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貴方のために生きられない僕を『燃やして』欲しい。



ゴミが溜まっている。昨日の鍋の残りを食べ終わり、水に浸してからしばらく放置している。豚肉の油と水が分離して、小さな野菜や肉のクズがシンクのネットに行き場所もなく、其処にある。捨てなければならないと思っていても、つい面倒になってしまう。そんな汚くて、触れたくない存在でも向き合わなければならない。


母が入院して1ヶ月ほどが経つ。様子が気になって、実家にいる姉に連絡を取ったら手術することが決まったらしい。死ぬような病気ではないのが救いだった。早ければ、4月の中旬には退院出来るらしい。進路のことを話したり、姉からは家に居て母の面倒を見て欲しいとも言われたが、僕はその期待を全て投げ捨てなければならない。自分のやりたい事や学びたいことが地方にあり、大学を卒業したらその場所にいくつもりだ。

実家が嫌いだ。家族という存在と向き合えば、向き合うほどしんどさが増してしまう。地元に帰る度に、じめっとした空気があの場所には流れているのに誰も気に留めていない。自分だけが感じているのか、それとも気付かないフリをして普通だと信じて止まないからなのか。窓があるのに換気が出来ない部屋のような気がして居心地が悪い。


父は亭主関白気質でそんな父を恐れ、嫌悪し、啀み合ってる姉や母。その中にいる僕はいつも間をとり持つ良い子を演じてしまっていた気がする。しかし、皆んな金銭的な援助を受けるには父と良質な関係を築かなければならない。父は家族の中で使える権力を行使して、僕たちが意見を言うものなら否定しくてくる。母や姉は父を目の敵にして自分に愚痴を言うのだ。何かしんどくて、確実に無理をしている事に気付いて家族と距離を置き始めた。

でもその家族を嫌いになれない自分がいる。好きでもないけど、出来損ないの自分の面倒を見てくれたし、気にも掛けてくれてる。優しい人だと知っているけど、飲み込まれてしまうような怖さがある。夜の海を初めて見た時の不安な気持ちと似ている。昼間は皆んなで遊べる夏の風物詩のような存在が、夜になると心地いいと思うはずの波の音でさえ、不気味でしょうがない。分かりづらいかもしれないけど、自分にとって家族という存在のイメージはそんなマイナスの方に偏っている。


きっと家族から見た僕はどうしようもないクズな人間だろう。親孝行なんて出来る気がしないし、就活だってコロナで駄目になってしまって結局自分のやりたい道を歩く選択肢をとった。家族や安定よりも、自分に合わせて生きることを選んだ。何かを選択するということは、何かを捨てることになる。出来損ないで、親不孝で、死んでしまえと罵られた方が良い気がするのに、僕はつくづく弱い人間だ。見捨てられることも、家族という居場所を失うことも怖いと思ってしまう。

いっその事、シンクのネットに溜まったクズのように燃えるゴミと一緒に焼却炉に入れて『燃やして』欲しい。後かたも無くなって、灰になってそこに僕が居たことさえ忘れて、新しいネットをまた張り替えて全部綺麗に消して欲しいとさえ思う。


貴方のために生きられない、どうしようもないクズの僕を認めてくれとは言わないけど、今はただ水の上に浮いた油みたいに漂っていたい。









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