じぶんじしんと繋がる②
ミセスパイナポーでのトリートメントが終わって
自分自身と繋がるという
キーワードを頂いて
前回のトリートメントでの気づき
https://note.com/tomo_tomo4/n/n4e2c8f042c7d
はて?それって本当はどういうことかのかなぁ?って
頭の上にずっとあれから浮かぶ日々で。
いつも、繋がってるんじゃないの?
でも時々途切れちゃうってこと?
どういうこと???とか。
どうしたらずっと繋がっていられるの?
はたまたわたしの解釈がなんかズレてるの?とか
そしてそれまで自分にあった
トリートメントや浄化の概念が
書き換えられていくような感じがあって。
これって一体どういうことなのだろう?という疑問や謎解きをしている途中だ。
あれから
また静かに響き感じるものありで
じわじわと響いて体感、体験中。
とにかく今までと違う感じだから
???
これってどういうこと?なのである。
でも、それもとっても大事なところで
意味があるんだろうなぁと
そのプロセスの途中がまた面白い。
そうしたらちょうどそんな時に
LINEでふと入ってきて
久しぶりにhappyちゃんのYouTubeを観た。
今日はどうにも、眠くてねむくて
起きてから息子の朝ご飯を見届けてから
こりゃ動けない。とまた眠って
起きてから観てみた。
最近何だかこの感じが多くて
とにかくまず寝ないと動けない。
なんだかなぁ〜と思いながら。
https://m.youtube.com/watch?v=sm9qGpcPgj8
ミセスパイナポーに行けない時期があって
あの頃、身体は不調のピークを迎え
それまでなかったの現象で
生理前によくイライラして爆発気味で
かなりのストレスが溜まって限界を
迎えていたからこそなのだけど。
それも後からわかってきた事実。
これは女性性関係やらなあかんな!となって。
よもぎ蒸しをしたり
フェミニンケアとか苦手なジャンルを
掘り下げてある意味必死にやっていた頃だった。
気になる人のblog読んだり
YouTubeも観て浴びてたなぁと
過去を振り返り、懐かしくなった。
ある意味
身体を張ってというかプロセスそのものも
自分をさらけ出して発信しているインフルエンサー
コロナ禍とかでもあったから
とても助けられてもいた。
そのハッピーちゃん
忘れていた存在の方が
いま何を発信しているのか?
気になった。
観て
これまで受けとめていたことのキーワードが
具体的にイメージ出来て
ちょっと整理されてきた感じ。
まだすべてではないけど。
こないだのトリートメントの後に
とっても穏やかな波長に整って
安心安定穏やかで
私はすべて持っているんだなぁと
安心したのも束の間
すぐにまた不調がやってきて
また夜は過食始まるしで???
これはなんかおかしい。
わたしは戸惑っていた。
え???これってどういうこと???と。
その思い当たる節を探して
それにしてもデトックスしたばかりでもう?
またこの状態?と静かにショックでもあった。
それで繋がる思い浮かぶものを
いくつか掘り出して
でも掴めなくて
内観が良い感じに進んでる証拠でもあるからと
恭子さんに時間をもらった。
なんか良いところまで掴んでる気がするけど
掴めなくてと。
それから10分近く私は喋り、
ことの次第を話していた。
そして恭子さん
開口一番に
掴まなくてもいいし、進んでなくてもいいよ!と
えっ???
そして年齢的に不調はあるし
いまちょうどみんなそういう時できついんだよ。
エネルギーの変わり目みたいなとこでもあるし
私だってあるよ。
それにね、わたしそういう自分を痛めつけること
自分に言うの嫌なんだ!と
それにともちゃん
いつもそうやってこんなに奇跡みたいなこといっぱい起きて愛されてるのに
不調やうまくいかないことばかりに
フォーカスしてる。
安心して信頼してればいいのに。
あっ。。。。
そこで対話で見えてきたのは
私がわたしの人生で起きている
このプロセスを信頼出来ていないこと。
問題が起きるとさっさと掴んでほいっと
その居心地の悪い感じを持ち続けるのが嫌で
苦手だから早いところ問題の根源を掴んで
捨て去りたいということ。
でも、自分だけで済むことではない問題の場合
そう簡単に自分で自分の思う通りになんか進まないし
最善の解決策が生まれるはずもない。
それなのに私ははやいところ取っ払いたい
待てない!早くして。
そして身体さんにも鞭打って
早く動いて働いて。
いつも元気に動いていないといけないと鞭をうって。
休んだりすることをよしとしない私がいた。
とにかく厳しい
そして元気でないわたしを毛嫌いする私がいた。
ジャッジをして自分にムチを打って
ビシバシやらんか!と。
不調が、長引くとこれずっとなの?と不安になって
早く浮上しなくちゃともがく。
そして余計に浮上しにくくなる。
そうやっていつもそのループにはまり
私がわたしを裁き、痛めつける。
両極で右往左往する。
いつもそうやって自分をいじめて
さばいてそれが身体にも出て
の繰り返しをやってきたのだということ。
そりゃぁきつい。
ダメダメな時こそ
私がわたしに
ただそうかぁ。そうなのねぇ。
そりゃぁきついよね。と
寄り添ってほしいのに。
どっかでそれを求めていながら
どうせ分かってもらえないし。と
究極になると、拗ねて閉じこもることも
昔かなりやってきた。
閉じ籠ると長くて周りに迷惑かけた。
手がつけにくい状態になってタチが悪い。笑
2極はきつい。
元気で楽しそうにしてる一面だけを愛して
その割合を出来るだけ増やしたい!と
していた私が見えてきた。
不調で寝込むという経験もしてるから
またあれがやってきたら?と不安なのだ。
そりゃきついよね。
罰していけば行くほど
わたしの身体は痛めつけられて
安心して休んで寝ることも許されないなんて。
不一致がいっぱいで、
重くなり思考も身体も動けなくなる
ループというわけだ。
それで今までとトリートメントの余韻が
違うことについても。
じゃぁいままでとどう違うのか?
私がとらえていたトリートメントは?
浄化とは?の 意味や定義は?となって。
私は自分で出来ることの限界を超えて
溜めてしまったもの、思考や
身体の滞りも
トリートメントで
その詰まったものを根こそぎとってもらう。
そう思って恭子さんのトリートメントに
これまで期待をしていた。
いままでそれでとても助けられていたから。
半年前にやってもらったトリートメントでも
かなりの久しぶりだったから
その効果もとても感じていたし、
それでとても、生き返ったから。
過去にもたくさんお世話になって
必須アイテムでもあったから。
終わった後の抜け感、爽快感
体感覚がはっきりあって
うわぁ〜すごい。やっぱり凄いわぁ〜と
ある意味その効果にびっくり、そして
ある意味興奮気味だった。
半年前のトリートメント後のblog
いろいろ自分なりにやってきて。
でもどうにもならなくて
久しぶりに駆け込んだんだった。
そして
家族との特に母に対しての関わり方が
それおかしいよ。やり過ぎ!と
目の覚める一言を言ってもらって
わたしは目覚めたんだ。
やっぱり久しぶりに受けて
興奮気味なエネルギーで書いてる。
ずいぶんとわたしこの半年で落ち着いてきたもんだ笑
やっぱりその時の旬を逃さず記録し落とし込んでいくことで見えることもあるなぁ。
過去の自分がずいぶん前のことのように感じる。
でもでも、今回は明らかに何か違っていた。
とても静かで確かにスッキリしたのだけど
どこまでも水平線のような
穏やかな波長がひたひたと。
そして深く何か必要なものやことが起きてる流れ。
それは一見、ネガティブなことのようにも見えるけど至って必然の流れで。それこそが宝で。
恭子さんのトリートメントは同じ名前の
例えばハワイアンデトックスという
トリートメントでも
その人に合わせたトリートメントで
効果も、作用も違うということを感じている。
他の方の感想やなんかを聞いて
さぞかしすごいデトックスが起きるのだろうと
思っていたけど、
どうも違ったから。戸惑ったけど。
なるほどそういうことかぁと感じた。
いま私はより自分に静かに潜って
わたしを知りたいと思っているから
そこには大きな波の派手さは要らない。
むしろ静かにひたひたと気づいて
後で振り返って
気づいたら変わっていた。
別に変わらなくてもいいのだけど。
自分らしい方向に自然に辿りついていた。
みたいな静かな波のプロセスだ。
波の変動が大きかった私の人生に
ここから必要なのはそんな穏やかな波長で
確実にひたひたと染み込んでいくそんな波長だ。
いまその段階に来ているんだという感じだ。
だからその私の波
happyちゃんの言葉で言うなら
周波数。
わたしに合った周波数で出逢う人や出来事
繋がりすべて。
それはわたしという周波数が発しているものと
リンクしていくということ。
だからこそ
自分の取説
自分をどう扱うか?
自分の周波数に合ったものは何か?
自分の周波数、バイブレーション、エネルギー
言葉は何でも良いのだけど
それにあったものを身につけて
それにあった行動を常に選んで
それにあった人たちと交流して。
そしてまた大事なことが
自分の周波数と合わない人のことは
裁かないこと。
私にとっての正解が
違う周波数の人にとっても正解ではないということ。
そこでジャッジすることに意味がないこと。
またよ〜くわかっておきたいポイント。
無意識でやりがちだから。
今週の一連の流れと共に
また違う人の言葉で
おさらい、まとまってきた感じだ。
言葉では簡単だけど
どんな自分も受け入れて
愛する
大切に扱うこと
また実体験や体感と共に
また私の中にすとんと来たから。
これを大切にしようと思う。