荷物の整理は『思い出と愛着』を共に捨てることだ。
3月になった。引っ越し用のダンボールもホームセンターで買って、1Kの部屋からいらないものを処分したり、必要なものを実家に持って帰る為に荷物を選別している。
変なところで几帳面な性格が災いしてか、今まで4年間通った大学のレポートをクリアファイルに入れて保管していた。一個ずつ取り出してはまとめてゴミ袋の中に捨てていく。分厚かったファイルはどんどん瘦せ細り、最後には買った当初と同じ厚みになった。
実家から持ってきた小説も京都の古本屋で買った古書も、行きつけの古本屋で買取に出した。服もこの4年でこんなに増えたのかと驚いた。クローゼットに所狭しと溢れていた、夏服や冬服も捨てたり古着屋に買い取ってもらった。ほとんど実家から持ってきたものが多かったし、数回着ただけ飽きてしまったものも沢山あった。大学1回生の時はおしゃれに気を使っていたが、最近はユニクロか無印の服をローテンションで着ていることが増えた。少し派手なものも着たが、服の好みが変わり、結局無地の地味なものが好きになってしまった。
不思議なことに、一つ一つ何処で買ったか覚えていた。4年前に母と百均で買った色違いのマグカップも、友人と一緒に買いにいった服も、姉に買ってもらった革靴も全ての思い出が走馬灯のように蘇る。引っ越しを節目にその思い出たちが物を通して伝わってくる。引っ越し当初に買ったカーテンは汚れてきたし、エアーベットにはシミが付いている。果てには3年前に中古で二千円で買った電子レンジは煙を吹き出して壊れ、ついこの間廃品業者に引き取られていった。
今まで其処にあって当たり前のものたちが、もう其処には無い。なんとも言えない寂しさがある。どんな薄汚れたガラクタでも愛着を持って接していたことに初めて気付いた。持って帰っても仕方の無いものも、何故か捨てられない。優柔不断なのかいつか使うかもしれないという期待がある。そういうものは結局使わずにクローゼットの中に放置されてしまうのだが。
『物を買うということは、思い出も共に買うことになるのかもしれない。』
自分と共に生活して、同じ時間を過ごして最後には捨てていく。人が持てる物には容量がある。未来に進む為には重いままでは進めない。だから、人は定期的に整理整頓して、物を減らし、思い出や愛すら捨てていくのかもしれない。人は忘れるものだ。どんなに楽しい記憶も悲しい思い出も前に進む為には捨てて忘れていく。思いと重い。積み重なれば、どちらもしんどいと思う。一つ一つこれから使うもの、使わないものを振り分けて整理する。今までの思い出たちを手にとって、決断してビニール袋へ捨てる。
身軽になって、何処へいくかは分からないが今までの思い出を持って、この少し広くなった1Kの部屋を出ていく。
忘れないようにこの『思い』だけは、背負っていこうとそう思った。
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