分になりたい。
体力もつけ、経済的にも自分一人で家族を守れるくらいにしたい。
私一人でも大切な人達をを守れるように
力をつけたい。
それが私の『強くなりたい』という目標だ。
でもみんなは救えない。
それはインスタをやっていて肌で学んだ。
全ての人を私は受け入れられないし、
そんな器ではない。
その助ける人は私自身で選別したい。
なぜなら私の人生だから。
私の今年やるべき目標は決まっている。
その目標はゴールではなく通過点に過ぎないけど、自分には見えている。
そして自分が病むのも目に見えている。
病んでからが勝負だ、苦しさの先が勝負だ。
自分が試される時だ。
きっとこれを読んでいる人の中にも
この人素敵だなとか、この人かっこいいなと思う生き方の人がいるだろう。
私にもいる。
その人は、私たちには見えていない苦労を、
血が滲む思いや、挫折を沢山してきている。
だから素敵に見えるし、かっこよさが滲んでいる
私はそう思っている
素敵な人を見て
『いいな、私もそうなりたいな』
と思うことすら、今は烏滸がましい気がしてしまう。
自分にはその血の滲む思いや苦労ができるのか
『そうなりたいな』なんていう簡単な言葉で片付けてしまったら、本人に失礼だなと、今では思っている。
その苦しみを経験してでもなお
『私もそうなりたいな』と思うのかどうかだ。
言うのは簡単。
では自分にはその行動ができるのか。
自分もこの言葉を肝に銘じたい。
人の努力をわかる人間でありたい。