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親との関係は『呪い』でしかない。


愛より重い『呪い』はないと、何処かで聞いた。実家にいた頃から、家族をしんどいと思う事が幾度もあった。別に毒親では無い。父は自営業で母は専業主婦の恵まれた家庭に自分は生まれた。

姉もいるのだが、別に仲が悪い訳でもなく関係も良好である。父も母も困ったことがあれば助けてくれるし、それを卑下することもない。塾にも予備校にも、大学にも行かせてもらったし、一人暮らしの家賃も援助してもらった。自分は恵まれたと心の其処から思う。何不自由のない生活にも限らず、何故かしんどさは雪のように積もるばかりだった。

そんなに恵まれたのに不満があるのかと言われてしまうとぐうの音も出ない。他人から見たら、良いとこの坊ちゃんなのだ。だが経済的な自由はあるが、自分の心が貧しいのだと思う。親から貰う愛情を『呪い』として捉えてしまうほどに。

子供の頃、両親は共働きで姉と過ごした思い出の方が沢山ある。友人は皆んな学校が終わると、児童館に通い親の仕事が終わるまで過ごしていた。自分は姉がいたので家に帰って、ゲームをして両親の帰りを待った。姉がいるのに何故か寂しかった記憶がある。そんな寂しさからか、親の期待に答えなくてはと自然に思った。頑張れば、頑張るほど母に認められるのではないかと思った。でも、自分には何も無かった。勉強も運動も全てが並かそれ以下か。姉は逆に優秀で運動も勉強も出来て、明るい性格もあり友人も沢山居た。僕はというと、そんな姉を慕う傍で姉に対するコンプレクッスを持っていた。今でも実家には姉が取った数々の賞状が所狭しと飾られている。自分が取った賞は何一つない。こんなに恵まれているはずなのに、僕は才能も努力をする力も恵まれなかった。

愛情を貰う為に、認めて貰う為に、期待の為に成果を出さなければと本気で思う一方で、自分の能力の無さに絶望していった。両親は長男である僕に期待していた。姉は結婚すれば、家を出て名字を捨てて別の家族を持つのだから。この名字を背負って一家の大黒柱になるのだと漠然と思っていた。だから泣くことはみっともなくて、勉強が出来ない弱い自分を両親は責めた。

何で出来ないんだ、もっと頑張れよ、結果を出せ、良い高校に行って、良い大学に行って、良い会社に入れ、孫がみたい、お前の為に言っているんだ。

そうか、自分の為を思って言ってくれているのか。なんて子供思いな両親だろうと思えたら良かった。僕は何一つ出来なかった。結果も出せず、高校は中退し、予備校では勉強せずに友人と遊んだり本ばかり読んでいたし、彼女もここしばらくいない。僕は無能だった、人間失格だ。親の期待に何一つ応えることが出来ない。恥の多い人間なのかもしれない。大学生になり、大人と呼ばれる年齢になってもまだ子供の頃の自分がいる気がする。必死に期待に添えようと努力をするが、何も成果の出せず落ち込む自分がいる。両親と会うたび申し訳なさが込み上げてくる。生まれてきてすみませんと言えたら、楽になれるだろうか。

最近、友人にこの話をすると皆んな同じようにしんどさを感じていた。きっと誰もがこの親からの希望を持って生まれ、そして絶望していったのだろう。子は親を選ぶことが出来ない。例え環境が恵まれていても、ニュースで報道される親のDVやネグレクトによって死ぬ子供と比べらてお前は恵まれているんだから、マシだろう、だから感謝して努力しなくてはいけないのだと言われて育つ。弱い子供の自分を殺して、理想な大人になる為に頑張り続ける。

まさに『呪い』である。恵まれようと恵まれなかろうと、僕たちはその呪いの中で生きている。乾くことのない飢えから愛情を求め、金や仕事、誰かに依存し愛を育んで親になり子を成す。僕たちの両親もそのまた両親も呪いを持って生まれてきた。

その「思い」は、愛と言う名の「重い」呪いで出来ていた。

人が死ぬまで背負っていくしかない。けど、両親が嫌いな訳でもない。好きではあるけど一緒にいるのはしんどい。離れていても繋がっているこの呪いの解き方は知らない。きっとどちらかが死ぬしかないのかもしれない。親が死んだらきっと悲しむだろうし、喪失感が生まれる。他人ならこんなに苦しむことはないのにと何度も思う。なら、自分にとっての幸せを探すしかない。幸せについて考えて思うのは、


幸せは呪いの裏返しなのかもしれないと言うこと。あなたの子供に生まれて良かったと最後に認めることが出来たのなら、それは『呪い』が裏返り『幸せ』になるのだろうか。



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