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308.不快は自分がどうしたいかを教えてくれるもの

旅行から帰ってのヨガレッスン、プライベートオンラインを終えたら、ちょっと疲れが出て眠った。

今回の旅はとってもいい感じだった。
今までも同じようなひとり旅をしたことは何回かあって、でもいつもすごく頑張って旅してた。
計画も道中も。
それが今回は無理せず自然と会いたい人にも会えて、天気にも恵まれ、気温もちょうどよくてほんとうに心地よかった。ゲストハウスもほぼ他にお客さんいないようなものだったし。
自分の心地よさ全開の旅。

旅をするのは大好きで、未知の場所、もの、人が好きなので、すごく行きたい!と思うものの、計画が苦手で、日程を決める、目的地を決める、宿を決める、のがいつもとっても大変だった。
それが今回は忙しかったのもあって、行くならこの日程。行きたいのもここ。会いたい人もはっきりしていて楽だった。宿もすんなり決まったし、行ってみたらとっても過ごしやすかった。

それでも行く前はうっすらと後ろめたさのようなものを感じたりもした。
単純に第4波がどうとかの世論的なものとか、旅行に行くという贅沢な楽しみ(!)への後ろめたさ。
わたしがずうっと持っているそういうものは、ゼロになったわけではない。
だから、旅行に行かない方が楽な部分が自分の中にあるのも知っているので、計画して実際に行動した自分を誇らしく思う。(そして、そういうやりたいことをやらずに我慢することを美徳として、自分のやりたいことをないものとしてしまう人たち、それは家族だったりもするけれど、そこに逃げるのはあんまりなあ、とも思う。どっちを選んでももちろんいいんだけど、それを選んでいる、という自覚だけはあるといいんじゃないかな。)
今までもすごく頑張ってたまに旅に出ていたけれど、もっと軽やかに行動できたことがとってもうれしい。

今日はちょっとイライラしてそんな自分に落ちこむことがあったけれど、それも自分の心地よい、とは違う。ということを教えてくれる大切なシグナルだ。
起きたことに対して、反省という名の自責の念を持つのは簡単だけど、もっとシンプルに何が嫌で、自分はどうしたいのか?を考えるきっかけとして扱えるような自分になる。
そういうプログラム、ライティングライフプロジェクトWLPをただいま準備中です!



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あいざわともこ
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