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現代小説訳「今昔物語」【恋人は女盗賊首領?その弐】巻二十九第三話之弐 人に知られぬ女盗人のこと 29-3-2

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人に知られぬ女盗人のこと その弐

その壱までの粗筋
 ぶらぶらと散歩をしていた太朗は、不思議な女、沙金に呼ばれるままに家に上がり、何となくその家で過ごしていた。

 このようにして、何不自由なく二十日ばかり過ぎたころ、女が男に言いました。
「ねえ、縁《えにし》って信じる?」
「えにし?」
「そう。私たちがこういう関係になったのも、然るべき縁があればこそって思わない?」
「縁、ねえ」
 ふと、朱雀綾小路の辻で見かけた地蔵が思い浮かぶ。思えば、あの地蔵が立っていなければこの屋敷が立つ小路には来なかった。あの日、長雨が止まなければ出かけることもなかった。沙金が路で呼びかけた時立ち止まらなければ、今頃まったく別のところで別の女と過ごしていただろう。
「そうだな、たくさんの偶然が重なって今に至るという意味では縁はあるのかもしれない」
 太朗は御強《おこわ》を頬張る。ここの飯はうまくていくらでも食べられる。思えば、身体も一回り大きくなったような気がする。
「そうさね。この世の出来事の一つ一つはかりそめのようなもの。それが前世から今、来世までつながると縁となる」
 沙金の声は軽やかで、謡うように話す。
「そんな縁で結ばれた私たちなのだから」沙金が太朗の手から御強の残りを全部取って自分で頬張る。「生きるも死ぬも私が言うがままよね?」
 沙金の手が太朗の伸び放題の赤ひげを弄《もてあそ》ぶと、香がふわりと薫り心地よくなる。
「そうだな。今となっては、生かすも殺すも、お前の心次第だよ」
 すると、沙金はにんまりと笑い、「来て」と言って太朗の手を引いていく。
 奥の別棟に入ると香が強くなり、ふわふわとした心地になる。沙金が廊下の壁の筋をなぞると、壁の一部が横に滑って開くが、太朗には普通に戸が開いたようにしか見えていない。
 部屋の中心に太めの柱が立っている。柱を抱くようにして腕を回されると、向こうで手首が縛り上げられた。左右の親指も結びつけたので、紐の内で手首を回すこともできない。そこまでは丁寧な手付きだったが、縛り終わると乱暴に足を払われた。膝を床に打ち付けそうになるのを柱にしがみついてこら、結果、膝立ちで前かがみに柱に抱きつくような格好になる。水干が荒々しくめくられ、背中が出される。流石におかしいと思って首を無理に曲げて沙金を見やると、烏帽子《えぼし》に水干袴という男装である。片肌脱ぎになった右腕をするどく上下に振るのが見え、鋭い風切り音と同時に背中に衝撃が走った部分が一瞬にかっと熱くなる。ひょうひょうと風切り音がして、また衝撃が走る。なるほど、鞭で打たれているのか。太朗は何がなにやら分からなかったが、そのまま、背中をしたたかに八十度打ちつけられた。
 沙金が「どう?」と尋ねてくるので、太朗は強がって、「大したことはないが、今宵は仰向けには寝られそうにないな」と答える。沙金は「思った通りね」と言って、竈《かまど》の土を水で溶いて飲ませてくれた。さらに酢を飲ませ、地面をよく掃いてそこにうつ伏せに寝かせる。頭の後ろ、見えないところに何かがことりと置かれ、あの香が濃く薫ると太朗は眠った。
 起きると、いつもの部屋に連れて行かれていつもより立派な食事を食べた。

 三日ほど経ち、仰向けに寝ても何ともなくなると、また例の部屋に連れて行かれた。今度は自分から柱に抱きつくと同じように手首を縛ってくる。
 前の鞭の跡を打たれると、鞭の跡ごとに血が流れ肉が裂けるのが感触で分かったが、沙金はまるで容赦せず、きっかり八十度打ちつけた。沙金の指が背の傷をなぞる。
「どう? 堪えられる?」
「何てことない」
 太朗は笑みさえ浮かべて答える。実際、背中は熱を持ったように痛むが、それ以上に気が高揚して今すぐに馬の早駆けすらできそうである。
 今度は最初の時より感心して褒め、よく介抱して、また四、五日ばかり経つと、また同じように打ちつけた。また同じように、「大したこと無い」と答えると、仰向けに縛り付けて、腹を打ちつけた。
 それにも「平気だ」と言うと、沙金はひどく感心して褒めた。
 しばらくして、鞭の跡がすっかり癒えると、太朗の背中は鎧をまとうかのように盛り上がり、腹は板を張ったかのように固くなった。

人に知られぬ女盗人のこと その参へ続く

【参考文献】

新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)

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