日常が旅のよう。存在するだけでいい。
前の日たっぷりとりっぷしたものだから
今日は出来るだけ家でゆっくりしたい。
昨日の余韻も味わいながら。
心ゆくまでやりたいことやりながら
のんびりしようよ〜ご希望ありの朝。
とっておきの朝ごはんを堪能し
なんて贅沢な時間なんだぁ〜を
精一杯かみしめて。
過去のわたしが未来にこんな時間を
この場所で過ごすなんて考えられなかった。
でも、確かに私は過去、
本当に願っていたんだ。
八幡宮に毎日のようにお願いしていた。
その現状に光が見えなかったから。
麻痺していた感覚が戻ってきて
目が覚めてしまったから。
必死にここからの未来を願い、
祈っていたのが懐かしい。
そしてそれは
現実に本当になった。
心ゆくまで
いま自分と対話していられる環境
時間たっぷりある。
私はいま、ある意味、
時間持ちだ!
あんなにあくせく働いて
何かしないと価値がないとばかりに
しゃかりきに走って、
やり過ごしてきた時があるというのに。
いまは明らかに違う。
あの忙しい時期、
その中でも
一生懸命に自分を感じ
出来る限りのことはしてきたけれど
たぶん、いや、間違いなく
がんばる方法や何をがんばるかとか
違ってたなぁ。。。
要らぬ方向に
要らぬがんばりをしていたり。
メリハリつけてとかも出来なかったり。
不器用で
なにをどうしたらいいのか分からず
ひたすら走るしかない!
みたいなこともあったなぁ。
私、基本体育会系だしみたいな笑
繊細なわたしなんて、
つゆしらずできたから。
それはたぶん
どこかで
誰かの刷り込みもあったのかもしれない。
でもそれを受け入れたのは
私で。
何かしないと
わたしは価値がないと。
働かざるもの食うべからず!みたいな感じで
そんな風に思っていた。
ひどく小さく扱う癖があった。
ただそこに存在している。
ただわたしは生きているだけ
でも価値があるのに
心から、そう思えなかった。
存在するだけで
価値が十分にあるということを。
何かしないと!
なんて本当はいらない。
そんなことに焦って
自分を見失い
疲れ果ててしまうくらいなら。
何にもしないで
のほほんと
そこで笑ってのんびりあなたらしく
いてくれた方がよっぽどいい。
シャカリキになって我を忘れて
悲しいくらいに
あなたの本来の姿じゃない
顔をしているよりも。
だからきっと神さまは
わたしに
いまの時間を与えてくれたんだ。
どうにも基本的に
何かして動いていたい私に
大丈夫
焦らなくていいよ。
すぐに何とか
一生懸命しなきゃと、
走ろうとする私に
ゆっくりする練習を与えてくれた。
何かをしなくても
存在するだけで
十分
人に与えていることにもなるんだよ。と