ラオ語の世界②:ナショナリズムとしてのラオ語
前回は、ラオ語とタイ語の類似性を説明した。
今回は、前回紹介した本の中心的な内容である「公用語として作られるラオ語」に焦点を当て、ラオ語とはなんぞやを考えてみた。
前回の投稿でも書いたように、ラオ語とタイ語は、かなり酷似している。文字においてもラオ語が読めると、なんとなくタイ語が似ているということは認識できる。
例えばこれ↓
ラオ語: ກ(k), ດ(d), ຕ(t)
タイ語: ก(k), ด(d,) ต(t)
これだけ似ているので、純粋言語学という分野においては、同一言語の地域変種とされるらしい。つまりは方言。
しかしながら、ラオ語とタイ語は、似て非なるからこそ、歴史的に紐解くと複雑な関係性になっている。(逆に複雑な関係だからこそ、似て非なる言語となっていると言えるかもしれない)
ラオス人からすると、ラオ語とタイ語は「同系の言語」と認識しながらも、タイからの政治的•文化的独立のために、タイ語からの分離が必要であった。理由は歴史にある。
ざっくりと歴史を振り返ると、14世紀にラオス国家としての統一が行われて以来、シャム(タイ)やフランスに統治され、人為的に国境線が引かれてきたという歴史がある。
ラオスの独立は1949年に果たされたが、その前後で正書法(公式な文字表記)の議論がされており、議論の中で最も重要視されたとされるのが、タイ語との差別化であった。結果的にラオ語とタイ語の文字に置いては、それぞれ、ラオ語=音韻型正書法、タイ語=語源型正書法と、考え方の異なる正書法の形となった。
●音韻型→ 語源にとらわれず、発音通りに文字を綴る
●語源型→ 語源であるサンスクリットやパーリ語の文字を利用するために音のない文字が単語に含まれる
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ちなみに、私はラオ語を学ぶ際にラオ語を「究極の合理的言語」と考えていたのだが、正書法の議論でも合理的言語である派と劣等言語である派の議論されていて、議論として非常に面白い。(この辺も深掘りしてみたい)
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ここまでが本の内容であり、それを踏まえて自分の経験と照らし合わせて、ラオス人にとってのラオ語の持つ意義について考えてみた。
私は、恥ずかしながら、最近までこの本に書いてあるような正書法の歴史を知らなかったのだが、ラオスにいた時、「ラオス人はラオ語になんでそんなこだわるの?」と思った2つのエピソードがある。
①ラオ語学習中に知ったタイ語
協力隊ではラオス到着後、1ヶ月のラオ語訓練があった。その時、ラオスで生活しているので、現地の若者が話している言葉を聞くことがある。彼らが話している言葉を普通に先生の前で使うと「それはタイ語」と注意された。当時、伝わるし、別にどっちでも良いのでは?と個人的に思っていた。
②配属先のボスのプライド
私はラオスの田舎の役所に配属されていたが、当時、配属先のボスが「タイ人はタイ語しかわからないが、ラオス人はラオ語とタイ語がわかるのだ」と誇らしげに語っていた。「いや、ほぼ一緒じゃん」って思っていた。
日本に帰ってきて、この本を読んで改めてこれらのエピソードを思い出すと、彼らの言っていた本意がわかってきたような気がする。
ラオスの歴史は、タイやフランスに侵略され、人為的に国境線が引かれながら歩んできて、そういった中で、民族的にも言語的にも近いが、かつての支配主かつ経済的にも政治的にも異なる道を歩むタイという国との区別を図り、ラオス国家としてのナショナリズムを形成する上で、ラオ語という独自の公用語の存在は、非常に大きな意味を持つということである。
だからこそ、ラオス人はラオ語にプライドを持っているし、外国人がタイ語ではなく、ラオ語を話すと本当に喜んでくれる。それだけ、ラオス人にとってラオ語とは、国家のアイデンティティとして、大切なものなのだろうと思う。
ラオスは多民族国家で50民族が共存している。今回ラオス人にとってのラオ語として、多民族を考慮せず、ひとまとまりにしてしまっているが、国や民族には、本来は固有の言語があり、歴史の中で、失われたり、守られたりしてきた。
この本を読んで、個々に歴史あるそれぞれの言語の存在意義を理解し、尊重していきたいと思えた。
※参考文献
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